DVDを借りて映画を観ました。
タイトルは「関ケ原」と言う、司馬遼太郎の同名歴史小説を原作にした邦画。
石田三成と徳川家康を主人公に関ケ原の戦いに至る物語。
2017年に劇場公開されました。
イントロダクション:関連サイトより
司馬遼太郎の名作小説を、岡田准一、役所広司、有村架純ら豪華キャスト共演で映画化。「日本のいちばん長い日」「わが母の記」の原田眞人監督がメガホンをとり、石田三成の義を貫いた生き様を軸に、関ヶ原の戦いを真っ向から描き出す。
主演の岡田が不器用で人間味あふれる新たな三成像に挑み、役所が天下取りの野望に燃える家康役を演じる。さらに三成を命がけで守りながら彼に密かに恋心を抱く忍び・初芽役で、有村が本格時代劇に初挑戦した。
ストーリー:関連サイトより(キャストを加筆)
石田三成(岡田准一)は幼い頃から目端のきく才人で、豊臣秀吉(滝藤賢一)に重用された。天下を取った秀吉が朝鮮に出兵して3年が経過した文禄4年、三成は佐和山城を与えられ、19万石に加増されることが決まっていた。謀反を疑われて自刃した関白秀次の妻妾や侍女たち20名の処刑が決まり、盟友の大谷刑部(大場泰正)と共に刑場に立ち会う三成。処刑される侍女たちが直前に、隠し持った刃物で刑吏に立ち向った。くノ一だと気づき、生き残った“初芽”(有村架純)の命を救って配下とする三成。更に、見物人の中で罵声を発した男が島左近(平岳大)だと気付いた三成は、後を追い、自分の家老になるよう懇願した。悪の参謀として嫌われている三成だが、三成自身は不義を嫌い、秀吉が若かりし頃に抱いていた正義の道を貫くことを目指していた。
慶長3年、秀吉が亡くなった。権力拡大の為に諸大名と親しく交流する徳川家康(役所広司)。北政所(キムラ緑子)は淀殿(和田菜々)や三成を嫌い家康に付いた。政所には、子供の頃から育てた加藤清正(松角洋平)ら7名の譜代大名が付き従っていた。清正ら七将に急襲されて家康の屋敷に逃げ込み、保護される三成。伊賀の忍びである初芽は、各藩に潜入している仲間たちと情報を交換し、三成に注進を続けた。そんな初芽を愛おしく思う三成。会津藩の家老・直江兼続(松山ケンイチ)は三成と談合し、家康を挟み撃ちにする計略を授けた。会津が軍を整えていると知り、関東の諸藩に会津討伐を命じる家康。家康が関東で軍を整えている間に、三成は大谷刑部らと畿内で挙兵した。会津攻めを中止して反転し、関ヶ原で西軍と対峙する家康の東軍。
正義の戦いと信じて東軍を迎え撃つ三成。だが、激戦の中にあっても大名たちは両軍とも、戦況を伺い腹を探り合っていた.西軍で戦う覚悟の小早川秀秋(東出昌大)。だが臣下たちは秀秋を羽交い締めにして東軍に寝返り、大谷刑部の軍に襲いかかった。追い詰められて腹を切る大谷刑部。勝利を確信して鬨の声を上げる東軍。三成は一人きりで戦場から脱出したが、数日後に追っ手に捕えられた。家康の入城した大津城の正門で晒される三成。自刃しなかったことを嘲笑う大名たち。謝罪する小早川秀秋に、秀秋ら親しい者たちの安堵を確かめる為に生きていたと語る三成。刑場に運ばれる三成を沿道から見送る初芽。「これぞ我が正義」と呟いて、三成は処刑された。
私見:
関ヶ原の合戦が物語となった映画やTVドラマは多いですが、今作品は史実にリスペクトを払いながらも、フィクションが織り交ぜられて、それがスパイス的な風味を醸し出す物語に昇華していると思いました。
例えば、石田三成(岡田准一)と架空の人物として登場する忍びの初芽(有村架純)の純愛が挙げられます。
三成が関が原に於ける敗戦の将なのに切腹しないで敗走したのは、離れ離れになった初芽の安否を知りたいと思う気持ち故だった事が明かされていました。
石田三成を美化し過ぎている作品かも知れません。
本編とは直接関係ありませんが、同じ時代に生きた細川ガラシャの辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」を思い出しました。
「花は散り時を知っているから美しい。人も同様であり、今こそ散るべき時である」と言う意味。
石田三成に、私が何を言わんとしているか?は察して下さい。
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Posted at
2024/02/23 09:59:20