この記事は、
再現 1971年日本グランプリを観よう!について書いています。
今日は何の日? 毎年この日は運命の日(いつの昔か?)
今日も外は雨、その書籍やDVDを見て過ごす。日本の自動車産業そしてモータースポーツの原点とも言える、1964年、
第2回日本グランプリの日。それ以降日本に定着したモータースポーツと自動車文化は、その数年後の1969年にはいよいよ国際レースの格式で
グランプリを開催するまでの発展、まさに
「日本グランプリ」の日。
そんなモータースポーツの発展とともに注目をあびたスカイラン(画像:
いつかの
聖地にて)だったのですね!
おりしも、今日、5月3日はその第2回、また以降も開催された
日本グランプリの日です。今日は昨日購入した書籍でも眺めて過ごそうと思う(スカイラン?今さら感はあるのですが、歴史を作ってきた方々の、昔の礎として肝に銘じておきたい。)
↑左上の書籍「
スカイラインを超えて(片岡英明著)」、実はどこかで見た記事が多く、手短に読み終えてしまったのだが、晩年の櫻井さん(故人)が電気自動車を開発したいと想っていたことには、意外にも感銘(あと10年でも長生きしていたら・・・)。片岡さんの「あとがき」、日本の産業立国としての立場、目指すべき技術先進国であることへの期待と危惧には同感です。古い記事だけとは思えない、あらためて知ることができた、この日(5月3日)でした。
-----THE SKYLINE Symbol of 25 Years of Quality(Since1957) 講談社より-----
英雄の誕生 ゴーヨンビーへの狂熱の賛辞
熱狂的な拍手で迎えられた S54の初舞台
スカイラインが本格的な体制を組んでレースに参加したのは、昭和39年5月の第2回日本グランプリレースが最初である。昭和38年10月、第2回GPに向けてプリンスチームの基本的な方向を決めた際、早くもGTカー生産の構想が起案されていた。この年の10月から12月にかけて、プリンスチームはスカイライン1500DXを鈴鹿に持ち込み、テストを重ねていた。
(中略)・・・同時に、イタリアのエドアルド・ウエーバー社製のツイン・チョーク・キャブレターの研究とテストを行った結果、G7エンジン+ウエーバー・キャブレターがベストであるという結論のもとに採用を決定した。スカイラインの全長を200m/m延長し、G7型エンジンを搭載。フロント・ブレーキはデユオ・サーボのままでドラムにはアルミ・フインを設けた。こうして生まれたのが初代スカイラインGT(S54Ⅰ)であった。
17万観衆を興奮のルツボにたたきこんだ
決勝のデッドヒート
いよいよGT-Ⅱレース決勝は5月3日に熱戦の幕が切って落とされた。スカイラインGTは7周目のヘアピンでポルシェ・カレラをとらえて抜き8周目の大部分の間、カレラをリードするという白熱したレース展開を見せたのである。
純粋のレーシング・GTマシンと生産車ベースのGTの差・・・・。その大きな差を感じさせずに手に汗握るデッドヒートを演じ惜敗したスカイラインGTの健闘に17万人の大観衆は拍手を惜しまなかった。このレースは、日本の戦後のモータースポーツ史で最初の、そして最も感動的な場面として永く語り継がれていくことになる。
5月3日第2レース
グランドツーリング(GT-Ⅱ) 結果(16周)
総合優勝 (1) 式場壮吉 ポルシェ・カレラGTS904 45分29秒9
2位 (39) 砂子義一 スカイラインGT 45分39秒3
3位 (41) 生沢 徹 スカイラインGT 45分58秒8
( )はゼッケン
Posted at 2012/05/03 12:38:21 | |
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