みん友である
ディレクターHさんが企画参加されている
auto galleria LUCEさんに行ってきました。
10月より12月27日までの開催内容は、「
YAMAHA POWER OF THE SPIRIT-ヤマハ4輪ユニット 最高峰への奇跡-」です!!!
レースヲタクのわたしにはたまらない企画展示で早速デジカメを抱えて行って参りました。
(すいません。行ってきたのは10月のことですが・・・笑)
入口を入ると真っ赤な個体が・・・
ヤマハOX99-11 です!!!
OX-99-11概要by Wikipedia
1989年よりフォーミュラ1へエンジン供給という形で参戦を行っていたヤマハは、レース活動にて得た技術を活かして初の4輪車を開発する。市販を前提としてはいたものの、そのコンセプトはロードゴーイングF1という浮世離れしたもので、いわゆるスーパーカーと呼ばれるジャンルにカテゴライズされる。1992年5月、生産、販売を行う予定だったロンドンで発表会が行われ1994年にデリバリー開始とアナウンスされたが、想定通りには注文が入らず、さらにバブル崩壊が追い討ちとなり、結局1台も発売されることなく2003年に計画は終了してしまった。発売予定価格は100万ドル(当時の換算で1億3000万円)といわれた。

もう1台はカウルフルオープン状態で展示しております。バイクのようなタンデム2乗りです。同時代に設計されているマクラーレンF1はパッセンジャーが運転席の左右にあり3人乗りでしたね~
ボディーデザインはムーンクラフトのあの由良拓也さん。エンジンは当時F1シリーズで戦っていたOX99をデチューンして搭載。その車名はエンジン形式名からきていたんですね!
ディレクターHさんの話によると、当時ヤマハ上層部でF1参戦かスポーツカーを作りたいのかとうい論議がされていたそうです。結局技術者としてヤマハはF1参戦の継続を選択。このスポーツカーの市販化は夢となってしまったようです・・・
その他にも興味深い展示車両がありました。
Tyrrell YAMAHA 020C OX10A搭載
1994年シーズンのカラーリングですが、実際には1993年前半に出走した車両。(よってこの仕様では、F1グランプリは走っていません)1993年のカラーリングは、紺主体のCABIN,CALBEEカラーです。
ナンバ-3は、片山右京さんのマシンです。元は1991年の020、そうあの中嶋悟さんが最後に乗ったF1マシンです!
片山右京さんのヘルメット、レーシングスーツも展示してあります。
トヨタ1600GTヤマハ製DOHCヘッドの9R型エンジン搭載
一見コロナに見えますが、正式名称に「コロナ」の文字は見当たりません。
1967年発売でトヨタ2000GTの弟的な存在だったそうです。(by Wikipedia)
ご当地ナンバーの「豊田 1600」をつけて乗ってみたい・・・(笑
ヤマハ4輪のレーシングエンジンであるOXシリーズのエンジンサンプルも多数展示されています。

OX66 V型6気筒 2000cc DOHC 5バルブ
主に国内F2シリーズ、グランドチャンピオンシリーズのマシンに搭載。ヤマハは5バルブを得意としており、バイクにも搭載されていました。理論計算上の最適のバルブ数値は4.5と聞いたことがあります。
(その昔、フェラーリF1、プジョーF1にも5バルブありました)
当時は5バルブによる重量増よりもパワーのが要求されたのでしょうか。いまでは軽量化、技術進歩のため5バルブというのは、ほとんど聞きません。

OX77 V型8気筒 3000cc DOHC 5バルブ
1987年より始まった全日本F3000マシンに搭載。腰下は60年代、70年代のF1にも使われていたコスワースDFV系!
1988年には鈴木亜久里さんによりシリーズチャンピオン!
翌年は規定により5バルブが禁止されたため、主戦場はF1へ。

OX88 V型8気筒 3500cc DOHC 5バルブ
1989年、ドイツのザクスピードと組んでF1参戦。
しかし、熟成不足により予備予選に通過できたのは2回のみ、鈴木亜久里さんに至っては全戦不通過・・・
翌2年目はそのザクスピードもF1から撤退・・・ヤマハは2年目を棒に振ってしまった・・・

