勘助キャラ全開につき、
よい子はパスしてね。
7月に今年の夏は三河ぞ!
とかナンとか言ってみたものの、
あまりの暑さで参ってしまっていたソレガシ。
夏にはとうとう行けずじまい。
そも、ソレガシは三州は牛窪が浪人。
すなわち、三河は生まれ故郷なのでござる。
今回牛窪での墓参ついでに、伊那街道を北東に進み、
有名な長篠古戦場にイッテ参った。
ソレガシが密かにお恋慕い申し上げた諏訪のヒメサマ、、、(´・ω▼メ)ヒメサマ
そのワコサマこと武田勝頼公は
新棟梁の座に着くや、美濃の明智城、遠江の高天神城と立て続けに攻略し、
ついにその矛先を、再び三河に向け申した。
長篠戦役とは、
天正3年(1575年)、
(ソレガシが川中島で戦死した14年後じゃが)
武田軍による要衝長篠嬢奪回作戦によって生起した、
織田・徳川連合軍との間の激戦を指し申す。
そのなかでも、
それまで連戦連勝の武田勝頼公が、
卑怯にも数を頼む織田・徳川連合軍の謀略にハマって、
痛恨の大敗を喫してしまった、
設楽が原の戦いが有名でござる。
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(C)どれみそくん
新城市教育委員会編の地図。
前回は、
青字の辺りを探索したので、
今回は赤字に示した馬防柵北のはずれを見て参った。
武田軍の右翼は馬場美濃守信春(信房)、、ソレガシのライバルだった方でござる。
ついで真田兄弟、、父君の幸隆ドノにはお世話になり申した。
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「赤ふぁ」地点から北を見まする。
ちょうど正面の丘から馬場隊が佐久間信盛隊に攻めかかったのでござる。
(佐久間隊は意味深にも柵の前に布陣)
当時は田圃も里山もなく、この辺りは採草地の草原でござった。
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(C)どれみそくん
「赤ふぁ」地点より南西を見まする。
住宅の後ろにある小さい「高地」が丸山と呼ばれる丘で、
ココをめぐって激しい攻防が生じたのでござる。
馬場隊は佐久間隊を突き崩して丸山を占領し申したが、、、、
暇なヒトは新田次郎の「武田勝頼」をよんでくらはい。
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なんと、第二東名拘束の工事を、、、
古戦場を拘束の巨大な橋脚がぶった切る。
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里山も墓地もお構いなしでござる。
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(C)どれみそくん
あちこち歩いたら腹が減ったので、
長篠城近くの医王寺へ移動。
ココは長篠城攻囲戦時に勝頼公の本陣があったところでござる。
店の名はそのまま「本陣」。
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店内には四如の旗が、、、
ソレガシ感涙にむせび申した。
この辺りでは武田軍は結構愛されておりまする。
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なんと、、、
「勝頼君御膳」
をハケ-ン!
うな重を頼んだのはワコサマには内緒でござる^^;
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時間がないので、早々に作手(つくで)村へ移動。
標高500mの高原は設楽が原より少し秋が深いようで。
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ココは奥平氏の本拠地でござる。
奥平氏の居城、亀山城。
道の駅の裏手に城へ上る遊歩道がありまする。
奥平氏の暗躍については、
新田次郎の「武田勝頼」や宮城谷昌光の「風は山河より」に、
詳しく出ているのでヒマな方は読んでみてくだされ。
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曲郭や乾堀が好ましく手入れされており申した。
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深まりゆく古城の秋。
饅頭を肴に酒が飲みとうなり申した。
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雨が降り出したので撤収いたした。
野田城は別の機会になり申そう。
帰途の拘束は土砂降りでござった。
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サツ風景 | 日記
Posted at
2010/10/27 00:30:52