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ファルケ少佐のブログ一覧

2009年08月17日 イイね!

余録、、ミリヲタ談義

ココからはオマケです。
気楽にいきます。


画像提供964RSR閣下

資料館1F、軍艦・飛行機模型を前にして、話し込んでいたところ、

九:「この零戦(れいせん)21型、赤城の搭載機ですね」
フェ:「板谷少佐?」
ファ:「尾翼にAI-101と書いてあるから板谷少佐じゃないね。少佐はAI-155」
九:「真珠湾攻撃当日の赤城艦上の写真に繋止されているのが写ってますね、コレ」
フェ:「増タン付いてないから、上空直掩隊かな」
ファ:「見て見て、日の丸ヘンだよ。白縁が付いてる」
九:「考証がダメですね」

その時、、、、です。

館長サン?語り部??(右端)の方がやってきて、
「ゼロ戦」の「蘊蓄」を「騙って」下さったのですが、、、。

曰く、、、

「これはゼロ戦。世界最強の戦闘機です。どこがすごいかというとスピード、上昇、急降下性能、航続距離、そしてナニよりも凄いのはプロペラの間から機銃を発射できる事です!米軍は墜落したゼロ戦をバラバラに分解して調べて、グラマンを作った、、、」

(」 ̄x ̄)」ショッ!? (/||  ̄□ ̄)/ショエェェーーーッ!!

もう少し勉強をお願いいたします。
明日を担う若者や子供がヘンな幻想を抱いてしまうのは危険です。
零戦はある面では欧米列強の戦闘機に比べてすぐれたモノを持っていました。
しかし日本独自に開発した技術はほとんどなかったのです。

プロペラは米国ハミルトンスタンダード社製、
無線機は米国クルシー社製、
20mm機関砲はスイス・エリコン社製(同じものをドイツも米国も使っている)、、
7.7mm機銃は英国ビッカース社製、、、、
機銃のプロペラ同調装置は1915年にドイツのフォッカーEIII等がすでに採用、、、、
機体が頑丈でなく急降下速度は制限されていた、、、、、、云々。

しかし、とても親切にいろいろと世話を焼いてくださいました。
深謝です (^-^)ゞ






そのあと、、、

964RSR閣下のご自宅へ上がり込んで、
素晴らしいAVルームやガレージの964RSRを見せていただきました。
不躾に上陸しまして申し訳ありませんでした。
この期に及んでトラ!トラ!トラ!を見るのはやはり悲しいミリヲタの性



ちょっとだけよ!
壁|oノωノ) )))))))・・・イヤーン♪
車高が低くてカッコイイです。
ドアに貼られた青い物体に注目。
業務上の役得で砂。



綺麗な車内
(何せ未使用ww)
ロールバーがレザー張りだったのには目を見張りました。
(。-_-。)ポッ



一見サンお断りなオーラを放つレバーらストラップ類。
空冷に乗っていた方なら大体分かるんですがw。
閣下、ここで朽ち果てさせるのは勿体ないです。
早く登録して本官も乗せて下さい。
(* ̄ ̄ ̄m ̄ ̄ ̄ )ノ♪



近場の焼肉屋サンへ繰り出して、

仮称・フェーン少佐の婚活に発破をかける会。

25歳などと贅沢を言っていてはダメ(爆)。
ココは一つ体当たりの精神で行って下さい。
見敵必戦ヽ(= ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄=)ノ(祈)武運長久






Posted at 2009/08/18 00:05:49 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月17日 イイね!

散る桜残る桜も散る桜(其の弐)

歴史資料館の外には朽ち果てつつある戦争遺物が展示されていました。
説明書きには、機上作業練習機白菊(わかりやすく言いますと、急降下爆撃機、攻撃機、偵察機等の複座機の偵察員の実地教育を行う練習機)の主翼の一部、白菊のエンジンとありますが、、、



真摯な眼差しで「先輩達」の遺物を見学するフェーン少佐ことじょーじさん
私のようなニセモノ戦闘機パイロットではなく、某国空軍のモノホンです。



これだけ見て白菊かどうかは不勉強のため判りませんが、分厚い翼厚や剥き出しのリベット打ちから見て、戦闘機や爆撃機などの実戦配備の飛行機ではなさそうです。赤っぽい塗料は保安塗装?それともプライマー?でしょうか。



