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2023年01月20日 イイね!

はやり病で思ったこと その3

短波青年の車遍歴
1982 ジャパンターボGTーES、セダン
     購入後、マフラー交換とブーストアップから足回へ、外装は職業柄、
    当時認可されたばかりのドアミラーのみだった。
1984 今でも忘れられない3月10日、小雪かチラつき始めた東北自動車道
    下り248.6キロポストでクラッシュ、車は原型をと止めず廃車。
     乗り手は重症、2か月の入院加療。借金だけが残ったダメ社会人の典
    型だった。
1986 コロナ1600DX
     車のない生活を2年過ごし、結婚を期に先輩の車を格安で譲ってもら
    った。初めてのトヨタ車でしかも4速MT、高速は80キロを超えると
    騒音が酷かった。
1988 アコード2.0CA
     長男が生まれ、快適な高速移動を求めて箱替えを決意した。
     初めて新車、初めてのホンダ車、初めてのATと初めてだらけで不安
    もあったがこれがなかなかで、センターピラーと窓枠の太さ、ドアが閉
    まるときの重厚感、高速走行も良く走るいい車だった。
1995 オデッセイ ハイルーフ
     子供が3人となり、眠くなると後席で喧嘩する事が多くなり箱替えを
    決意。ホンダ車が気に入り2台目もホンダ。
    期待に違わずよく走りました。特に高速走行は低重心が効いてアコード
    同等の安定感があった。

クラッシュから二十数年
 山形県に転勤となり13年間家族の足となって活躍していたオデッセイが翌年に迫っていた。
 単身なので一人で乗るオデッセイは大きすぎる。
 郡山~山形間も高速道と一般道の違いは30分程度だったので必然的に東根~栗子峠~岳街道~郡山のコースを選択する機会が多かった。
峠越えと岳街道のタイトな山道はM的には好きなコースだったが、如何せん車が大きくて重い・・・。
スポーツセダンにでも戻すか?
当初漠然とした思いが現実になっていく・・・

楽しい日々
子供も大きくなっていたので、もう一度、スポーツタイプのFRに乗ろう。
郡山にはフィットがあるのでM専用ならZもありだ。
決心後の行動は相変わらず迅速で、山形から仙台港周辺の車屋さんに毎週末通う日々がつづく。
オデッセイの車検切れる3月までに、可能であれば2シーターの32Zを探したい。
事は思ったように進まず数か月過ぎた頃の2008年2月、仙台市閖上にある小さなカーショップに白のホンダS2000を発見、予算は遥にオーバーするが目の保養を兼ねて見に行った。

一目ぼれ
仙台マイカーショップ、確かにS2000はそこにあった。
あったけれども・・・その隣に佇んでいた46の318iMスポに一目ぼれ。
冷静を装ってその場を離れたものの寝てもBM、覚めてもBM。
悪い病気が数十年ぶりに再発し、山の神には事後承諾とし翌週には仮契約を済ませてしまった。

初めての外車
2008 BMW318Mスポーツ
     車引取り当日、仙台でオデッセイと車を入れ替えMは、恐る恐るスタ
    ンドでガソリンを満タンにする。
     この時、スタンドの店員が「アルミ気を付けたほうがいいですよ」と
    声をかけてくれた。
    後日検索すると購入時のアルミはBBSのRSーGTだった。

BMW沼へ一直線
オデッセイで走り慣れた関山峠だったが、峠を越えるころにはすっかり318iの虜になっていた。
FFを20年も乗っていたのに・・・後輪駆動の感覚・・・覚えているものですね・・・そしてとても楽しい。
2000CCのNAエンジンにしてこの加速感、ファミリーカー一筋だったMには強烈な車でした。
初めて手に入れた外車、しかも走りのBMW。
コンパクトかつ高剛性ボディー、素晴らしいハンドリング、7年落ちの車とは思えないすばらしい走り。

BMW3の世界
出羽三山一周コース、何周しただろう?
立場があるので御用になる運転はできなかったものの、318i後期のMスポは若かりし頃を思い出すには十分の車だった。
走行距離27,000キロから98,000キロまで7年間BMWの走りを堪能できた車でした。
7年落ちを7年乗って至った結論は43M3・・・
寝てもM3覚めてもM3・・・欲しいビームを出して3年・・・

