A県K市の公団住宅に住んでいた時のことです。
その日はランエボのホイールを自家塗装するため、塗装ブースの材料となる大量のダンボールを調達したところでした。
自分の部屋は9階でしたが、近くに住んでいる会社の先輩にも手伝って貰いどうにか運び上げます。
部屋の入り口は階段の踊り場にあるため、一旦ダンボールを踊り場と階段付近にまとめ置き、少しずつ部屋に入れることにしました。
先輩と雑談しながらも作業は進み、あと一往復で全てのダンボールが室内に運び込めるというくらいの時です。
踊り場に出ると、階段を塞ぐダンボールの向こうに困惑の表情で立ち往生する1人の女性がいました。
自分と同い年くらいでしょうか。
茶色い髪をした、白人の女性です。
背丈も平均的な日本人女性とさほど変わらず、かけた眼鏡がよく似合う物静かな雰囲気の持ち主でした。
そういえば白人男性が踊り場の向かい部屋に入っていくところに居合わせたことがあります。
きっと同居人ですが、部屋への進路はダンボールが塞いでしまっており、日本語が出来ないのか突然の自分の登場に驚いたのか、なんか固まってしまっています。
自分も一瞬、どう対応したものか迷いましたが、常識的に考えてやることは決まっています。
欧米の方にも親しみやすいよう、オーバーアクション気味に身振り手振りを交えつつ
「ごめんよ。まさか人が通るとは思わなくて・・すぐにどかすから。」
「さあどうぞ。もうしないから許しておくれよ。」
という意味の台詞を流暢な
日本語で吐きながらダンボールをどけ、彼女に道を開けます。
実際の口調は丁寧語でしたが、マコーレー・カルキン少年が降りて来てくれたようでなんとかうまくいきました。
途中で先輩も出てきて2人がかりでレディーファーストに徹したことも功を奏したのでしょう。
気分を害した様子もなく、くすぐったそうな表情で部屋へと消えて行きました。
更に先輩ともどもその場で余韻に浸っていると、すぐに彼女が笑いながら何か話しているのが聞こえてきました。
相手が例の白人男性かは分かりませんが
「今、表で向かいの日本人がねwwwwおkwwwwレディwwファーwwブルスコwwww」
みたいなことを話していたに違いありません。
本当に良かったと自分は思いました。
故郷を遠く離れて心細い思いもしているであろう彼女に、一時でも笑顔を取り戻せたのですから。
いや、普段も笑っているとは思いますが。
そうこうしている内に夜が訪れ、先輩も帰って行きました。
いい時間になったので、シャワーを浴びて寝ることにします。
それは、シャンプーを始めてすぐのことでした。
バスルームの壁がものすごい音を立て始めます。
まるで拳を思いっきり打ち付けているような音が、何度も繰り返し聞こえてくるのです。
音がするのは一箇所、向かいの部屋とこちらを隔てる壁のみです。
建物の構造から判断すると、壁の向こうもバスルームのはず・・。
何事でしょうか。様々な想像が脳裏を駆け巡ります。
ラップ音?
マコーレー少年に降りて来て貰ったのがまずかったのでしょうか。
古代中国ではこれを魔降霊軽禁と呼び、危険なため安易な使用を禁じていたとか。
ううん、某書房の読みすぎ。
あの彼女の不器用な感謝の表現?
だったら嬉しくないこともないですが、凄く違う気がします。
男性、つまり旦那の方?
だとしたら動機は?
彼とは踊り場で一度だけかち合ったくらいしか記憶がないんですが。
そういえばその時はシカトしときましたが、レディーファースト的にはそれくらい普通のはずだし・・あれ?違う?
いや、そういえば聞いたことがあります。
白人女性に口笛を吹いただけで大変なことになった黒人少年の話を・・。
ちょっと死を覚悟しました。
確かそんな大柄ではなかったですが、服の上からでも筋骨隆々なのが丸分かりな、ターミネーター2とフリーザ様を足して2で割ったような感じだったもんなぁ・・彼。
あ、ミルコにも似てましたミルコ・クロコップ。
飛び道具とか甲冑でもあればともかく、決して一般人が戦ってはいけないタイプのキャラ。
だいたいなんでそんなのがここに住んでるかな。なんか航空自衛隊の基地みたいのは近くにあるけどサ・・。
そんなことを考えている間も壁はガンガン鳴り続けています。
どうしたら止めてくれるでしょう。
いきなり謝るのも変ですし、なにより
下心があったのを認め誤解を招く恐れがあります。
これはもう、さだめとあればこころをきめるしかありませんね。
すぐにシャワーを止めると
「ほ~らもういませんよ~お風呂出ちゃいまちたよ~」
と心に念じながら息をひそめることにしました。
色々と支離滅裂ですがそれくらい動揺していたと思って下さい。
暫くするとなんとか音は止まり、自分もシャンプーだけ流しバスルームを出ました。
さてここからが問題です。
最悪の事態を想定するならば部屋中にトラップをしかけまくり、ホーム・アローンvsターミネーター2の準備を進めるべきところです。
が、それをするには少々疲れすぎていました。
ホイール塗装も思ったより缶スプレーの乗りが悪くて苦戦しましたから。
なので少しだけゲームをしてから布団を被って震えながら寝ました。
翌朝はバッファローの生首とかが玄関先に転がっていないか心配でしたが、そんなこともなく普通に出勤出来ました。
それから向かいの2人には会うことがなく、次にその部屋の住人を見た時には別の白人でした。