皆さん、おはようございます。今(0650)の京都府南部地域の気温9.0℃、快晴。寒いです。今秋最低気温ですかね?
さて、今回も9月末の長崎県出張続編です。出張翌日は一日中、趣味の時間です。朝0800から宿舎近くのニッポンレンタカーにてトヨタヤリスを受取り出港します。
まずは、御英霊の慰霊から。
佐世保東山海軍墓地に到着。佐世保市東山町180番地。
JR佐世保駅から2.5km、7分くらいです。
かなり規模の大きい墓地と慰霊碑が東山公園と共に整備されています。それぞれの慰霊碑、墓標に慰霊の誠を捧げました。
こちらの墓地は、明治25年の開設以来、佐世保鎮守府管内
九州、四国、沖縄の戦没者17万6千余柱の英霊と海上自衛隊佐世保警備区管内144柱の霊名簿が奉納されています。
個人墓もあり佐世保墓地保存会により綺麗に維持管理されています。
『軍艦初瀬戦死下士卒之碑』
明治37年日露戦役の初頭、旅順口閉塞作戦行動中に戦艦八島と共に機雷に触れて爆沈。戦死下士官兵458名を祀る。
『上海事変戦死者之碑』
昭和7年、前年に勃発した満州事変が上海に飛び火し、暴動や殺傷事件が頻発、居留邦人の保護、権益の保護は焦眉の急となった。海軍は佐世保から第二特別陸戦隊が派遣され、上海特別陸戦隊に編入。
支那軍の射撃を受け、両軍が激突。我が陸戦隊は佐世保と呉から派出された2700名であり、この兵力で支那正規軍7万の兵力と戦った。
わが陸戦隊は、雲霞のように殺到する多勢の敵を迎え討って、寡兵よく二週間、不眠不休で戦闘を続け、ついに敵を一歩もわが警備区域内に進入せしめずして居留民保護の重責を果し、2月13日陸軍部隊にバトンを引き継ぎ、「シャンリク」の名は一躍世界に響いた。
事変は第三艦隊や第四特別陸戦隊(佐世保)の派出、また陸軍部隊の大量派遣により、上海及び周辺地域はわが軍の占領することによって3月3日停戦となって終結した。
陸戦隊の戦死者の合同葬は、1月末、2月18日及び20日に佐世保凱旋記念館で行われた。海軍基地の「上海事変戦死者之碑」には、第一次上海事変の戦死者矢部少佐以下78名を祀ってある。
『元帥海軍大将 東郷平八郎銅像』
立派な銅像です。第一種軍装と軍刀も正確に彫刻されています。
剣帯の長短下げ緒の造形が素晴らしい。
慰霊を済ませ、墓地管理事務所に立寄って、管理人の方に挨拶しました。
保存会は元海自、水交会、遺族会、一般の方で運営され、管理人の方が常駐されています。
管理人の方は海自OBで、佐世保在籍の護衛艦で勤務されていたとのこと。
私が京都出身ということで、舞鶴に入港したことを懐かしそうに語られていました。舞鶴の北吸桟橋は狭く、出船(でぶね、すぐに出港できるよう艦首を港口に向けて係留すること)で艦をもっていくのに苦労した(時間がかかった)ことなどをお聞きしました。
又、佐世保鎮守府管内の施設なども色々とお聞きし,生の声を聞けたことは非常に勉強になりました。
彼岸花が綺麗でした。
何か清々しい気持ちで、緑の芝生が綺麗な佐世保海軍墓地をあとにしました。
(文章は一般社団法人 佐世保海軍墓地保存会HPより引用させていただきました。 https://kaigunbochi.jp )
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海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
Posted at
2023/10/29 09:12:25