Mの世界
少年の頃から憧れ続けた一番の世界。
3シリーズの頂点M3へ。
318を手にして5年、M3への思いは日々募るばかり。
栃木県のDに入庫した純白のM3、購入できる金額ではなかったものの、娘を伴って見に行った。(見に行ってしまった。)
当時の金額は600オーバー・・・
目に焼き付いたMのオーラ・・・

待つこと2年
2015 念願の46M3
     探し続けること2年、正確にはアルビンホワイトの右ハンドル。
     そして最もネックとなったのは価格。
     86の新車価格と同等以下。
     神の命令は絶対で、それ以外は中古ではなく国産の新車を買えと。
     86なら即決でいいとまで言い切られた次第です。
     運は昔から強いほうで、幸運にも最高の相棒にめぐ会えました。
     
最大の試練
SMGミッション故障
M3を購入し、半年たった頃、突然SMGが不調を起こしました。
5000回転以上でシフトせず、M3初のギアマーク!点灯。
Dで点検するも電気系と診断されます。その後フル加速時にはギア飛び+警告灯が常態化します。
地元や仙台の有名ショップに相談するも解決しませんでした。
Dの見積はSMGの交換で約150万・・・降りるしかないのか?
当時の個人記録簿には、
2015.09.26 5千回転以上でシフトチェンジせず(警告灯点灯)
       Dで点検するも電気系と診断された。 54,884㎞
2015.09.27 地元外車専門店で診断(クラッチ摩耗の症状と診断)
2015.10.07 フル加速でギア飛びが発生(警告灯点灯)
       地元外車専門店で整備を決心
2015.10.17 ○○へ入庫 55,184㎞
2015.10.18 ミッション、クラッチの状態確認(脱着状態が不安)
       ピボットピンが減っていたために群馬BMWに発注
2015.10.23 部品到着
       ピボットピンを整備工場へ(その場でピン装着できず)
       整備工場選定を後悔
2015.10.23 クラッチ交換終了したが、SMG初期化できず。Dへは出さず現状
      で返納させた。
      状況は整備前と変化なし。
      メモリーリセットし、試走するも症状に変化なし。
      各種設定もリセットされた。テレビは音声のみに。
2015.10.24 M3エンジンルーム遮熱板変形を抗議
2015.10.25 群馬BMWへ
      SMG学習させるも2・3速が学習不良、原因不明
      SMGリレー交換
東京のサンビームにたどり着くまで1年以上かかりました。
それでも尚、素晴らしい思いをいっぱいくれたM3は、別格の存在です。

Mを手に入れ素敵な世界へ
10年落ちのM3は、色々ありましたが、出雲、伊勢神宮遠征と思い出いっぱいです。
走行距離48,000キロから106,000キロまで7年間、M3の走りを堪能できた車でした。
購入半年後のSMG不調、完全復活まで1年、降りることも考えた故障を乗り越えて7年乗って至った結論が・・・
Mの対極Bだった。

アルピナの世界へ
2021 11月18日B3納車
     個人的にはこの選択できたことに感謝しています。
     Mを知っているからこそB3の良さが光る。
     逆もまた真成りで、相乗効果だと思っています。
     
毎日乗るぞ
はやり病に倒れて気が滅入っていましたが、書くだけ書いてようやく気持ちが落ち着いてきました。
そしてここ三日、B3通勤も復活させました。
スタッドレスを履いていたM3でも冬は乗りませんでした。
塩カルのダメージが大きいので・・・が、スタットレスなしのB3のカバーを剥いだ理由。
今回のはやり病ですら1ヵ月も無駄にしています。
と云うことで乗れるときは毎日でも乗る。
Mの老化とB3の老化、同時に進む時間をできるだけ共有したほうが幸せになれる気がします。
塩カル対策は車検時、下回りを塗ってもらうということで。(笑)
Mにも何か塗ってもらえるといいのですが。(爆笑)
Posted at 2023/01/20 22:16:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年01月19日 イイね!

