
こんにちは👋😃
おじゃぶです。
またまた論述練習シリーズです。
この時期は学生さんの就活文章に触れる機会が増え、自ずと論述チックな文章を書きがちです。
さて、それは、私だけ??🤔
いや、変わっているね、と言われた経験は、多くの方がされたことがあるのではないでしょうか。
先日、視点 に関して考えるようアドバイスしたところですが、理系、変わっている、このあたりのキーワードから、ずっと謎だったことについて視点を意識して考えてみました。
※原稿用紙に書いたりパソコンを開いたりするほどのことではなので、メモ程度に投稿しています。
お許しください。😅
ーーーーーーーーー
「理系は変わっている」と言われる理由は、(私を含む)彼らが変わっているからではない。世界の見方が、平均値からズレているからだ。
工学者や理系人間は、物事を感情や物語よりも先に、構造・因果・再現性で捉える。
目の前の現象に対して「どう感じたか」よりも、「なぜ起きたか」「どこまで支配できるか」を無意識に考える。この思考回路は、雑談や社交の場では沈黙や唐突さとして表に出る。結果、「変わっている」とラベリングされる。
だが冷静に考えれば、社会はそのような思考様式の上に構築されていることに気がつく。
電力網、通信、輸送、医療、金融システム。どれも感性では動かない。動くのは数式と仮定と誤差管理である。
理系人間は少数派どころか、文明の下層を支配しているといっても過言ではない。目立たないだけで、数も影響力も想像以上に多い。
理系が「変」に見えるもう一つの理由は、最適解に対する執着にある。
つまり「まあいい」を嫌うということである。再現しない現象を信用せず、説明できない成功を運だとは思わない。空気を読むより、条件を読む。常識より、境界条件を疑う。
この態度は協調性の欠如に見えるが、実態は逆で、最悪の事態を未然に潰すための、過剰なまでの責任感そのものである。
そして理系人間は、しばしば“遠い未来”に住んでいる。10年後に破綻する設計、100回目で壊れる構造、想定外が起きたときの逃げ道。今この瞬間の会話より、まだ起きていない失敗の方が重要なのである。
現在に鈍感で、未来に過敏。これが「変わっている」の正体だと考える。
要するに、理系人間は奇人ではない(と信じたい(笑))。
世界を感覚で消費せず、支配しようとする側の人間である、と。
その視線が少し冷たく、会話が少し不器用で、興味の方向がズレているだけだ。俗に言う理系が黙っているとき、何も考えていないのではない。
社会が当然として使っている仕組みを、頭の中で分解し、再構築し、壊し、より強く作り直している。
変わっているのではない。
基準点が、すでに一段先にあるだけだと。
ーーーーーーーーー
とまぁ、ものすごい主観的な主張になりましたが、理系は縁の下の力持ちでありながら、圧倒的な多数派である、とも思えます。
変わっているね。いわれることになれたと言うのか、自覚があるかはということなのか、昔から嫌な気はしなかったです。
思考が違うのだよ、と、どこか傲慢になったかのように、自己納得させていたのかもしれないです。
目の前の現象に対して「どう感じたか」よりも、「なぜ起きたか」「どこまで支配できるか」を無意識に"考えてしまう"。
このプログラミングされたかのような思考回路に頷く人は、このみんカラの世界でも多数派ではないでしょうか。
少なくとも、ガソリンと軽油の判別はついているわけで。
ブログ一覧
Posted at
2026/01/18 15:56:09