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風越 龍のブログ一覧

2016年03月11日 イイね!

3・11という記号

震災もはや5年。
記憶の彼方に消えてしまった方も多いのでは・・・と思います。
所詮関東地方では甚大な被害はありません。

でも、仕事を口実に南三陸で宿を取り、行って見たこと。
ニュースにならないだけで未だに震災は継続中です。
鉄道という重用なインフラは未だに開通しない・・・・・・。

駅跡を見て、街を見て、いい年こいたオッサンが己の不甲斐なさに打ちひしがれた。
あまりに酷い街の有様に・・・・・・。
その後、再訪時にはあまりに様変わりした街に・・・・・。
知っている景色が死んだ・・・、というより隠した、と感じました。

そして復興が遅いな・・・・と。
でも甚大な被害が彼方此方で予算を突っ込んでも広い範囲の被害の為、遅く感じるだけなのだと・・・・・。

忘れたい方も多いと思います。
ただあの震災の裏で多くの非国民とも云える輩も居ました。
亡くなった方の財布から金品を盗む、指ごとワイヤカッターで切断し指輪を持ち去る・・・・。
ATMから金を盗んだり・・・・・。
そういう裏面も含めて、やはり後世に伝えるべきと私は思います。

被害が少なかったから、あんたは気楽なんだ。
そう仰る方も居るかと。
確かに身内は失っていませんが・・・。

でも近所の警戒(消防団)、知り合いの店の片付け。
水はなく、食料も数日はマトモなものもなく・・・・・。
ようやく市の配給の水を手に入れ助かりました・・・・・・。
原発事故や食料品の不足など、決して気楽ではありませんでしたよ・・・・。
水は買いにいったけど1本もなく・・・・・。
買占めもあったようで酷いものでした。

市役所側も大混乱、情報ナシで指揮命令系統は途絶え、当初は酷いものでした。
役所も初の事態に気の毒と云えば気の毒ですが。

あるもので食い繋ぎ、店が再開した時には嬉しくて嬉しくて・・・・・・・。
休みなど2週間はなく、自身もまた体の異変を感じ医者での診断は高血圧・・・・・。

毎日の余震、ごごごご・・・・・・・という音と共に揺れる家。
仕事も毎日、余震の度に止まったり・・・・。
あまり被害がない土地でも良い思い出はありません。
毎日、余震にビビッてました。
特に寝ているとき。

ガソリンも3月11日に入れたきり、暫く給油も出来ず会社の指定給油所で上司を連れて何とか3000円分給油して、燃料計の針がぐぐぐ・・・・・と上がった時の感激は今でも忘れられません。
IT関連担当という事で弊社の緊急車両扱い。
上層部の判断でした。


ただ・・・・。
震災の記憶の風化が怖い。
人の無関心が怖い。

忘れたいし何もなかった事にしたい。
でも、そうはならない。

心身共に被害を受けた方々が笑って暮らせるようになって欲しい。
無念の死を迎えてしまった方の冥福を祈ります。

3・11という記号にならないで欲しい。
切なる願いです。

144618(ひとよんよんろくひとはち)。
仕事中、しかも障害対応中。
CEOの前ですので手を止める訳にはいきません。
こちらも生活を、自分を守る事に必死ですので・・・・・。
仕事しながら頭の中で最敬礼。

全ての人が笑って過ごせるようになって欲しいものです。
色々な人が居て色々な考えがあるけど、何かしらの形で自分で消化して生きる事は(生き)残った者の義務ですから。
ただ、もう少し世の中に明るい話題が欲しいものですね。

あと、茶々入れる人が居ますがそういうコメントは残したまま、完全に無視します。
私は決して善人ではないけれど、陛下の民として感じたことを書いただけ、ですので。
Posted at 2016/03/11 23:29:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 震災報告 | 日記
2015年05月31日 イイね!