はやり病で思ったこと その2

昨日、続編更新に失敗しやり直しています。

短波少年のその後
アマチュア無線のDX沼にのめり込んだM少年は、高2の時、21MHzの7素子アンテナを完成させます。
エレメント長は7m、ブーム長は15mのアンテナを交信したい国の方向に向けてモーターで振り回すわけです。
当時の国内既製品の最高は4素子だったので5素子以上のアンテナ保有者はすべて自作された方々でした。
6素子迄完成させた時、国内には数名の保有者がいました。
一番になりたいと考えたM少年は7素子に挑みます。が・・・
適当に作って所望の指向性を得られれば良いのですが・・・
なんちゃって7素子アンテナになってしまいます。
また、素子を一本増やすと全長が2m以上長くなり、風対策で各素材の強化が必要となります。そしてモーターの性能アップも必要となります。
なにかと似ていますね。(爆笑)

捨てる神あれば拾う神あり
7素子の設計図・・・しかも実証データ付きで・・・
そんな都合のいい話は・・・ありました。
インターネットのなかった時代、アメリカの雑誌から転載された記事がアマチュア無線と云う雑誌で紹介されたのです。
入手後の行動は迅速でしたが・・・軍資金が足りない・・・
友人の父に頼み込んで下水道の清掃へ・・・
全身に嫌な臭いが染みつきましたが、1週間で資金調達し、国内最高峰の世界へ。
完成した時は、正に天にも昇る気持ちでした。

ツンボの大声
この世界の格言に「ツンボの大声」と云われるものがありました。
差別用語ではなく、意味するところは
「大出力のリニアアンプを使用して全世界へ自分の声は届くものの、それにこたえるアフリカやカリブ海諸国から発信される微弱な電波を受信することができない。」
つまり交信ができないという例えで、先ずは相手の声が聞けること(聞き分けられること)に夢中になりました。
7素子アンテナの効果は絶大で、それからは大出力の強者に先んじてアフリカなりカリブのレア局と楽に交信できるようになりました。
車も同じ匂いがします。
エンジン出力が上げれば、ボディ、サスペンション、タイヤの性能も同時に引き上げる必要があるといったとこでしょうか。

耳の痛い話
腕もないのに・・・車だけ・・・
車全体のレベルが上がれは早く走れるのか?
否、操る腕が必要になります。
無線も同様で、狙った国の時差に合わせて電波を出す努力が必要になります。
深夜のヨーロッパから早朝のアフリカ・・・
学校が布団になっていた時期があったぐらいです。

穴があったら入りたい
然るに今はB3を操るどころか、操られている。
努力の欠片もない姿は恥ずかしい限りです。

長くなりますが、車に話を戻します。

転機の4メリ
時同じくして我が家には兄が買った中古の4メリが納車され、短波少年も例外なく夢中になります。
この時の感動が後々まで「車は4ドアセダン」と思わせたのでしょう。
M3以外は4枚を選択しています。

近所のZG
4メリに同乗し、行った先にあったのがマルーンの240ZG。
言葉が出ないほど美しかった。
ほどなくZGのオーナーは東京から純白の240ZGをもってくる。
東名チューンと云われた純白のZGは、エンジンルームにあるアルミの遮熱版がすべてを物語っていた気がします。
どれ程の車なのか想像もつかないほど・・・とてつもないオーラを放つ車だった。
兄には申し訳なかったが、学校帰りにストーカーのようにその家に通っていました。

社会人
無線に熱中し、240に魅せられたM少年はいつしか社会人となり、夢の実現へ邁進します。
その第一弾が、世界最高峰の受信機を手に入れること。
相変わらず耳に拘っています。(笑)
国内製品はトランシーバータイプが主流で、日本製は世界に認められつつあった時期のような気がします。
Mが欲したのは送信機と受信機がセパレートの代物。
外国の使用周波数と国内の使用周波数が離隔しているとトランシーバタイプでは交信できなかったためです。
購入の選択肢は二つ。
コリンズとドレーク、車でいうとベンツとBMWと云った感じ。
コリンズは米軍御用達、ドレークはアマ無線のDX愛好家の憧れの受信機だった。
コリンズは送信帯域がAM波の2分の1しかないSSB波の電波にしては送信の音質が抜きんでていました。
遠距離通信で言語識別容易な送信機の性能が軍用のニーズに即していたのでしょう。
一方のドレークはアマチュア無線の実戦上に即した受信能力を誇る。
混信時の相手局識別能力が高いと評判だった。

