25日の話なんですが
久しぶりに、お家に籠もり、ギターを弾きながらテレビを見ていました。
◆
「山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷」
「田中寅夫さん(93歳)、フサ子さん(88歳)。山口県、中国山地の山奥に、ふたりの山はありました。
終戦から間もない頃、復員した寅夫さんはフサ子さんと一緒にふるさとに近い山を買い、夫婦で切り開きました。「食べてゆくだけのものは、自分で作りたい」。自給自足の生活です。そこで3人の娘たちを産み育て、親兄弟を呼び寄せ、貧しいですが賑やかな日々を送りました。
高度経済成長期に入った頃、娘たちの将来を考えて家族で大阪へ出ました。しかし夫婦は還暦を過ぎると、都会の生活を捨て、また不便な山に戻ったのでした。「自分らしく老いてゆきたい」それが理由でした。
電気も水道も通っていない、山奥の小屋住まい。何の気兼ねもないふたりだけの生活が続きました。
夫婦には大阪で暮らす3人の娘たちがいました。「山を下りて欲しい」「大阪で同居しよう」と娘たちは言い続けました。寅夫さんとフサ子さんは拒み続けました。しかし少しずつですが、ふたりは確実に老いてゆきました。
時が、経ち、90歳に近づいてもなお山の暮らしにこだわり続ける両親を見て、3人の娘たちの気持ちは変化していきました。娘たちもすでに孫を抱える年齢になり、親たちの生き方を受け入れ、背中を押すようになったのでした。
夫の寅夫さんは病に倒れてもなお、山に執念を燃やしました。信念を貫こうとする親と、支える娘たちの生活が続きました。
「いい人生の歩き方を教わった」「自分たちもそう生きたい」「親から生きる力をもらう」という娘たち。親と向き合い、親を看取ることで、自らの生き方と向き合いました。 」
(公式サイトより抜粋)
◆
病に伏せても、山を愛し、そして山に帰ろうとし
満身創痍で山に帰った二人の目は輝いてました。
活き活きしてました。
二人は若返るんです。
不思議でした。
寅夫さんが93歳の一生を終え、残されたフサ子さんは山に向って叫びました。
「おじいさーん!おじいさーん!」
その声はまるで少女のような声でした。
。゚(゚´Д`゚)゚。あああああああああああ(号泣)
久しぶりに心に響いたドキュメンタリーでした。

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そして、CAPLOGの快進撃の行方は?

Posted at 2009/01/27 13:00:28 | |
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