防災対策庁舎と落橋

今回訪問の防災対策庁舎。

正直、ここに立つには躊躇と迷いと、色々な気持ちが錯綜しました。

ご遺族の方からすれば見るに耐えない建物です。
出来ればあの日を思い出すものは消し去って欲しいでしょうね・・・・・・。

ある事をする為に此処に徒歩で立ち寄りました。
「あん」で、あるものを調達してから。
余所者ですので、ご遺族の参拝をしていない事だけ確認して・・・。
気分を害されると、私としては嫌ですので。

面白半分で写真を撮ったりはしゃいだりすること。
多分ご遺族の方が一番嫌がる事と思います。

こういう写真は不謹慎という方もいるでしょう。
消防関連の末席を汚すものとしては、やはり知って欲しいと思います。

今回、ここに呼ばれた気がしてなりません。
スピリチュアルとかそんな事ではなく、私に合う場所、土地と合わない場所、土地があります。
出張もレールが敷かれてる?と思うほどあっさり決定しましたし、何らかの力が働いたのかも知れません。

そんな電波系の何かにお呼ばれされたようですが、私は、無関係な余所者としては、出来る限りの礼を尽くしたつもりです。
震災で亡くなった方の冥福を祈ります。










防災対策庁舎。
あえて私の文章を入れていない写真もあります。
私が見た何か、を感じていただければと思います。






















庁舎前の、池だったものと推測します。






ガードパイプの支柱のようです。













ここで街を再生する為の盛り土。








防災対策庁舎と吉野会館。







何かの柱だったもの。
私の力ではぴくりとも動きませんでした。
それがねじ切れていました・・・・・・。








落橋したようです。
字の通り、橋が落ちてしまったのです。







仮設の橋を渡りながら・・・・・・。

被害が広範囲過ぎ、かつ甚大で復旧は進んでいるものの進んでいないように見えてしまいます。
地味には進んでいるのですが・・・。
一つの県内、または市町村だけならばそれなりに進むのでしょうが、やはり広範囲過ぎた被害ゆえに復旧も、そう簡単にはいかないようです。
Posted at 2015/05/31 17:50:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災報告 | 日記
2015年05月31日 イイね!

気仙沼線 志津川駅 其の3

気仙沼線 志津川駅 其の3TOPはかつての志津川駅周辺。
こんなにも街が広がっていたのが・・・。
ホームもかなりの列車の発着が出来る基幹駅。








ホーム2面、3線。
軌道敷きだった事が分かるのはバラストがあるから。

もちろん誰も居ない志津川駅ホーム。
悪い記憶は消し去りたいが、でも後世に記録は残さねば・・・・。
想定外の災害とはこういうものなのだ、と。

また風化させたくないという思いもある。
当事者以外は記憶が風化し、忘れる。
そういう事は過去に起こったある事件で身をもって知っているので、こういう事こそ風化してほしくありません。
とはいえ傷が大き過ぎて未だに癒えないでしょう。
人も街も。
少しでも早く傷が癒え、傷痕が消えてくれる事を切に願います。







何やら建物があったらしい。
保線基地建屋でしょうか。







ホームさえ崩れ去る力。
使命を終え廃になった物とは明らかに違います。
無念というか、切ないというか。
渦巻くような何か。
そんな空気が漂います。

ただ拒否される感じはありませんでした。
なので撮影が出来ましたが・・・・・。
空気がからっとしていて、ここもまた人が集う場所の一つであったのだと思います。
元の姿に早く戻してあげたい・・・・・・。
その方がこの土地が喜んでくれるよ。

と、ちょっと頭がおかしいというか電波系のような事を書いているのだが、何かがあった、または拒否される場所ってのは物凄く居心地が悪くて、じーっ・・・・・と襲う機会を伺うように誰かに見られている感じがするものです。
そんな感じが全く無い。
マイナスの感じがまったくありません。

