以下はいつも拝見している“夕刻の備忘録”さんのブログからの転記です
(一部ニュ-スソースについて追記しています)
憤りから寄付へ:靖國神社放火事件靖國神社に放火した者がいる。
これは靖國に反感を持つ者か、そうでない者の仕業である。
これは外国人か、日本人か、その何れかの犯行である。
放火という行為に慣れた者か、慣れない者か、その何れかである。
さて、どの組合せが一番、ありそうだろうか?
「日本人が自らの思想信条のために神社に火を放つ」、これが一番「ありそうにない」ことである。犯人が逮捕されるまでの束の間、こうした偏見を披瀝して、失笑を買っておこう。これが偏見であり、笑いものにされて終わることを願っている。
靖国神社の門に放火 防犯カメラに不審な男(msn.産経ニュースより)
26日午前4時10分ごろ、東京都千代田区九段北の靖国神社で、「門に火がつけられた」と警備員の男性から110番通報があった。警視庁麹町署が調べたところ、境内にある神門の一部が焼けていたが、警備員がすでに消火器で消し止めており、けが人はなかった。境内の防犯カメラに、男が火を付けるような様子が写っており、同署が放火容疑で調べている。
同署によると、神門は第二鳥居と本殿などの間に建てられている門で、木製の扉が幅約数十センチにわたって焦げており、油をまいたような跡があったほか、近くに灯油を入れていたとみられるカップ酒の容器2つがあった。
防犯カメラの男は黒ずくめで、110番通報の直前、神門に液体をまき、火を付ける様子が写っていた。
インターネットの簡易ブログ「ツイッター」上には、外国人問題に関連して「靖国神社を、放火してやろう」などとする書き込みがあり、同署が関連を調べている。
どのような背後関係を持つ者か、はたまた単独犯か。愉快犯であれ、確信犯であれ、あの高金素梅と同様に永遠に許しはしない。ボヤで済んだのは結果論である。全焼同様の天下の大罪であることを、犯人に思い知らせねばならない。
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さて、遣り場の無い憤りに、寿命も縮む思いであるが、同感される諸氏には是非とも、寄付を御願いしたい。何度も「勝手にキャンペーン」を展開させて頂いているが、靖國神社は恒常的に財政難なのである。施設の老朽化が進む中で、こうした破壊工作まで受けては、益々資金が不足してしまう。出来れば「
崇敬奉賛会会員」になって頂きたい。一時的な寄付でも大変有難いと思う。
そして、その直接的な効用を御一考頂きたい。こうした破壊工作を抑止する、極めて効果的な方法が寄付行為なのである。何故なら、犯人が何者で、如何なる理由をもって犯行に及んだかは分からないが、靖國神社とその存在を脅威に考える人間であるならば、こうした行為が行われる度に、全国から多額の寄付が集まり、靖國神社を支援する会員が一気に増加し、そして日本国の津津浦々まで憤怒の嵐が巻き起こることが、最も犯行の動機に反するものだからである。
やればやるほど靖國への支援の声が強まる、これが最大の抑止力である。政治家に期待することも結構、警察に期待することも当然ではあるが、我々日本国民が居ながらにして出来る最も効果的な抑止行為が寄付である。多額の寄付は無用である、人数だけが問題なのだ。一人一人は少額でも、それが大量に集まることが重要なのだ。
無責任な言動を取る政治家に我々の意志を示すのが選挙であり、顧客を愚弄する企業に鉄槌を下すのが不買である。そして、より直接的な行動が、街宣でありポスティングでありデモである。これらはみな、不正を糺すために行う活動である。
では正義を護るためにはどうするか。組織を防衛するためにはどうするか。経済的に困窮している組織には、やはり寄付行為が、遠回りのように見えて一番効果的な支援策ではないだろうか。皆様の御一考を希う次第である。
2011.12.29 | 業務連絡 | @
・・・メディアではほとんど見かけませんがこんな大事件が知らない間に起こっています
No.174
Posted at 2011/12/29 09:12:48 | |
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