嗚呼、12月…( ̄Ω ̄)ボー
多忙を極めるオシゴト(タマニハスルノネ)、
重積する忘年会の二日酔い(アタマイタイ)、
大掃除や年賀状書き(マダナンニモヤッテナイシ)、
歳暮の選定でアレコレ悩み(ユージューフダンナセ-カク)、
ボーナスの支払いで財布も軽くなるなど(ボーナスクリョ~)、
最近はロクなことがないので、少しも楽しい気分になれない本官ではあります。
サンタクロースも来んし、、、、(´・ω▼`メ)ショボーン
こうなったら一人サンタするか( ̄ ̄m ̄ ̄*)プ
しかし、
子供の頃はどうだったかというと、
妙な高揚感に支配される月でありました。
ニヤニヤ((o( ̄ー ̄)o))ワクテカ
クリスマス、
冬休みにお正月、
プレゼントやお年玉の皮算用、
物欲と妄想の日々。
ここまではアタリマエに普通のお坊ちゃまクンしていました。
そして、昔も今もエキセントリックなファ少年が、
待ちに待ったその日がやってき松♪
「真珠湾」から一週間。
それは、
12月14日
なのにタイトルはヒトフタヒトゴ?って
ハイハイ、書き間違いではございません。
ま、最後まで読んでやってくださいませ。
12月14日は「忠臣蔵」…赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日。
昔は、この時期になるとTVでは忠臣蔵モノの再放送のオン・パレードでしたね。
ぐっと堪えていたものが、
バーン!とブチ切れるこの快感。
男子の本懐コレにあり。
敵は本能寺にあり☆
ノブナガ凸(`・ω▼メ)=3オモイシッタカ!
~(m ̄-▼)ノ ~(((怨
信長チャウチャウ、上野介。
( ̄▽▼メ川)アウッ
小学校4年生の頃、「忠臣村」だと思っていたことはここだけのナイショです。
「忠臣蔵」についてウチの秘書のオネーサン達に聞きました。
正答率40%。
真珠湾より有名とは…(汗;;)
( ̄ω ̄;)
みん友諸氏はきっとご存じに違いありませんが、、、
一般には「忠臣蔵」の名で知られていますが、
コレは赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件をテーマとした、
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目・「仮名手本忠臣蔵」と、
そこから派生した作品の総称であります。
元禄当時は「吉良邸討ち入り」や「赤穂浪士の仇討」と称されていたそうです。
関ヶ原の戦いから100年あまり、
元禄泰平の世を揺るがすこの大事件、
現代では元禄赤穂事件と呼ばれています。
事件の経緯を乱暴且つ極めて手短にまとめてみましょう…(^ω▼メ)ノ
元禄赤穂事件とは、
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、
江戸城松の廊下で、
播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が高家旗本の吉良上野介義央に対して、
鬱積する遺恨から殿中刃傷沙汰に及び、
将軍徳川綱吉の逆鱗に触れ即日切腹を命じられたことに端を発し、
取り潰された播州赤穂藩の元家老である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名が、
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、
江戸本所の吉良邸に討ち入り、吉良上野介を殺害したため、
幕府によって浪士全員が切腹を命じられた出来事を指します(フー、ナガカッタ)。
しかしながら、
本官は子供心にある疑問を抱いておりました。
討ち入りの日付は12月14日というのが当たり前のように言われていますが、
どう見ても、
夜半過ぎに行動を起こして
未明に討ち入りやん。
チャンバラして吉良上野介を討ち取ったころ、夜も白々と明けて来るし、、、
なんで12月15日とちゃうねん。
☆\(-_-)ナンデヤネン
そう思いながら、今までのうのうと生き長らえてまいりました(汗)。
ε-(ーдー)ハァ
ま、ブログネタにすることだし、
一度調べてみようということで、いろいろ調べますと、
12月14日(1703年1月30日)夜。
赤穂浪士は九つ(24時ごろ)の鐘を合図に行動を開始、
江戸市中3か所に集合の上、本所の吉良屋敷を目指したそうです。
やはり実際に襲撃したのは、未明の4時頃でありましたので、
正確に言えば12月15日(1703年1月31日)ということになり、
ファ少年の指摘は正しい。
∈( ̄o ̄)∋ ホーッ
誰でも分る罠、これくらい。
しかし、
江戸時代は
明け六つ鐘を1日の区切りとしたので、
当時の日付としては「14日の斬り込み」となるのだそうです。
( ̄ ̄▽ ̄ ̄;)Aシランカッタ
ついでながら、
雪が降っていたというのは『仮名手本忠臣蔵』での脚色で、
実際は凍てつくような満月の夜だったといわれております。
(`・ω▼メ)♪ソレガシハアヲキツキカゲ、、、、、カンスケチャウチャウクラノスケ
真珠湾攻撃の日はポルヒさんの誕生日ですが、
(´・ω▼メ)
武田家が天下に誇る諜報機関「諸国御使者衆」が、
みん友さん諸氏宅に速攻で侵入し、
公表分を判る範囲で調べたところによると、
14日と15日にお生まれのみん友さんが、
其々一名ずついらっしゃります。
お誕生日、おめでとうござりまする。
(* ̄∇ ̄)/゚・:*【祝】*:・゚\( ̄ω▼*)
上の画像は
「大石内蔵助良雄像」
赤穂大石神社蔵 江戸時代・作者不詳
をモチーフにデザインしました。
Posted at 2009/12/14 21:37:28 | |
トラックバック(0) |
蒼空の墓標 | 日記