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堅雪かんこのブログ一覧

2015年04月30日 イイね!

女子アナとの接近遭遇~春の夜の夢のごとし

女子アナとの接近遭遇~春の夜の夢のごとし  今から30年も前の話である。季節は調度今頃で、彼女は地方局の新人アナウンサーとしてあるラジオ番組を担当していた。その番組はジャズをメインとした内容だったので、毎週聴いていた。ふとリクエスト葉書でも出してみようと思い、ついでにある仕掛けを試みた。最近のTVでは女子アナはその特異性がマツコデラックスの標的にされボロクソ言われているが、当時の私も彼女らは知的好奇心や上昇志向が強い性格であることが予想されたため、葉書にわざと「精神科医をやっている○○です」と嫌らしくも書いてしまい(若気の至りゆえお許し下さい)、ついでに電話番号も記した。するとどうだろう、数日後に実際本人から電話がかかってきたのである。お笑いのバンビーノの「ダンソン!・・フィーザキー・・」と誘いに乗ってひっかかる獲物のように。





 そうは言ってもいちリスナーに本人から直接電話がかかって来るとは思わなかったので驚いた。ラジオの声と同じだった。当たり前だが。話してみるとやはり頭は相当いい。言葉に対する反応、知識、話題など打てば響くというか、ポルシェの空冷フラット6エンジンのような切れ味があった。
 その後も彼女は自分の仕事が終わった後の夜の10時過ぎあたりに電話をかけてくるようになり、話した内容は覚えていないが夜通し明け方近くまで話していたこともあった。女性とこんなに長電話をしたことは後にも先にもない。






 こうなれば次には会いたくなるというのが自然の流れだ。当時彼女はラジオの仕事が多くTVにはほとんど出ていなかった。写真かなんかでちらっと見たことはあるが、実際の本人のイメージは薄かった。ネットも携帯電話もない時代、情報量は少ない。最初は躊躇していたようだが、やはり好奇心には勝てず、某ホテルのロビーを待ち合わせ場所として会うことになった。約束の時間に行くとちょっと遅れて彼女が顔を出した。小柄で、少したれ目の大きな瞳と小さな顎。美人というよりカワイイ感じの娘だった。が、その表情は怯えて見えた。ここではなんだからとすぐにクルマに乗せ、郊外のレストランに向かった。





   そのレストランはその日は混んでいて、テーブルに着く間に知らない客から「○○さんですよね」と彼女が声をかけられていた。その時、彼女がなんで緊張気味の顔をしていたかがわかった。つまりこういうことは知られてはいけないことなのだ。地方とはいえ、いや地方ゆえ女子アナはタレント的な存在だ。なので、その時の会話は電話でのものとは違いぎくしゃくしてしまった。
 彼女の中では、これからキャリアを積みさらに伸びて行こうという大事な時期だったに違いない。失点は避けたい。私はそういう計算深い態度に苛立ち、気づけば「あなたの顔は三浦和義(犯罪者)に似ているね」とか皮肉を言い始めていたのであった。





  そう言えば彼女は手紙も何通かよこしたが、そこには自分の住所も書かれておらず、自分の電話番号も結局教えてくれなかった。そういうことも重なり、その後の電話では彼女を責めるような言葉を発し続けた。生意気な女には言葉の鞭・・・、長年母親との口論での私の心に内在している悪い面が誘発されてしまった。最後は「もう電話しません・・・」という悲しそうな彼女の声で終わった。その後彼女は才能を開花させ、やがてキー局のニュースキャスターにまで登りつめる。





  苦い青春の思い出であるが、風の便りでは今彼女は結婚してアメリカで暮らしているという。

 「では、次のリクエストにお応えして曲をお送りいたしましょう。ムーライトセレナーデ、グレン・ミラー楽団です」









  
Posted at 2015/04/30 16:17:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 音楽/映画/テレビ
2015年04月27日 イイね!

指揮者の異常な愛情  私はいかにしてJazzを演奏し損なったか?