OX99 V型12気筒 3500cc DOHC 5バルブ
1991年、名門ブラバムと組んでF1復帰。
M・ブランドル、Mブランデルと同じような名前の2人をドライバーに向かえ参戦。
職人気質のこの二人により数戦、入賞を果たす。
翌年は参戦2年目のジョーダンと組んだが、前年V8エンジン改良シャーシでは冷却能力不足でポテンシャルは発揮できなかった。
このユニットのデチューン版が、前述のOX-99-11に搭載されている。

OX10A V型10気筒 3500cc DOHC 4バルブ
1993年、ティレルチームと契約。
エンジン形式もジャッド社との提携により、V10 4バルブとなる。
翌1994年はセナ死去によるF1シリーズが混沌としレギュレーションも毎戦変更。
この混乱のなか、ティレル022は素晴らしい性能を発揮。
片山右京さんがF1シーズンで一番輝いていたシーズンであった。
この活躍により、当時のベネトンより翌シーズンのシートを打診されたという。
しかし日本人気質の義理深い右京さんは、複数年契約のティレルに残留。
1996年までティレルに在籍、1997年にはミナルディ。
翌年はプロストに放出された中野信治さんにミナルディのシートを譲り、F1より引退。
ちなみにこのエンジンのベースは、ジャッドGV型。
1991年にルマンを制したマツダの後継レシプロエンジンマシンのマツダMX-R01に載る「マツダMV10」は、このジャッドGV型エンジンの派生エンジンである。
また昨今のルマンマシンに搭載されているジャッドエンジンの基となっている。
うーん、ヲタクネタ炸裂!

OX11A V型10気筒 3000cc DOHC 4バルブ
1996年のエンジンレギュレーション変更により、排気量も3Lに縮小。
ヤマハは攻めに出る!
時代の先をゆく超小型ユニットとして登場。前述のOX10の写真と比べても一目瞭然。
1996年のティレルでは低迷するも、翌1997年には新たにアロウズと契約。前年のチャンピオン、デーモン・ヒルを擁し、必勝体制で臨む。
夏のハンガリーGPで、最終ラップまで首位独走!
しかし最終ラップ、ハイドロリックトラブルによる後退・・・2位・・・
ヤマハ、BSともに初優勝の夢は消えてしまった。
翌1998年、前年のアロウズとともに参戦を目指すも、アロウズ側は独自エンジン(といってもハート製)とテスト中両天秤にかけ、最終的にはアロウズは、アロウズV10を使用することなる。
以降ヤマハは4輪レース界から姿を消す。
トヨタがF1に参戦する際、初期はなんらかの技術協力はあったのせよ、主導はドイツTMGとなる。
二輪では1999年にワークスのヤマハ・モーター・レーシングを設立。
2004年には、バレンティーノ・ロッシを擁しチャンピオン獲得。
その後の活躍は、わたしがここで書くまでもなく、素晴らしい結果を残している。
(今シーズンは、motoGP,SBK,WSSで総なめである。)
先日トヨタ発表のレクサスLF-Aでもエンジン開発に関わっていますね。
ちなみに排気管に関しては、本家ヤマハ(音楽のほうね)が関わって音質にこだわっているそうです。
うーん、ヤマハって凄いんですね~
これ書いていて実感しました。

展示物のワンショット。
ブラバムBT60Y マーク・ブランデル 1991
スナップ写真にあるサインは、元ブラバム・スポーティングディレクター、現FIAオブザーバーのハービー・ブラッシュさんと当時ヤマハのエンジン開発責任者、現ヤマハ社長代行の木村隆昭さんのもの。
・・・これ欲しい・・・
みなさん、あと1週間ではありますが、
auto galleri LUCEさんに行って、ディレクターHさんのお話を聞いてください。きっとコアな面白いお話が聞けると思いますよ!
ちなみに入場無料!当然写真も撮り放題ですよ!
またミニチュアカーショップも隣にありますよ~
かなりマニアックな内容ですいません。
書かずにはいられなかったので・・・
最後に・・・片山右京さん、がんばってください!!!
あなたのそのような表情は、見ていても辛いです。
また、あの笑顔を見れる日を、待っております。
亡くなった方、ご遺族には心よりお悔やみ申し上げます。