むしろ、また来いよ。
待ってるからさ。
そんな言葉をかけられたような気がしてなりません。







流し場。
作業員の手洗い場でしょうか。







鉄路の被害が甚大である事はこの後で知る事になった。
鉄橋のコンクリートの橋脚が折れ、破壊された跡を見た。
走行中に少しだけど・・・・・・。

また鉄路が戻って来る事を信じ願う。
気(動)車だからこその定時運行。
正確に何時に着くと予測できる交通機関は鉄道の他は無いと思います。
だからこそ通勤通学には鉄道は最高。
気仙沼線の復旧が早期に行われたら・・・と、この地に立つと感じます。







気動車同士の列車交換が行われた筈の場所。
今はもう、それすら夢だったんじゃないか、と思えてしまう。







長いホームです。
6連くらいの列車であれば余裕で発着出来そう。
臨時列車で賑わったのでしょうか。







あても無く彷徨いながら・・・・・・・。

呼ばれる方向にレンズを向ける、というのが正解かも。
そこには何かがあるから・・・・・・。







国鉄時代に造られたホーム。
まさかこんな事になるなんて、誰が想像したでしょうか・・・・・・・・。







折れた電柱と防災対策庁舎。
亡くなった方々の冥福を祈ります。







ホームのエンド部分と吉野会館。







列車が向こうから走ってきた筈の場所。
その築堤も崩れている。
重機で突き固め、そう簡単に崩れる筈は無いのだが・・・・・。
自然の力の大きさ、恐ろしさを感じます。







あっさりと崩れるものではない。
それがこんな姿を晒すとは・・・・・・・。
崩れた斜面のようになっている左側から5メートル程度は築堤があったと思うのだが。
※ホームの形からの推測ですが。






道路のオーバークロス。
そのコンクリート部分はキッチリ残っているのだけど・・・・・。
盛り土部分はこうもあっけなく・・・・・・。







別の角度から。
信じがたいくらい盛り土部分がごっそり抉られています。







ただの荒地になってしまったロータリーの反対側。
ここが国内である事が信じがたい。
鉄路の復旧はまだまだ先のようだ・・・・・・。







土留めのコンクリート。
それがこんなにひん曲がって・・・・・・。
どれだけの力がかかったのだろう。







生まれて僅か40年余りでこんな事になるとは、君らも想像していなかっただろう?。







仕事時間を融通しての撮影です。
それ故にあまり自由はありません。
もう仕事に戻らねば・・・・・・・・・・・・。

要領の良い人間ではないのだが、相手の期待値以上の仕事をするように心がけている。
抜け出した時間分以上の結果が出ればヨシ。
要は仕事の結果をスポンサーが満足するか否か、だけです。
この後、否が出ないようにリカバリーを必死にしてきました(笑)。
Posted at 2015/05/31 13:50:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災報告 | 日記
2015年05月25日 イイね!