指揮者の異常な愛情  私はいかにしてJazzを演奏し損なったか?   異常な愛情シリーズ、第二弾。今月から国内で公開されている映画『セッション』をめぐって、ネット上でジャズ演奏家の菊地成孔氏と映画評論家の町山智浩氏の論戦がニュースになっていた。二人の原文はネットで読めるがかなりの長文である。論点を極めて簡潔に要約すればジャズ演奏家は「あんな映画はマンガだ」というのに対して映画評論家は『いや、映画としては大変面白かったのになぜ酷評するのだ?」ということだった。まずは映画のさわりから・・。










 この映画はジャズドラマーを目指す青年が鬼教官にしごかれ続け、エンディングでは思う存分の演奏をして教官の鼻を明かせてみせるというストーリーで、実際見た人は映画『ロッキー』のようなカタルシスを味わうという。確かに『ロッキー』が最初に公開された時、私は仙台の映画館にいたが、エンディングでは観客が一体となって声を出してロッキーを応援して、ついに勝った時は会場がどよめいた。実際『セッション』も本国のアメリカで公開されたら評判は上々で、アカデミー賞を3つも獲っている。では、なぜジャズ演奏家は酷評したのか?





  それはジャズのエッセンスに無知な勘違い映画だったからである。しかしながら音楽を扱った映画というのは往々にしてこんなものになる。ただただ速弾きできれば凄いとか、超絶テクニックを競い合うことが音楽の頂上だという表面的なものだ。『巨人の星』や『あしたのジョー』が実際の野球やボクシングからかけ離れていても作品としては面白いということはあり得るという意味で、ジャズ演奏家はこれは“マンガ”だと言った。上掲の予告編で「ラスト9分19秒 あなたは映画史が塗り替えられる瞬間を目撃する」とか言っているが、実はここの部分もYouTubeで一部観られる。私からするとハァ?の一言。





  それではジャズのエッセンスとは何か。特にリズムにおいてはコンマ何秒の正確さではなく聴くと自然に体が動きだすようなスイング感なのである。特にビッグバンドの場合はブラスアンサンブルとドラムスの絶妙な「会話」があり、バンド全体を一つの有機体として駆動させる。
 その典型例がこの演奏で、これは本当にジャズの中のジャズ、最高のものと言ってよい。硬直したドヤ的な要素はなく、むしろそこには父性的な愛情がある。ジャズファンならこのカウント・ベイシーの顔を見ただけで目が潤むというものだ。



  このビデオを観てから『セッション』を観るとやっぱりマンガだと思うだろう、きっと。




★ おまけ

      カウント・ベイシー楽団、1962年のライブ。しばしば観客の笑いを誘うドラマー、ソニー・ペインに注目。





Posted at 2015/04/27 16:52:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | 音楽/映画/テレビ
2015年04月19日 イイね!

焦げる臭い

焦げる臭い  昨日の「おぎやはぎの愛車遍歴」での石井一久がメジャーで活躍していた時の話。バリー・ボンズがピッチャーの投げる160km/h位の球をファウルすると、その3秒後くらいにベンチまでバットの木の焦げる臭いがふわっとしてきたという。そういう凄いバッターを目の前にして彼は鳥肌が立ったらしい。臭いというのは感覚の中でも最も本能を刺激する。実はクルマの中でもそういう臭いを発するものがある。




 今日の午前中は久々に快晴だったので、小岩井農場方面に行ってカレラ4を走らせてみた。前にも書いたがビルシュタインの足は街中の低速では純正よりゴツゴツと振動を拾い、場合によってはギシギシとダッシュボードあたりからも軋み音が発生したりする。これはがっかりな点だが、スピードに乗せて走らせると不快な振動も消えスムーズになり、純正より正確な走りをする。




 そしてエンジンを思う存分回して、数々のコーナーや直線を駆け抜け、駐車場で一休みをする時にソレを体験できる。クルマを降りると後輪付近からエンジンからの熱気と共にゴムの焦げる臭いが伝わってくるのである。直接タイヤに手で触れてみるとかなり温かくなっている。リアエンジンによる熱で常時タイヤウォーマーが装着されているようなもので、柔らかくなったゴムがさらに走行時の摩擦で溶けて強烈なグリップを生み出す。これが911の走りの秘密でもある。





  液晶パネルなどを介してのヴァーチャルな情報量が多くなった現在のクルマの中で、臭いという原始的で直接的な情報を伝えるクルマは珍しいのではないだろうか。







IMG_1823

   お尻が発する快感物質。これが911のエッセンス。
Posted at 2015/04/19 22:53:05 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ
2015年04月18日 イイね!

飛び出してこないよ~!!

