『The Group B / Group A comparison with WRC 2027』
比較は妥当だが、果たして理にかなっているのだろうか?
40年前、WRC(世界ラリー選手権)は、Gr.Bのスーパーカーがより一般的なGr.Aマシンに置き換えられるという、大幅なレギュレーション変更を控えていました
ヴァルター・ロールのコドライバーであったクリスチャン・ガイストドルファーの言葉を借りれば、それはロケットから自転車に乗り換えるようなものだったのです
Rally2をベースとしたマシンが、高く評価されてきたRally1世代に取って代わろうとしている今、未来への不安、そして恐怖感は、40年前のモータースポーツ界の状況と何ら変わらず、その不安感を誰よりもよく知っているのが、ユハ・カンクネンとジョン・ケナードの二人です
フィンランド出身のカンクネンは、そのギャップを埋めた世界チャンピオンで、1986年にプジョーで優勝した後、ランチアに移籍し、デルタHF 4WDに乗り換えましたが、そのマシンは驚異的な205 T16 E2には到底及びませんでした
「私はGr.BからGr.Aへの移行期を生きてきた。この動きでラリーが終わってしまうのではないかという不安が少しありました。今回はRally2への移行でも、ラリーは終わっていません」と、カンクネンはDirtFishに語っています
「1986年、最初はこれで終わりかと思いましたが、その後少しずつ良くなっていきました。一般の人にはRally1とRally2の大きな違いは分からないし、Rally1のマシンがなければ比較対象もないし、速いドライバーはとにかく速いんです。Gr.Aに移行した時も同じだった。もし誰かが1987年にGr.Bのマシンで来たら、(Gr.Aを見て、これはひどいと言っただろう」
1985年の1000湖レースでブレント・ローストロンのトヨタ・スターレットのコドライバーとしてWRCキャリアをスタートさせたケナードは、カンクネンに同意した
「Gr.Bが廃止され、Gr.Aが導入された時のことを覚えているよ。今と全く同じ状況だ。誰もが同じように感じていた。このスポーツは完全に消滅するだろう、と誰もが思っていた。強力なマシンをなくして、もっと遅いマシンに移行したら、生き残れるはずがないと」と、彼は言った
「でもどうなった?再び人気が出たんだ。未来に希望を持たなければならない。来年の変更はチャンスをもたらすだろう」
ケナードは、過去は未来への楽観主義が必要であることを証明していると語った
つまり、このスペクタクルは安全でよかったが、その前に、カンクネンにまつわるもう一つのエピソードを紹介しよう
1986年を終え、プジョーに最後の別れを告げてからわずか数週間後、彼はモンテカルロ前のテストで初めてランチアのドアを開けた
「テストが始まったんだ。2kmほど走って、1km半ほど走ったところで、ユハ・ピロネンが『さあ、全開で走ってみろ』と言ったんだ」と、彼は語った
「僕は『最初から全開で走ってるよ・・・』と答えた。すると彼は僕を見て、『ああ、ユハ、今年は長い一年になりそうだ・・・Gr.Bカーの時よりもステージで半分以上の時間を費やすことになるぞ!』と言ったんだ」
「確かにそうだったけど、少しずつ良くなって、マシンはすぐに速くなったよ」
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確かにGr.Bが終焉を迎える事になり、Gr.Aに移行した時は、今以上に急激な話で、今と同じ様な議論が勃発したが、当事者であったカンクネンとピロネンが感じたほどの速度差は、ラリーファンには感じる事は出来ず、トップカテゴリーがGr.BからGr.Aに移行した事を受け入れていたかと
ただ問題なのは、当時は人気低迷とトップカテゴリーへの参戦マニュファクチャラー(コンストラクター)の少なさでの移行だった訳では無かったんですよねぇ
今回のレギュレーション変更で、参戦マニュファクチャラー(コンストラクター)が増えれば嬉しいんですけどね
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Posted at
2026/04/21 21:03:00