2020年05月03日
フェラーリといえば、車好きでなくとも知っているスーパーカーの代名詞である。そのブランド力の高さは中古車サイトでのフェラーリの中古価格を見れば明らかである。
そもそもフェラーリは、その創業者でアルファロメオ などでキャリアを積んだレーサーでもあったエンツォ・フェラーリ氏が、独立してレースをするために創立された自動車メーカーであり、その点で製品のプロモーションとしてモータースポーツに参戦する多くの自動車メーカーとは全く異なる物である。そして、フェラーリ社の車は当時から、そして今でもモータースポーツ界において華々しい結果を残してきている。フェラーリの車は創設してすぐにその性能と美しさから人々の憧れとなった。そんなフェラーリも、ある時レース資金を稼ぐ目的で市販車を売ることになったが、エンツォ氏は市販車の販売に対して消極的であった。初期の市販車は旧モデルのレーシングカーをデチューンした物であったし、フェラーリ初の純血市販車、250についてもエンツォ氏は「スポーツカー」という軟弱で公道での使用をイメージさせる言葉を使うことを避けた上、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたという。彼は、あくまで市販車は富裕層に大金を叩いて買わせて、その金で自分はレースをする、というスタンスを貫いていたようだ。実際、彼はフィアットに会社の経営権を譲り会長となった後は、モータースポーツ部門の指揮に専念している。
このように、フェラーリの市販車というのは、もともと富裕層を狙ってブランドとして仕立てあげられているのである。エンツォ氏は、「市場で求められているより一台少なく車を作りなさい」と言っていたというし、実際のフェラーリの製品を見ても内外装、排気音ともに派手で美しい。これは確実に狙って作られたものである。また、ブランドイメージの確保も欠かさない。先日も、あるラッパーが自身のフェラーリに靴を置いた写真をインスタグラムに投稿したところ、フェラーリから訴訟を受けたという。このような訴訟事件をフェラーリは過去に何度か起こしている。私はここまで自社のブランドイメージに敏感なメーカーを他に知らない。
ただ、果たしてフェラーリがここまでのブランドを築き上げたのはモータースポーツでの実績とその販売戦略だけであろうか?私はそれだけではないと感じている。それはフェラーリの傲慢な態度の産物でもあるだろう。
例えば、フェラーリは自社を米国資本にされるのを嫌い、フォードとの提言を断りフィアットの傘下に入った。冷静に会社の規模を考えると、フェラーリの姿勢というのは相当強気なものだろう。また、エンツオ氏が市販車の購入者を軽蔑したり、企業が顧客の製品の使い方に文句をつけるなど、フェラーリの顧客に対する態度は「売ってやってる」感に溢れている。それがフェラーリに乗れる、ということの特別さを増幅させているのではなかろうか。
やはり、なんらかの並行世界で、「ルマンでフォードが絶対王者ポルシェを破った」としても、人々は大して熱狂しないだろうし、「フォード vs ポルシェ」なんていうような映画は出来ていないだろう。
Posted at 2020/05/03 19:23:30 | |
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