千歳市真町1に位置する千歳神社は主祭神を豊宇気比売神(とようけひめのかみ)とする食物・衣食住・農業の神様で広く諸産業・商売繁盛の守護神です。
松前藩の史料『福山秘府』によると万治元年(1658年)に弁天堂が建立されたことが記されています。
享和3年(1803年)には幕史の勇払詰所役人 高橋治太夫が、シコツ場所の守護神として、京都伏見より正一位思古津しこつ稲荷いなり大明神を祭祀いたしました。
シコツ場所の鮭漁が盛んになるに従って、千歳川の漁場の守護神として、さらに弁財天が勧請されました。
明治8年に主祭神を豊宇気とようけ比売神ひめのかみとして、同年郷社に列し、大正6年には思古津稲荷神社(しこついなり)から千歳神社と改称致し現在に至っています。
『千歳』という地名が生まれたのは徳川幕府が東蝦夷地を直轄していたときでした。
当時、この千歳付近は『シコツ』と呼ばれ、中央を流れる川(シコツ川)には豊富な鮭が登り、山野には多くの鹿がすみ、古くからの住民であったアイヌの人々にとって恵まれた土地でした。
『シコツ』とはアイヌ語で『大きな低地』または『大きな凹み』という意味です。
和人が蝦夷に入り込むようになって間もなく、ここ『シコツ』は交通の要衝として注目されるようになります。
300年前の地図に、太平洋から日本海にぬける工程が詳しく記載されていることからも、交通の要衝として栄えていたことが伺い知ることができます。
『シコツ』が『千歳』と改称したのは文化2年(1805年)のことでした。時の箱館奉行羽太正養に部下の山田鯉兵衛が川の名の響きが悪いのでと改名を願い出ます。
羽太は、この地に鶴が多く生息していることから「鶴は千年」の故事にちなんで『千歳川』と命名し、その経緯と和歌を弁財天の御厨子の裏に記し神社へお祀りいたしました。
伊知伎志摩比売神(いちきしまひめのかみ)は国家鎮護・海上安全・道中安全・漁業守護の神様です。
千歳神社には多くの石仏のようなお地蔵さんがあります。
これを見つけるだけでも楽しめます。1つ1つが異なっていてほのぼのします。
山神社として大山祇神おおやまづみのかみ(山の神様)、金山かなやま彦神ひこのかみ・金山かなやま姫神ひめのかみ(鉱山の神様)があります。
その稲荷のキツネは参道階段の右側には母ぎつねと子ぎつねです。
左側は父ぎつねではないかと思います。
御神水幸井(さちい)の水は社務所の右側にあり、万古の生命を湛える支笏湖の伏流水が境内の地下57mより湧き出ております。お参りをした後は水を汲み持ち帰ることもできます。
ゆっくりと散策すると楽しめます。
Posted at 2025/06/05 20:22:08 | |
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