気仙沼線 志津川駅

辛い記憶を引き出してしまう写真かもしれません。
そういう方は見ない事を薦めます。

面白半分で掲載しているつもりはありません。
現地の今の様子を、私の感じた何か、を伝えられたらと思います。

少しでも多くの方が訪れ、人が動けば地元も色々なものが動きます。
そうなって欲しいと願いながら・・・・・・。















------------------------------------------------------------------------------









志津川駅を望む。







駅の周りは何もありません・・・・・。







志津川駅の築堤上。
レール等は撤去されたものの・・・・。
そのほかのものはそのままに・・・・・・。

重機等で突き固めた築堤だが、崩壊している部分が多い。
どれだけの力がかかったのだろうか。







吉野会館を望む。
築堤から見る街は・・・・・・・・。







プラットホーム。
上り線、下り線、折り返し線の2面3線あった志津川駅。
人が乗り降りした位では壊れないホームも崩れていた。







ねじ切れた柵。
どれだけの力がかかったか。
分かるかと思います。







石積みが崩れたホーム。
撤去の際に壊した(壊れた?)のでしょうか。

これがホームなんて、にわかに信じ難い光景です。







吉野会館を望む。
ホームにはとてつもない大きな力がかかった・・・・・。

コンクリートの頑丈な構造物だけがそのまま残った。
あの日のまま。







折れた電柱と吉野会館。
この姿を見て、あの日、あの時の力の壮絶さ。
それを感じる。
人などあっという間に抗う事無く・・・・・、だったに違いない。







一部残ったアスファルト。
これもまた、あの日のまま・・・・・なのでしょう。





列車交換が出来るくらい、それなりに基幹となる駅だったはずなのだが・・・・・。
今や見る影も無い。







大きな歪が出たホーム。
遠くに見えるのは防災庁舎。
町の職員の方だけでも40人以上が犠牲に・・・・・・。

あの日、庁舎の高さを上回る津波。
ここもひとたまりも無かった筈だ・・・・・・。

鉄橋を支えるコンクリートの橋脚が折れ、築堤は流され・・・・・・。
重要なインフラさえマトモに修復されていないように見える。
しかし被害が大き過ぎて、のんびりしているように見えるだけなのだと思う。

重機は唸りを上げ、ダンプなどのトラックが走り回り・・・・・。
一点集中が出来れば一気に出来るとは思うのだが。
それは現実的に不可能だし、街としての機能を完全に取り戻すには私の世代が棺桶に入る頃ではなかろうか。
其の頃には人々にも笑顔が戻り、過去の凄惨な記憶も整理がついているだろうか。
一日でも一瞬でも、少しでも早くそうなる事を強く願う・・・・。







ここに止まっていたキハの姿を想像しながら・・・・・。
あの日より前に戻ることが出来たら・・・・・・・・・。
何もなかった頃に戻ることが出来たら・・・・・。
なんと幸せな事だろうか。







このコンクリート構造物は・・・・?。







改札への階段でした。







鉄筋コンクリートですらこの有様。
トン単位の力がかかった事だけは想像がつく。

人間など無力だ・・・・・・・・・・。
そう思い知らされる。
Posted at 2015/05/25 22:25:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | 震災報告 | 日記
2015年05月14日 イイね!

南三陸町(東日本大震災は今も続いている・・・)

5月14日。
東日本大震災で甚大な被害を受けた南三陸町にいます。

こういう事をUPすると茶化す方も居る・・かもしれません。
私自身には何を云っても構わない。
しかし亡くなった方々に鞭を打つような発言はしないで欲しい・・・。

以下、WIKIより。
危機管理課の女性職員は繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。音声は、放送を続けようとする女性職員の声を遮るように「上へ上がって 未希ちゃん 上がって」という周囲の制止の声を最後に放送が途切れている


15メートルを超える津波。
現地に立ち、想像を絶する。
人間などいかに無力な存在であるか・・・・・・・・・・。
改めて思い知らされる。

直接の同僚ではないけれど、私と同じ組織に所属する方も多く亡くなっている。
何とか被害を少なく・・・・・と頑張って亡くなった方たち。
その方たちに合掌。
残された方々の心の整理が少しでも進む事を強く願います。




草原の奥に動く重機たち。
元々、此処は街だった場所。







かさ上げ中の場所。
震災当時、誰もが15メートルの津波なんて来るとは思っていなかった・・・でしょう。
田老地区なども堤防があるから大丈夫・・・と思っていたら堤防はあっけなく決壊。
今回の震災は半端なく大きかった事が今更ながら分かります。

被害が少ない地域でも役所からの情報はほぼなし・・・・・。
唯一の情報は水を供給してくれる場所のことだけ・・・・・・。
私も公務の後で水をもらいに行き、ギリギリ入手出来ました。
飲料水となるものは皆売り切れ。
または店舗閉鎖で入手不可。
上水道は全く使えない、井戸水は汚染が酷く飲用不適・・・・・・・。
※震災後、井戸水が真っ黒になりました

その後の視察で火事場泥棒が多かったとの事でした。
其の者共は打ち首、獄門に処す・・・、と云いたくなりました。
遺体の指をワイヤカッターで切断し指輪を盗む、財布の中身は盗む・・・・。
挙句の果てにはATMまで。
人のする事じゃない・・・・。