審美眼への入り口
大げさなようだが世界基準で物を選んでいくと、良いとわかっていても先立つものはお金、いくら良くてもやはり購入能力が決め手になります。
手取り6万円の短波少年には高根の花でした。
コリンズは中古でも80万から、ドレークは40万から・・・。
それでも最大限のローンを組んで手にしたのがドレーク。
理由は「ツンボの大声」が根底にあったから。

感動の瞬間
ドレークは混信の多い7MHz帯において受信能力が桁違いだった。(使用インプレ)
送信管以外オールトランジスタの国産と違い、受信部のフロントエンドが真空管と云うハイブリット受信機の性能は聞きしに勝るものがありました。
理由は単純で、12ボルト動作のトランジスターでは強力な受信信号を受けるとトランジスタが飽和してしまうのに対し、100ボルト動作の真空管は容易なことでは飽和せず近傍の微弱信号を選別できるという仕組みだった。
言葉にすると簡単ですが・・・

再度、話を車に戻します。

叶わなかった24の保有
いつかは24と呪文のように唱えていたが願いは叶わなかった。
郡山に1台だけあった240は純正オレンジのAT車で、国内に数台の希少車だった。
当然のように二十歳前のMには手が出せない高根の花でした。
オーナーが半年待ってくれましたが、お金が工面できず、24は手の届かない所へ行ってしまいました。
その喪失感たるや半端なかったのを覚えています。

車が欲しい
24は入手できなかったものの、短波小僧は相変わらず2頭を追っていました。
どうしても車が欲しい。
実家に帰るにも特急では・・・タイムリーな移動ができない。

中古のジャパンターボ
24探しを断念し、一台はスポーツカーの代表格だったサバンナRX-7。
もう一方の候補は国産初のガソリンターボだったスカイライン。
本当に何度も何度も見に行きました。
7が納得できなかったのは2ドアでリアシート・・・24は2シーター。
46M3もリアシートありました。・・・すみません。
4メリの伝統(兄は2台の4メリを保有)を引き継ぐとジャパンターボのセダンということで中古を探すこととなりました。

2000GT-ES
ドレークで中古も悪くないという経験値(全然物が違いますが無視しました。)から見つかったのがGT-ESだったので一気に決めました。
(ほぼフルローン。ドレークも残っているのに・・・)
新品がいいに決まっていますが、実際は費用対効果の関係もあり、いいものを手に入れるため中古でも最高峰を求める。
今でも悪くない選択だったと個人的に思っています。

沼沼沼
短波少年はそれから車沼一直線。
思えば本当に無謀でした。
マフラー交換から始まりお決まりのブーストアップ、足回りの強化へと・・・
極端な御用は失職を伴うものだったが、帰省時は、兄と仙台新港や石巻新港の○○ヨンにも顔を出していました。
無謀な運転が祟り、クラッシュするまでの2年弱、楽しいと金欠の正にミルフィーユ状態だった。

2ヵ月の入院を乗り越えて
職場や両親、彼女(山の神)にも多大の迷惑をかけ、懲戒処分もいただいたので速攻で退職しようと思ったが、親父からコテンパンに怒られた。
職場に恩返ししてから辞めろと。
2年務めるはずがそれから数十年、結婚もして子供も3人。
そして車も中古ですが、「MからBへ」なんてブログまでやっていますから親父の云うことは聞いておくものです。

はやり病の独り言。
夜の考え事は良くないと云いますが、毎晩目が覚めると天井を見ながら昔のことが思い出されて・・・
当たり前です。昼間サボっている訳ですから・・・コロナ恐るべし。
備忘録として書き始めましたが、1ヵ月の振り返りは結構長くなりました。
もう少しモチベーションが回復したらまじめなネタにしたいと思います。

つづく
Posted at 2023/01/19 21:01:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年01月17日 イイね!

はやり病で思ったこと

無気力の最中
濃厚接触から8営業日、出社するものの気分は最悪。
体調は回復基調であるものの、味覚障害が残り食欲はイマイチ。
元気の大元の食欲が不振では気力が戻らないのも当然か?