飛び出してこないよ~!!  アウディの今やっているキャンペーンで、実物大の大きさのA3の紙面広告を、アプリ入りのカメラで撮ると浮き出して写るという。新聞広告で配布されるのは一部のエリアなので、私のところにもない。ネットからその写真をダウンロードできるというが、A4サイズで56枚もの用紙を要する。紙代、インク代の大いなる無駄だ。そこで早めの時間に近くのアウディのディーラーに行って見た。





 早々、そんなものをもらいにくる客は想定外なのか、まだ準備が出来ていなくて「ショールームのおクルマをご覧になってお持ちください」と言われたため、しばし眺めて回った。同じ方向にきちんと並べられたアウディ車達は皆隙のない秀才に見える。雑談もせずクソ真面目に自習している進学クラスの生徒達みたいだ。仙台のポルシェセンターにたむろしているカラフルなごろつきどもとは大違い。





 で、それを家に持ち帰りアプリをダウンロードしてスマホで何度もやってみるも全然できない。結局浮き出ることはなかった。よかったA4用紙56枚使わなくて。



  



    本当はこうなるはず。  








  おまけで頂いたA3セダンのミニカーが意外に精巧でよく出来ていた。
Posted at 2015/04/18 16:03:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ
2015年04月16日 イイね!

「肥えた豚より痩せたソクラテスになれ」って誰も言ってなかった?

「肥えた豚より痩せたソクラテスになれ」って誰も言ってなかった?  「肥えた豚より痩せたソクラテスになれ」。この言葉は子供心に覚えている。1964年の東大の卒業式で当時総長が言った言葉として有名になった。自分なりの解釈としては、日本の最高学府を出た者は金満家を目指すより、清い思索家として生きよという理想を述べたものだと思い、このフレーズはかっこよく響いた。ところが今年の3月にあった東京大学教養学部の卒業式で教養学部長が、これは当時の総長が自分から考えた言葉ではなく、しかも実際会場ではこのような発言はなかった。つまり誰も「聞いてないよ~」だった。それなのになぜ広まったかというミステリーの裏側を暴露した。



 学部長の指摘では、まずこの言葉の「お手本」となったのは19世紀のイギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』の論文からの借用で、原文のより忠実な訳では以下のようになる。


   満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿より、不満足なソクラテスであるほうがよい。

(It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. )




  総長の式辞原稿にはここの部分は確かにあった。ただし総長なりに少し改編して「昔J.S.ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれていた。しかし、ここの部分は実際のスピーチでは省略したので、世間に知られることはなかったはずだが、マスコミがこの原稿を入手しさらに「なりたい」を「なれ」にして報道してしまったために、後年にわたりこの情報が人々の脳裏に定着することとなったのである。



 ここで、教養学部長は以下のように話され、現代のネット社会においての情報の受け止め方に警鐘を鳴らす。





 さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。





 そう、これは大切なことだ。だけどこれには私達の脳が持っている性癖というか、どうしても避けられない事柄が付随する。それはフランスの哲学者がよく言っていた「読者は作品を作者から切り離してこれに対峙し、さまざまな要素によって織り上げられたテクストを能動的かつ創造的に、多様に読むことを許す」というテクスト論である。つまり言葉というのは読み手や聴き手によって様々に解釈されるものなんだということ。
 だから「肥えた豚・・・」も原文が当時の総長や新聞記者の頭を通過して編集されていったが、その結果としてインパクトのある表現として後世に残ることになったともいえる。石田純一の「不倫は文化」と同じ。彼が直接そう言わなかったとしても、新聞の見出しとしては優れたフレーズだし、彼が言い訳でだらだら言ったことを要約するとそういうことになる。




 これを遺伝子(遺伝子こそコピペで伝わっていく)になぞらえて、進化生物学者のリチャード・ドーキンスが「ミーム」と言う言葉を造語して、脳から脳へ伝わる模倣する文化の単位の意味で提唱した。だから、言葉も遺伝子と同じに複製、伝達そして変異して拡散していくのである。この変異は避けられないし、それが進化の源にもなっている。
 脳はそれが偽造でも簡潔で心地よいフレーズを好むので、最初の事実としての一次情報は忘却されてしまう。これが夫婦間を始め国家間に歴史的トラブルが生じるとなかなか解決しない根本的理由でもある。





      肥えた911より痩せた911になれ  ・・・・・・・・ 流行らないか? (^_^;)








Posted at 2015/04/16 12:22:50 | コメント(7) | トラックバック(0) | その他

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「@terry997 人のクルマにのせられる時それを少し意識します。自分の運転の時はしないけど。(^_^;)」
何シテル?   05/02 14:49
  2007年型カレラ4に乗っています。オールシーズン、日常の足として使用し、すでに10万キロを越えました。  カレラ4の乗り味は、ゆっくり走ればメルセデス、...
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