
僕は23歳大学生。父親の会社名義の車に乗っている。会社経費で買った車はレクサスGS450hの前期型だ。この車はCPOからの購入ではない中古でいわゆる野良レクサスだ。
世の中には大きく分けて2種類の人間がいる。ブランドを気にする人間と気にしない人間だ。
おそらく、父はこの車の走行性能や内装など車自体を評価して買っており、ブランドを気にしない人間なのだと思う。乗り心地や見た目だけで、車に付与されたブランドというものには興味がないのだ。もし気にするなら、正規ディーラーで購入するはずだ。
僕の場合、未熟者なのかブランドというものをどうしても気にしてしまう。ブランドとは、こちらへのおもてなしや充実したサービスを含む。たとえば、パーツ交換のためにレクサスディーラーに行く時、電話をして名前を聞かれると思うが、その都度「CPO以外の中古で買ったのでオーナーリストに名前は無いです」と説明をしなければならない。ラウンジに入れないのは別にいいが、こうしたちょっとしたことが苦痛なのである。しかも、僕みたいな若い人がレクサスディーラーに行っても対して相手にもされない。父が行く時はよく新車どうですかとセールスされるらしいが、僕はほりっぱなしで恥ずかしい。
また、側からはレクサスに乗っている大学生と思われてしまう。勝手にいい車に乗せてもらっていると思われてしまうことが良くあるのだ。そこらへんの普通車と大して変わらない(むしろ安い)値段で買った中古車であるのに、だ。(レクサスは大したブランドじゃないとかっていう議論はなしで。)
こんなことを言ってはなんだが、やはりブランドはそのブランド直営店からの購入がブランドの品位を保つと思う。安く買って、好き勝手に改造して、それでいてレクサスに乗っているとは綺麗なものではない。様々なものには、それぞれのブランドの思想から始まりこだわり、技術、思いの結晶として一台の車がある。それをいじり回して果たして同じブランドと呼べるのか。僕は呼べないと考えるから嫌なのだ。
車をいじるのが好きな人は今の時代でも多少いることは知っている。楽しいし、自分好みになるし好きなんだろう。いじっていく中で愛車となり世界で一つだけのかけがえのない一台となるらしいが、そんなことはないと断言したい。たくさんある車のなかの一台だ。ブガッティなどのスーパーカーは購入者それぞれのデザインで素材からこだわり作ることができるのでブランドを保ちつつ、世界に一台だろうが、レクサスは量産されている車の時点でそれはそこら中にあるものの一台だ。いじって部品を交換しても、そこら中にあるものが少し形を変えているだけでその度にブランドは傷つく。正直、自分でいじることできれいな作品を壊していると僕は思う。(自分でいじったその状態を美しいと考える人がいることも分かる)
父は車をいじるのが好きらしいから中古で買って好きなようにしている。その車自体が好きなので、それをいじるのは楽しいのだろう。だがこちらは、タイヤ交換やエンジンオイルの交換ですら、父を手伝うからしているだけで、そんなことはしたくない。ディーラーに頼めって思う。それが一番美しいと感じるからだ。
僕はレクサスが好きだ。トヨタが作り上げたブランドと乗り心地と、内装と、すべてにおいて優秀だと思う。だからこそ、正規ディーラーで買って美しくその車を乗りたい。
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2022/01/05 02:48:05