【気仙沼の中井公民館】に無事に救援物資が届いたようです。
これは
サーブ介護センターでの救援活動について書いています。
メールにて連絡が入りました。
電話だとまだまだ電波状況が良くない事と、未だ安否確認者が大勢いるのでその為にもなるべく電話は使わずに無駄な電波使用を避けているようです。
以下が届いたメール全文です。
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現在午後4時30分ようやく携帯の圏内に入りこうして報告ができる。
今朝仙台から三陸道へ入り、登米東インターチェンジまで行き、国道346号で峠を超えた。
途中道の駅へ寄ったのだが、驚いたことにそこには何でもあった。
米、野菜、果物、水。おにぎりを買い昼食を取ることとした。
売店のご主人に道路状況を聞いてみたところ、国道45号線が開通したという。
45号線は橋が崩落し、不通になっていたが最近開通したとのこと。
海岸沿いへ出ることを諦めていたが、思わぬ情報であった。さっそく45号線へ向かう。
少しずつ視界が開けてくるにつれ、目を覆いたくなるような光景が目の前に拡がって来た。
まさしく惨状そのものだ。なに一つ原型をとどめている物がなく、
未だに自衛隊と消防隊が沿岸部の遺体の捜索を行っていた。
テレビでは、一地域の一場面の映像がが流されているが、
その光景(場面)が、走っても走っても終わらないのである。
津波は、すべてを壊し、すべてを奪い去って行ったのです。
どこに何があったのかが地元の方にもわからない位波にかき回されているのです。
自衛隊員や消防隊員が疲れきった様子で、コンクリートの上に横になり休んでいる光景もあった。
瓦礫の中で、何かを一生懸命さがしている人。
何もできず、その光景をただ見ていることしかできない人。
そんな中で、小さな子供が笑顔ではしゃいでいる場面を、複雑な気持ちで眺めていた。
私たちが向かったのは、気仙沼市の向こう、唐桑半島にある65名が避難している中井公民館であった。
気仙沼市を抜け10分程走った小高い場所にその避難所はあった。
何の情報もなく、心配しながら向かったが避難所にはある程度の物資が揃っていた。
最近、医者が来てくれるようになり避難所内に救護室が設けられ、避難している人たちはとても安心したという。
ガソリンさえあれば、町へ自分たちで、必要な物を調達しに行くことができるが、今はまだそれができない。
避難所には物は揃い始めているが、避難していない自宅を避難所がわりに親戚を受け入れているところに物が行き渡らないとのこと。
まだまだ課題は山積みとなっているが、避難所そのものの情報が得られたことは感謝だ。
心配しておられた方へ、良い報告ができそうだ。
仙台から中井公民館まで約3時間40分程であった。
避難所は、ようやくドコモがかろうじてつながるようになったという。
役目を終え、仙台へ戻る途中雪が降って来た。
今晩もとても冷え込みそうだ。
避難所の方々がこの寒さで体調を壊さないように祈るばかりです。
東北自動車道が一般車通行可能になったことは、とても喜ばしいことだが、
その為の交通渋滞で僻地の避難所への物資供給が遅れないかと心配だ。
仙台への帰路、気仙沼市を抜けたころ、ようやく携帯がつながった。ホッとしました。
少し携帯が繋がらないだけでも不安なのに、繋がらない状態が続いている被災者の方々の不安の大きさはどれほどのものだろう。.
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Posted at 2011/03/24 18:18:23 |
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