浅間山と桜島が噴火しました。
浅間山の方は世界でも有数な活火山みたいで現在に至るまで度重なる火山兆候を見
せていたそうですが、遠い過去には火砕流により数多くの犠牲者が出たとの事で危
感を殊更煽る訳ではないですが地元に住まわれている方は注視している事でしょう。
火砕流で嫌でも思い起こされるのは91年6月3日に起きた
長崎県の島原半島で起きた雲仙普賢岳の大火砕流を思い出します。
前年から続いた噴火の兆候は大規模噴火へとつながりやがてニュースでは溶岩ドー
ムといった象徴的な言葉を生み出しその当時の報道を記憶されている方も多いと思
います。
その中でも6月3日に起きた大火砕流では死者行方不明者43名も出す大惨事へと
発展し、より強い記憶に刻まれる事となったと思います。
当時取材中のマスコミに対し避難勧告の活動中に巻き込まれ被災し殉職された警察
官が乗っていたパトカーの被災写真がありますが、火砕流が想像を絶する破壊力が
あったのがよく判ると思います。
おそらく日産DR30型・スカイラインセダン(2000GT-E・Lもしくは警
ら用専用グレード?)と思われるフロントフェイスと警察車両の証である屋根に乗
っかる散光式警光灯を除いて焼き尽くされています。
この時はすでに避難勧告地域内であった定点と呼ばれる現場で決して根拠は無いの
ですが楽観的なムードで取材に当たっていたマスコミが痛烈に批判されましたが
大部分の人達にまさかという考えがなかったのは火砕流に対する真の恐怖が無い
当時では避けようがなかったのかもしれません。
ただこの当時の記憶と経験が些細な噴火でもしっかりと生かされ人的被害をゼロに
食い止める事になるのであればこの当時の辛い出来事と記憶が少しでも浮かばれる
のかもしれません。
もちろん人的被害だけなく火山灰による農作物やライフラインの被害が考えられる
ので行政もしっかりとしたサポートが必要になってくると思います。
Posted at 2009/02/02 23:46:06 | |
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災害 | 日記