
その1の続きです。
母を看取り、ひと段落して思ったことは、介護や看取りを好きにやって良かったということです。出来る範囲で、ひと様に迷惑かけない範囲で好き勝手にやれば良い。百人百様。
母は、2021年2月に、主治医より末期癌の宣告を受け、もって4月、桜が見られるかどうかだと言われました。
これから週単位で悪くなるから夜間も健常者が見守ってほしいと言われ、兄と私が、週に3〜4日づつ、両親の家に住み込みで始めた介護生活でした。
医師に言われて、が発端ですが、目の前に倒れている人がいたら手を差し伸べない訳に行かないし、産んで育ててくれた母の最期、1〜2か月くらいは助けにゃ、と思う気持ちと、半分は自己満足のため、という感じです。
1〜2ヶ月のつもりが、6ヶ月に伸びましたが、振り返ると、この半年間は実にかけがえのない日々で、介護をやって良かったと思います。
普通に、ごはん食べてテレビ見て、家事やっての繰り返し、たまに病院行ったり、トラブルにオロオロして医師・看護師呼んだりも多々ありましたが、大半は他愛の無い日常、他愛のない会話の繰り返しでした。30年振りの同居となったので、ある意味、非日常ですが。
もう一つ感じたのは、大切な人との他愛のない日常が8/3に終わり、8/4よりいない日々が始まったという事。
確かにこの世に存在した肉体と魂が無くなり、骨だけがここにあるのは、まだ何とも不思議な感覚です。もちろん多少は寂しい気持ちはありますが…、母の死とは関係なく、時は止まる事なく流れ、自分や今を生きる人の人生は続く…。そうこうしているうちに自分の番が来る。当たり前のことですけど、そんな事を思いました。
息子の私から見ると、母は高度経済成長期やバブルを謳歌し、海外生活、海外旅行、習い事、温泉旅行に、散々楽しんだので、良い人生だったのかなと思います。DNAは母から息子3人、孫4人へ繋いで、皆無事に生きているので、生物のサステナビリティ的にはそれだけでも十分な気もします。
母からすると、特に最期のひと月は痛みでしんど過ぎて、良かった日々を懐かしむ余裕もあまり無くて、安楽死させてくれと言うこともあり、ぐだぐだの不本意な死に方だったようです。こんなはずじゃなかったと、苦しまずポックリ逝きたかったと、愚痴をよく聞かされました。聞くだけで何もできないけど、せいぜいそばにいて聞いてあげる事が出来たのは良かったのかなと思います。そう思いたい。
余命1〜2ヶ月が、ポックリより良いのは、関係者全員が死への準備が出来る事。事故死や災害死はそれも出来ない。家族がこうして集まる事が出来たのは良かったんじゃない?と母を諭しても、うーん、そうよねぇでも痛いの何とかしての無限ループ。
しんど過ぎて余裕がなくなると、もはや過去の経験や栄光や能力や評価は関係なくて、「早く楽にして」しか無いんですね。そもそも本人としても後悔ない人生を送ることが出来て、生きることに執着は無かったようで。「安楽死」ってググったりしました。
そんなこともあって、やっぱり元気なうちに話はしておく、やりたいことは、やれる時にやることが大事だと思いました。
武勇伝を語ったり、家族や友人と会って話したり、行きたいところに行ったり、まだ早いわよと言われても、いつ体調が悪くなるかはわからないですから。
生き物は生まれては死んで土に還るだけ。
遅かれ早かれ誰しも確実に死は訪れる、今この瞬間を生きている事、支えられている事に感謝して楽しむ事が大事。
刹那的にやりたいこと、好きなことして死ぬのは大いにアリだなと思いました。改めて。(ならポルシェ買うか!?笑)
当初は、在宅勤務しながらの介護をしてきましたが、片手間では仕事が満足に出来ないこともあり、後半は介護休業を取って、介護にあたりました。
介護「休暇」は取っても、介護「休業」を取る男性はまだまだレアかと思いますが、思い切って休業して、自分自身が納得できる形で出来たことは良かったと思います。サラリーマンで、それが出来る職場環境にあったことはラッキーでした。自営業だったら厳しそう。
齢50過ぎて、子供達も大きくなり、今さら会社の評価や人目を気にしても仕方ない、自分の人生好きにするさ的な割り切りはありました。40代では出来なかったと思います。
母がまだ元気な時に家族宛のメッセージを聞き取って、メッセージカードに書きました。これも前もって用意しておいて良かったこと。
火葬場での待ち時間に、父宛てのメッセージを披露しましたが、流石にドライな父も涙。初めて父の涙を見ました。
私にも感謝の言葉があり、最後の言葉も聞いて看取ることも出来ましたので、取り敢えず、好きにやって良かったなと思います。
以上、好きにやって良かったという話。ネタが暗くて、なんか纏まりない話ですみません。敬老の日ということでご容赦。
画像は、桜が見られるかどうか微妙、と医者から言われていたが、何とかもって、二人で花見した時のワンショット。
「最後の桜だから良く見ておきな」「そうよねぇ」、と会話しながら、そこそこ元気なので、お互いまだ死の実感がわいていませんでした。
Posted at 2021/09/21 00:15:42 | |
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