周囲に家は全くありません・・・・・・。







川面は何も無かったかのように穏やかに輝きます。







今、開発中としか思えない景色。
でも此処には街があった・・・・・。







南三陸町防災対策庁舎。
ひとまず手を合わせてから。

この建屋よりも高い津波が来て、職員や町民を飲み込んだ・・・・・。

気分的に号泣。
それ以外の感情はない。
沸いてこない・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今回の震災で亡くなった方に合掌。
亡くなった役場の方々に合掌。
亡くなった同僚の方々に合掌。







道があった筈なのだが・・・・・・。







防災の要、司令塔だった庁舎。
当時の姿は見る影もなく、地球には逆らえない事を理解させられた。

何かある度に思うこと。
自然や地球の脅威の前には人間など無力だ・・・・・。







海方面を・・・・。







何かがボルトで止まっていた筈なのだが・・・・・。
もげていた。








築堤が無い・・・・・・。
気仙沼線が走っていた筈の築堤が・・・・・。







鉄橋があった筈なのだが・・・・・。
撤去されたのか流されたのかは不明なのですが・・・・・。

地元の方々は知っている景色が大きく消え、知人や学友も消え・・・・。
そんな状態でも地元に残って支えている。
凄いなぁ・・・・・。
自分が同じ立場だったら、同じ事が出来るだろうか・・・・・。
自信がない。







もう4年も経つのに当時のままに残る。
ここに数百人の方が助かった吉野会館。
まだ震災は続いている。
今も継続中・・・・・。







ここも普通の道だったのだが・・・・・・。
今は通れない。







防災対策庁舎を海側から。







被災したガススタと吉野会館。


宿に向かう最中、押し黙ってしまいました。
誰から何かを云われたのではないのですが・・・・・・。

その一つの原因は役人か法人か不明ですが視察の連中。
手も合わせず、デジカメでバシバシ写真撮ってました。
私はそれが非常に気に入りません。

ここは観光地じゃないんだよ・・・・。
役人ならばこそ人の痛みを分かって欲しいものですが、この国の上の方たちには無理なのかな。
法人であっても、せめて手を合わせてから写真を撮るのが礼儀だろう・・・・と思ってしまう私は古い日本人なのかな。
死滅する方向であっても、私はそんな古い日本人で居たい。
調子よく生きればもっと楽も出来るし出世もするでしょうが・・・・・。
そんな事が出来ない、そんな性分なもので・・・・・。

本日泊まった宿のスタッフの方の身内で家族全員亡くした方も居て、地区でも役場、消防など数十人単位で亡くなったそうです。
東京に近い場所に暮らすと震災は遠い過去の事のように思えてしまう。
でも此処では今も継続中なのだということを肌で感じました。

明日まで仕事ですが庁舎に花を手向けられたら・・・・・と思います。
1発目の仕事をさっさと済ませ、さんさん商店街で花を調達できるかな・・・・。

仕事もあるのですが今回は南三陸に呼ばれたような気がしています。
こちらに行く、という話がさくさく進み上司(超偉い人)の決済もあっけなく出て・・・・。

明日も仕事の合間を縫ってですが、記録に励みたいと思います。
私が土に還る頃、こんな事があったんだね・・・なんて後世への贈り物になるでしょうか・・・・。

この土地に立ち、感じたこと。
まだ終わってない、まだだ!!!。
色々な意味が篭った、その声が聞こえてくるような気がしてなりません。
Posted at 2015/05/14 22:26:48 | コメント(2) | トラックバック(0) | 震災報告 | 日記

プロフィール

「朝顔とバッタ http://cvw.jp/b/331167/41958450/
何シテル?   09/17 22:36
正式名称:風越 龍(ふうえつ りゅう)です。 写真(もっと技術が欲しい・・・)とステアリングを握って出かける事が3度の飯より好きです。車はテリオスが初です...
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