操縦索(ワイヤー)点検口のステンシルがくっきりと残っていますね。



説明書きには白菊のエンジンと記されていますが、コレは大きな間違。
なぜなら、白菊のエンジンは、、、

日立天風21型空冷星型9気筒でして、
シリンダー配列は単列で、プロペラは二翅です。

オサシンのエンジンは複列14気筒で三翅プロペラです。
よく見ると、米国ハミルトンスタンダード社の定速ペラですね。
エンジン直径から、三菱金星エンジンではないかな、、というのが3人の一致した見解です。
ペラの曲がり具合から見て、不時着水したものと思われます。

鋳鉄製のシリンダーの大半は失われていました。
エンジンブロックやピストンはアルミ製のようです。
コンロッドや減速ギア、定速ペラのマスバランサーは鋳鉄で、キレイに残っていました。



その向こうに震洋(体当たり用モーターボート)のエンジンが転がっていました。
直列6気筒エンジンのようです。

いずれの遺物も、団地のカーポート程度の吹曝しに近い場所に無造作に置かれており、いずれは朽ち果ててしまうに違いありません。管轄されるお役所もこういった種類の遺物に対するデリカシィを持ってほしいと思います。





Posted at 2009/08/17 22:47:52 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月17日 イイね!

散る桜残る桜も散る桜(其の壱)

大東亜戦争敗戦の日から一日遅れではありますが、
地元みん友有志(964RSRさん、フェーン少佐、本官)で、
戦争と平和を考えるツーに行ってまいりました。

1100、PC@@へ集合。
PC@@の南2kmには海軍@@航空隊の飛行場がありました。



今なお、格納庫(大型機用)が綺麗に残っています。



津市香良洲町にある三重航空隊跡地。
現在は香良洲歴史資料館(旧若桜会館)となっています。
この正門は当時からの物です。
本来は「香良洲(カラス)航空隊」と呼称するべきなのですが、海軍隠語(ギョーカイ用語)の「カラス」とは制服の袖に善行章が付いていないヒトの蔑称を指すため、「三重航空隊」としたのではないかと言われています。



三重航空隊は太平洋の戦雲急を告げる昭和17年に開隊されました。
海軍飛行予科練習生(予科練)とは、海軍航空機搭乗員を養成する教育課程です。
この地で、未来の海鷲を夢見る多くの少年たちが、厳しい訓練に明け暮れました。



彼らの大半は、激戦に投入され未帰還となりました。
とりわけ多くの隊員が特攻隊として驕敵米艦隊に突入散華されました。
彼等の死を無駄にせぬ為にも、
我々は戦争と平和について真摯に考えながら、
日本人としての矜持を忘れずに生きて行かねばなりません。

つづく
Posted at 2009/08/17 15:03:42 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月15日 イイね!

甲府ソロ・ツー(其の参)

さて、怒涛の進撃ラストワンです。
o(*ー ▼メ)o



姫の井戸。
諏訪の姫様ではなく、信玄公のご息女様のどなたかの産湯をとった?のだそうです。
この井戸から勝頼公に所縁のあるとされる茶釜が出土しました。
冷たく綺麗な水でした。
因みにこの手は本官のものではアリマセン。
この手の持主のおっさんが、ミニチュアダックスを連れておりました。
で、パズルパパさんどうしてるかな~と思い出していたワケです。



甲府を離れて諏訪へ向かうの図。
標高差700mにもなる長い上り坂の真ん中あたりでしょうか。
正面に雲をかぶっている山が、八ヶ岳の主峰赤岳(2899m)です。
かつて甲軍が信濃へ出征する際に、八ヶ岳の麓を通りました。
付近には棒道と呼ばれる直線的な軍用道路が残っています。

左側の裾野辺りが甲諏国境です。
ナニやら美味しそうな焼肉の匂いが漂ってくると思っていたら、
パズルパパさんとワニさん仲間達が、、、w



諏訪で降りて甲州街道を東に向って少し戻ります。
蓼科へのメインルートですので渋滞しています。
茅野で右折し、諏訪神社の近くを通って安国寺から杖突街道に入ります。
杖突峠への道はイイですよ~。
( ̄∇ ̄*)

フォッサ・マグナに沿って出来た断層崖を一気に登りますが、、、、
ここも白物ばかりで絶望的状況です。
2~3台抜いても次から次から湧いてきます。
Σ(▼□▼メ)



トロトロ走りでヒマです。
途中一瞬開けた展望を腰だめでパチリ☆
左から車山、八子ヶ峰、蓼科山(諏訪富士・女神山)、縞枯山、横岳
ヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ ♪



