義兄に紹介され
酔仙という銘柄を知ったのは一昨年のこと。
蔵元は妻の実家への途中にあるため、以前から行ってみたいと思っていましたが、昨夏に叶いました。
看板は大きく出ていますが、一般人が入ることを想定していないためか敷地内の案内は今一つで、おっかなびっくり進むとようやく事務所と覚しき建物を発見。
我々の車を見て事務所からパラパラと数人の職員が出てきました。こちらも何だか侵入者になったようでドキドキしましたが、来訪の趣旨を告げると、快く案内してくださいました。そういったドキドキの中で撮った写真なので、いつも以上にイケてないことをご容赦ください。
この建物は事務所のトイメンにある倉庫(?)で、敷地内にはこのような立派な建物が複数ありました。
事務所脇の杉玉が造り酒屋であることを示しています。写真左側のスペースにいろいろな展示物があります。
酒造の行程を人形で示しています。蔵元をいくつか見学してきましたが、こういうディスプレイをしているところは初めてでした。
相撲部屋での鏡開きのようですね。
最近の総理大臣の色紙には「國酒」という文字が。どなたもパッとしない方々でしたが・・。
妻が二人目を妊娠中だったため、出産祝い用に奮発して最高ランクの「大吟醸 鳳翔」を買わせて戴きました。
今冬次女が無事誕生し、義父と「鳳翔」を酌み交わしましたが、古酒のような味わいなのに新鮮で、日本酒度が高いのに淡麗でと、今まで経験したことのない味のする 何とも玄妙な美酒でした。
首都圏に営業に来たり、総理大臣に「國酒」と書かせたり、日本酒だけでなく焼酎も造ったりと、「鳳翔」を飲むまでは"地方のやり手"という感が拭えませんでしたが、飲んで酔仙に対する印象が一変しました。
米の醸造酒にしか出せない深い味わいを堪能しながら、次女が無事産まれたことと、日本酒を飲める国に生まれたことに感謝しました。
そして、2011年3月11日を迎えました。
東日本大震災の衝撃的な映像は数多く放映されましたが、その中でも陸前高田の街が津波に一呑みにされる映像は私にとって最も衝撃的でした。
画面下部の「酔仙」と誇らしげに掲げられた看板が一瞬で津波にのみ込まれてしまったときには、「酔仙が・・、酔仙が!」と何度も叫んでしまいました。
その後、被災地の様子を伝える映像の中に、酔仙の社長が避難所を回って従業員の安否を確認して回り、出会えた従業員と泣いて抱きあうというものがありました。
酒造が流されてしまっても、文化を伝える種火が確かに残っている、という思いを強く抱きました。
震災後、特に放射能の恐怖は乳幼児を抱える親として甚大で、しばらく鬱状態となっていました。
しかし、私が受けた被害は、職場の軽微な損傷と計画停電による軽度の事業停滞程度です。
状況が整理できてくるにしたがって「家もあり食事も不自由せずお風呂も自由に入れるのに、こんなに落ち込んでいるのは失礼だ」と思うようになってきました。
子どもも居ますので、現地に伺って身体的に貢献することはできません。
私に出来るのは、募金と、現地の産業のすばらしさを小さいながらお伝えすることくらいです。
酔仙は絶対に蘇ります。
最初は思うようなお酒は造れないかもしれません。でもいつか「鳳翔」を凌ぐような、復興の象徴となるような「國酒」を造ってくれると思います。
それまでも、それからも、私は酔仙を買い続けたいと思います。
Posted at 2011/04/03 23:10:10 | |
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