
今年の冬、
ミュージシャンの平沢進さんのファン(馬の骨)の方の影響で
なんとなく見た映画「パプリカ」にあまりに衝撃を受けて
早5か月ほど経過。
最近、大学の授業で使用したウェブツールにて
夢分析を扱った作品だからと「パプリカ」を紹介したことから(笑)
久しぶりに見てみることに。
久しぶりに見た「パプリカ」の感想ですが、
そもそもタイトルでもあり登場人物でもある「パプリカ」の“パプリカ”って
ピーマンにそっくりな野菜の“パプリカ”じゃなくて、
スパイスの“パプリカ”のことだったのね^^;;;
これね、これ(笑)
なんでスパイスのパプリカ???って思ったんですけど、
そういえば、うちの大学の恩師が
「カウンセリングは人と人から関わることで生まれる動き」
というようなことを言ってたのを思い出しました。
これ、別にカウンセリングに限らず、
人対人 人対物 物対物
でもその相互作用で何かが動き始めたりするわけです。
“パプリカ”は、
料理に加えることで一味変えたり、色味をつけたりすることができるように、
物事の動きに変化をもたらす“スパイス”だってことだったんですね。
まあしかしこの映画、
臨床心理学の端くれの端くれの端くれの端くれの端くれな自分でも
カウンセリングやサイコセラピーの流れを再現しているので
そういう意味でとても勉強になったりします。
粉川警部が見る夢に出てくる銃弾で倒れた男性や
殻っぽになった氷室啓、
最後の巨大になった理事長の乾、
それを吸い込んで成長していく女の子、
全部それぞれに意味があるんですよね。
そもそも主人公の千葉敦子とパプリカが
同一人物であるようで最後敦子とパプリカが同時に存在するというのが
ペルソナや意識・無意識を彷彿させ、
人の意識や夢の不思議さを物語っています。
かくいう私もリアルの私と、
ネット上であちこち顔を出してる恋する森林人は
同じ人格かって言われると
違ったりするわけですよね。
そもそも”私”という人間だって、
私から見た”私”と他人から見た”私”は違うし、
その他人それぞれでも”私”の見え方が違います。
もちろん相手する人によって演じている”私”も違いますからね。
仕事を辞めて社会で生きることを少し休んでいる今の私は、
そんな”私”を形成する大切な時間を過ごしていたりもします。
そんなこんなで久しぶりに見た「パプリカ」ですが、
最後のシーンを見てシャドウを統合するって意味がこういうことか、なんて
1人感動して見てしまいました。
やっぱり映画は偉大ですね。
夢を見る大切さ、誰もが持つ無意識の世界、シャドウとの統合、
映画の細かな感想は、
個人ブログに書こうと思います(笑)
「パプリカ」はみんカラ的にいえば、
カーグラですかね(チョ
何はともあれ、
「パプリカ」本当にいい映画です。
出会えてよかった。
Posted at 2020/07/22 16:47:12 | |
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