B3の汚れに目を伏せて
自宅前でバスを待つ日々・・・
B3が泣いているなぁと思いつつ、1ヵ月以上放置した罪悪感・・・
今回はマジで厳しかった。
そして色々考えた。・・・
現在、無気力に苛まれているなか、良い機会なので今に至る過程を振り返ってみたいと思います。

審美眼
汚れたB3を見て、審美眼と云う言葉がよぎった。
前職場で何度か後輩に話した言葉でMの価値観の基本をなすもの。
本物の持つ美しさ(良さ)を見極める眼と解釈しています。

ジャイロアンテナ装備のナショナルのラジオ
小5の頃、ハマったのがラジオ、短波放送なる者に憧れてどうしても短波の聞けるラジオが欲しくてほしくてたまらなかった。
中でもジャイロアンテナ装備のラジオ、当時は本当に高根の花だっなぁ。
当時、2万円を超えるラジオを買ってもらえるはずもなく、知恵を絞った挙句辿り着いたのが自作の真空管ラジオだった。
秋葉原から5千円でキットを調達し、ハンダゴテ片手に悪戦苦闘する日々、近所に詳しい人もいない中まさに無謀の極み・・・
説明書の通り組んだつもりが・・・

電解コンデンサーが大爆発
悪戦苦闘の末、完成をみた5球スーパーであったが通電するとブーンと濁った音がする。ブーンたどB3のいい音なのだが・・・
数分後、パーンと云う華々しい音とともに電解コンデンサーから白い液体が飛び散った。
5千円がパーになった瞬間だった。
(電解コンデンサーのみ交換すれば修復できる知識がなかった。)

短波少年
短波ラジオを手にできぬまま中学に進み、そこで運命の出会いをします。
(女性ではありません。)
アマチュア無線をしている人に偶然出会い、短波ラジオで世界を聞くより、直接話せる無線に夢中になります。

アルバイト小僧
来るアマチュア無線の世界に憧れ、中1からバイト、バイトに明け暮れます。
春、夏、冬休みは親戚のドライブインに住み込みで皿洗いの日々です。
そして中3の年、ようやく念願の電話球アマチュア無線の試験に合格して資格を取りました。

DXの世界へ
高1の時、親戚に頼み込んで高校3年間のアルバイト料を前借に成功。
八重洲無線のFT—101を入手ます。
当時12万ほどだっと思いますが、残り2年のアルバイトが霞んでしまうほど興奮したものです。
機械の次は遠くを聞くためのアンテナ、特にアフリカ、カリブを聞くためには高指向性のアンテナとタワーが必要になります。

先ずは金
3素子から7素子のアンテナへ、既製品は買えないのでひたすら自作、そして材料代を捻出するためのバイト。
道路ののり面工事から、当時、石巻市では珍しかった下水道の清掃のバイト迄、何でもやった感じです。
(車の改造にのめり込むのと同一過程ですね。)

つづく
Posted at 2023/01/17 21:08:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2023年01月16日 イイね!

はやり病 恐るべし

一家全滅
今巷で賑わっているあれです。
最初の感染者は何と我が家で最も体力のあるであろう長男。
出張から帰宅後二日目に発熱、抗原検査で速攻の陽性です。
それから二日後に山の神が・・・翌日にMとなりました。

初めの三日間は濃厚接触者、その後陽性者となり計八日間のずる休み。(爆笑)
この間、何が辛かったと云えば自宅の共用場所におけるマスクの装着、我が家は神の命令が絶対なのでとても辛かった。
茶の間に出るとマスク装着を強制されるため当然ながら自室にこもることとなりまして、体よりメンタルが先にやられてしまいました。

鬼の霍乱
家族は隔年毎にインフルエンザに感染していましたが、Mはたったの一度だけでした。
従って、この手の病にはめっぽう強いと自負しておりましたが今回ばかりは・・・

恐怖の後遺症
発熱は軽微、食欲も体力もすり減ることなく三日目には平常に戻ったものの何かが変?
やる気が出ない。
そうです。気力が戻らないのです。
そして味覚障害、ミルクチョコレートが甘くないチョコレートに変身しています。
先月14日から新年三が日まで仕事には行っていましたが、車も庭も荒れ放題となってしまいました。
当然、みんカラもご無沙汰しました。

丁度ひと月
ひと月以上放置したB3

いい感じです。

久々の駅前
まだやっていました。




がくとくんとおんぷちゃん


みんカラのリハビリもいいものです。
Posted at 2023/01/16 20:41:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

福島県在住のtyqです。 M3からB3へ乗り換えました。 よろしくお願いします。
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