峠手前の展望茶店。
店内の展望台からは超絶な眺めなんですが、、、
一杯で入れません。
o( _ _ )o ショボーン



参考までに2007年11月のピンボケ画像を入れておきます。



峠を越えると、鄙びた集落を縫うようにして、
なだらかな下りのワインディングが続きます。



ちょっと停めてゲルベ2号をパチリ☆
前から見ると鼻ぺチャで愛嬌あるカエル顔です。
明るいところではデイライトはさして目立ちません。



水冷になって寸胴になったとはいえ、

やっぱり911はお尻だワ♪の一枚。



第二の目的地は高遠にあり。
蕎麦の「ますや」さんです。
ココはみんカラのポルシェ界隈では有名かも知れませんね。



高遠の街を見下ろすところにあり、ウッド基調の落ち着いたお店です。



高遠蕎麦を頂きました。
ざるは二枚出てきます。
焼味噌がいたくお気に入りの「どれ味噌少佐」(ファヌケ)であります。
因みに、ここの御主人は964海苔です。
高遠近辺の走りスポットを教えていただきました。
委細またいずれ♪
( ̄∀ ̄*)いch


高遠はフーリン厨にとってはまさに聖地です。
勝頼公は高遠城主として史料に初めてその名を残しています。
当時は伊奈四郎勝頼、または諏訪四郎勝頼といいました。
義信事件の10年近く前、武田姓を名乗る前のお話です。

信玄公は高遠城の改築強化を山本勘助と馬場信春に命じました。
本丸西側に甲州流の半円形の郭(くるわ)が現存しており、勘助郭と呼ばれております。
現在は駐車場とグランドになっています。

また、諏訪の姫様の墓所は高遠の建福禅寺にあります。
勝頼公が高遠城主時代に母親の遺骨をこの地に改葬したのです。
ここは、あくまで姫様個人としてのお墓なので、ネタにするのはやめておきます。
(-∧-)


帰路は拘束を降りて下道でブイブイやったのが響いて燃費は9.5km/lでした。
一日で700km少々走りましたが、疲れもなくまだ走り足りない気がしました。

(* ̄▽ ̄*)ノ"ホイ、ソコノネーチャン! マダマダワカイヨ~♪







Posted at 2009/08/15 23:27:01 | コメント(8) | トラックバック(0) | 911 | 日記
2009年08月15日 イイね!

甲府ソロ・ツー(其の弐)

昼前に甲府へ着到。
ピューッ!≡≡≡ヘ(*゚∇゚)ノ
小説では「古府中」「古府」と呼ばれることが多いですが、
勝頼公が韮崎に新府城を築城するまでは、府中と呼ばれていたのでしょう。



甲府昭和で拘束を降りてややこしい立体交差をくぐって、甲府市内へ入ります。
甲府駅北を武田通りに入ると、、、

武田一丁目ですって、、、、O(≧▽≦)Oキャンキャン♪



通りのどん詰まりが躑躅が崎館(武田神社)です。
碁盤目状の「城下」町は信虎公(信玄公の父上ね)が唐の都を模して作りました。
当時の日本には類のない先進的な都市だったのです。
神社の左右に駐車場がありますが、白物で一杯。
ε~( ̄、 ̄;)ゞフー



奥にもPありの看板を見て入って行くと、なんと!
∑(=o▼メ)ノ オォオォオオオ!!
東郭(くるわ)に特設Pが、、、、
ココは甲州流と呼ばれる半円形に突き出た郭が発掘されたところです。
こんなところにクルマを停めちゃっていいのでしょうか、、、御館様 m(_ _;;;)m



神社正面。
この商店会風の安っぽい四如の旗はカンベンして下せえ。



拝殿前で、、、
カメラを構えたのを見て、巫女サンがポーズをとって歩いてくれました。
(* ̄∇ ̄*)

拝殿には清酒「武田二十四将」の朱塗りの大杯が二対ありました。
武田二十四将というのは、、、
信玄公に仕えた有力武将たちを江戸時代になって一括りに称したものです。
日本百名山と同じでどうでも良いことなんでしょうが、
「どのクルマまでスポーツカーと呼ぶのか」というのと同じで、
誰を入れて誰をはずすか、揉め事の種のようで、、、汗;;;

しかし、911がスポーツカーと呼ばれることに万人異論がないように、
山本勘助も必ず二十四人に入っております。
ヾ(☆o▼メ);;;ヲホホホホ~



御館様は何のために使われたのでしょうか。
水が濁っていますが何か。
(; ̄ー ̄A アセアセ・・・


Posted at 2009/08/15 15:01:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | 911 | 日記

プロフィール

「神の加護は我らと共にあり続けん」
何シテル?   01/13 00:25
大ガミラス帝星第2航宙艦隊第26戦闘航宙団  ( ̄w ̄;;) の落ちこぼれ万年少佐。ときどき総統や井上靖の山本勘助キャラになる自己韜晦的人物。
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