ここで3階のある部屋の話をします。
前社長の自殺現場と噂されている部屋で、その後の情報収集で特定したものです。
それは仮眠室で、自分も入社してすぐ、同僚達と1度だけ使った記憶があります。
何かの待ち時間に、そこでの待機を指示されたんだったと思います。
布団なども用意されていますがやはり噂が浸透しているのでしょうか。
その後の調べでも、仮眠に使う人間はどうやら居ないようです。
続いてエレベーター。
自分の居るフロアまで来て開く音はするのですが、誰も降りて来ない。
こんなことが何度もありました。
1人でいる時に多かったです。
ちなみに6階は、エレベーターを降りると廊下の正面が自分のいる部署の入り口で、社員は上長を除けば入り口に背を向けて机に向かう配置です。
その夜は23時頃に警備員さんが最後の巡回に来ました。
それから一時間後くらいでしょうか。エレベーターの開く音がします。
空気が変わりました。
最近の歌に「生ぬるい風 とぐろ巻いたら それが多分 合図」という歌詞がありますが、初めて聴いた時、Hビルを知る人が書いた詩だと思いました。
そんな感じなのです。
エアコンの音がやたら大きく聞こえ、どこからともなく視線を感じます。
自分の正面と左側には夜になると鏡のように室内を映す大きな窓があり、うまく利用すれば振り返らずに周囲を見ることが出来るのですが、視線をやることが出来ません。
見えても困りますので。
歌ではその後「抜け出してって 抜け出してって」と続きますが、納期に絡め取られた自分が逃げられるはずもなく・・。
キレました。
「てゆーか、こんなんなってまで納期に追われてる自分の方が不幸だよな。」
普通に考えれば最初から真面目にやらなかったから追われてるだけで、言うほど不幸じゃありませんが。
「いやホント、倒れられたらどんだけ楽かって話だよ。なんで倒れないわけ?この体。」
怒りは自分にまで及びます。正しくないベクトルで。
「マジで後にしてくれます?それとも代わりにやって貰えますか?」
声には出してませんけど、完全にケンカ腰でした。
その後も何度かエレベーターが開くだけ開きましたが、気になりませんでしたね。
手に汗握る納期との戦いと怒りで、寒気も吹っ飛んでいました。
こうしてなんとか納期は守りましたが、間もなくT都の某団体への出向という運命が待ち受けていました。
出向者の選定には色々な判断があったようですが、2日で出来る倉庫整理を数週間満喫した影響は個人的にもあったと思います。
3年0ヶ月のいわゆる1人旅です。
この間に、Hビルで事件が起こりました。
6階のメンバーだった▲さんが、トイレの窓から飛び降りて亡くなったのです。
トイレはエレベーターの裏側にあり窓の下は一階の裏口に当たるのですが、月曜の朝、出勤してきた社員が裏口の前で▲さんの遺体を発見したそうです。
はっきりとした動機が分からず、憶測が飛び交いました。
出向を終えた自分が戻った後のある時、こんな噂を聞きました。
バイトの女性の中に●さんという女性がいるのですが、この人が最近ベランダの方を見て「あ、▲さ~ん。」と言ったそうです。
本人に話を聞いてみると、やはり彼女は見える人でした。
時々ベランダや廊下から、職場の方を見ている▲さんを目にするそうです。
そしてもう1人。
小柄で天然パーマと思しき中年男性も。
やはり廊下等から職場の方を見ていることがあるとのこと。
前の会社の社長でしょうか。
それまで6階のトイレは自分にとって憩いの場の1つで、窓のある個室に長居しては新鮮な空気を満喫していましたが、それ以来、入ったらまず窓を閉めるようになりました。
それからは、以前よりも謎の気配を感じることが多くなりました。
夜中と言わず早い時間から、何かの拍子にちょっと1人になっただけで「来た」こともありました。
6階だけでなく3階でもありました。問題の部屋ではなくエレベーターの近くで、やはり謎の開閉もありました。
そして再び、6階に1人きりで朝まで過ごすことになります。
ある業務の中間報告の書類に手こずり、終電を逃したのです。
▲さんの事件後では初めてのことで緊張も走りましたが、以前より冷静な部分もありました。
全てとは言いませんが、かなりの部分は気のせいなんじゃないかと。
なにしろ自分で何かを見たわけではなく、気配を感じただけです。
自分が過敏になればエアコンの音だって大きく聞こえます。
エレベーター?仕様でしょう。
気のせいではなかったとしても、自分は今まで乗り切ってきたという自信のようなものもありました。
時間は2~3時頃でしょうか。ある程度、終わる目処が付いた頃です。
来ました。
諸々が今までと同じです。
違うのは、キレる材料が余りないことくらいでしょうか。
時々あちこちから小さな物音もしますが、温度差等が原因で壁や窓が軋むくらいのことはよくあります。
「気付かなかっただけで、きっと今までもしていた音に違いない。」
「そして、これで打ち止めだろう。」
そう思った直後です。どこかで何かが床に落ちる音がしました。
思い浮かべたのはA4のコピー用紙の束です。納品時のまま紙に包まれた・・。
それが机から落ちた・・そう思わせるくらいの音量と質でした。
ですが、そんなものを落ちるか落ちないかのところに置いて帰る者がいるでしょうか。
それに、音のした場所というか方向がもう1つハッキリしません。
距離だけはそう遠くなかった気がするのですが・・。
見回して探すか。いや、なんだか嫌な予感がします。
探してはいけない気が。
そんなもの見つからなかった上に、見たくないものを見てしまう。
我ながら想像力豊かですが、あらかたそんなオチでしょう。
窓から飛んででも逃げたくなるようなものを想像しますが、具体的には浮かびません。
どうするか。
このままでもヤバイ気がしますが、キレる精神状態に持って行くことも出来ません。
場所を変えてみることにしました。
部屋の角の接客ブースに向かい、椅子を並べて横たわります。
角であることと横になったことで、背中に気配を感じないで済みます。
角ですから部屋に向かって90度方向にだけ意識を集中します。時々間接を動かして、金縛りになっていないことを確認します。
体勢が落ち着いたらキレる余裕が出てきました。
「こうやってこれからも納期に追われて生きていく自分とアンタ、果たしてどっちが不(以下略」
どれほど経ったでしょうか。
近くに気配を感じて目が覚めます。眠ってしまっていたようです。
暗闇の中に蠢く人影が。
二十歳までに見なかったらその後はずっと見ないで済むという話もありましたが、とうとう見てしまったか。
警備員さんでした。
まだ暗い内から、朝一の巡回を始めていたようです。
生還です。
これを最後にお泊まり残業は止め、少しして会社自体辞めました。