歴史に出てくる、戦い、変、乱、役の違い
❶戦い
戦争そのものを指し、「合戦」や「戦」と同様に用いられる言葉です。
「変」、「乱」、「役」の特徴に属さない争いを戦い(合戦、戦)と
一般的に定義されています。
❷変
「異常な出来事、動乱や政変が起こること」を意味する言葉です。
歴史上の戦いにおいての変とは、政治体制などに不満を持った者が
起こした戦いの中で、支配層の中で起きた権力争い。
また、権力を持った皇族や将軍が、政治的陰謀によって倒されるか、
流罪など一方的に不当な立場に置かれる争いと一般的に定義されています。
❸乱
「大きな騒動や争いが起こり、世の中の安寧が乱れる」という意味の言葉です。
歴史上の戦いにおける乱は、様々に定義されていますが、時の政治責任者や
権力者に対して起こった大規模な争いであり、政治的に大きな変革が
起こった可能性が高い出来事のことを指します。
❹役
役とは、特に辺境の地での戦いと定義されています。
また、外国を相手にした戦いに対しても役とされています。
歴史に出てくる、戦い、変、乱、役(代表例)
❶ 関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いは、1600年(慶長5年)、徳川家康率いる東軍と
石田三成率いる西軍が、関ヶ原を主戦場とした野戦。
天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の戦いは、たった6時間で終戦し、
徳川家康が率いる東軍が勝利しました。
この早期決着の要因は、石田三成の重臣「島左近」が合戦中に倒れたことや、
「小早川秀秋」の裏切りなど、石田三成の誤算が重なったこととされています。
関ヶ原の戦いにおける東軍の勝利は、のちに徳川家康が征夷大将軍となり、
260年以上に亘る江戸幕府と徳川家の長き歴史の足掛かりとなったのです。
❷ 本能寺の変
本能寺の変は、1582年6月2日、明智光秀が謀反を起こし、
京都四条西洞院本能寺に宿していた織田信長を急襲して自害に追い込んだ、
歴史的にも大きな出来事です。
この本能寺の変では、織田信長の遺体が発見されていません。
明智光秀の謀反に関しても諸説あり、謎の事件として語り継がれています。
本能寺の変は、安土桃山時代に起こった戦いで、織田信長は、
同じ支配層の中で腹心の1人でもあった、明智光秀に討たれたのです。
このような下克上の意味合いが強い出来事は珍しくなく、
戦いの勝敗に左右されず、「天下国家」を手にしようとする、
新しい権力者や実力者が、次々と台頭した時代背景の影響だと考えられます。
❸ 壬申の乱
672年に、天智天皇の後継者をめぐり起こった古代日本最大の内乱です。
皇位継承の座を、大友皇子と大海人皇子が争いました。
この壬申の乱は、反乱を起こした側の大海人皇子が勝利し、
天武天皇として即位して終結しましたが、朝廷が、
支配層にある2つの勢力に分裂して対立した内乱だったことから、
乱と定義すると考えられるのです。
このあと、天武天皇を中心とした朝廷政治の基礎を確立した戦いであり、
政治的な大きな変革が起きたと言えます。
❹ 文永の役
文永の役は、元寇や蒙古襲来と、まとめて表現されている戦いで、
1274年、1281年の2度に亘って、
元王朝(げんおうちょう:旧モンゴル帝国)が日本への侵略を行った戦い。
のちに「神風」と表現される暴風雨も手伝って、元軍を退けることに成功。
鎌倉時代においては最も有名な、外国を相手にした戦いです。
刀剣ワールドより
Posted at 2026/06/08 03:54:06 | |
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