2011年03月27日
他のブログに書いた内容のコピペです。
本当は、ちゃんと書きおろそうと思いましたが、今の僕はちょっとパワー不足です。
僕は、メンタルの病気持ちです。今も治療を続けています。
職場復帰して1年、順調に回復してきたときに起きた震災でした・・・・・。
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震災から、すでに2週間が過ぎました。
あの瞬間、みなさんは、どこで何をしていましたか?
大きな揺れがおさまったとき、心に何を思いましたか?
僕は、何が起きたのかが分からなかった。
直ぐに、携帯やスマートフォンで、情報収集を始めた。
実家のある栃木は、震度6だった。
家族と連絡を取るも、電話は通じず、何とかメールを送ることはできた。
無事を祈るばかり。
その後も余震は続いた。
そして、その日からメディアによって凄惨な被災地をの映像を繰り返し見続けることとなる。
そのことが、のちのち自分の体調に変化をもたらす要因になろうとは知る由もなかった。
偶然にもライフラインは、実家・自宅ともに問題はなかった。
ある程度の食料品の買い置きもあり、特段心配する必要はなかった。
それでも、続く余震、深夜の緊急地震速報、続々とテレビの画面に映し出される凄惨な被災地。
いつしか、地震酔いを起こし、動悸を感じ、熟睡することができなくなっていた。
病院から頓服で処方された、睡眠薬と鎮静剤を飲んで、その場をしのぐが、結果的に、うつ状態を発症してしまった。
今回の原因は、はっきり言って、明確だと判断した。
それは、積極的な情報収集をしているなかで被災地の映像を繰り返し見ていたこと。
被災された方々の悲痛な叫び、現地で支援している人たちの苦しみ。
それを、見続けてはいられなかった。
自分の体調の回復をさせるために、1日の間、情報(とくに映像)をシャットダウンした。
その結果、すこし、体調が少し戻った。
時を同じくして、民放各社が、特別報道番組を取りやめ一般放送を放送し始めた。
先日、主治医の診療を受けた時に、今回の体調不良に関してよくよく相談をした。
地震をきっかけに体調を崩している人はとても多いようだ。
民放各社の対応も、そういった精神衛生上の配慮も一因にはあるそうだ。
僕の場合は、睡眠薬と、鎮静剤を服用することで経過をみることになった。
震災のことは、しっかりと受け止めていく責任はあると思う。
その為にも、一人一人が自分たちのできることを積み重ねていけばよいと思う。
それは、震災の現場であろうと、帰宅難民であろうと、計画停電の地域に住んでいようと、そうでなくても、一人にならず、みんなが協力し合って前に進むことが必要なんだと思います。
ただ、無理をしないで。
無理していいのは、笑う時だけだよ。
泣くときは思いっきり泣こう。
だけどね、傷ついた心の、一番の治療薬は、「笑顔」だと思うんだ。
Posted at 2011/03/27 21:35:29 | |
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2011年03月13日
自分自身、家族ともに無事を確認。
自宅、実家ともに大きな被害はありません。
会社事務所の入居するビルの屋外喫煙所にて地震に遭遇しました。
踏ん張っていないと立っていられないほどの揺れ。
ビルからは、たくさんの人が飛び出てきて、騒然としていた。
ビルの付近は窓ガラスが割れて落下してくる可能性があり、ビルが面したJR高崎駅東口のロータリーに避難する。
しばらく、家族との連絡はとれず、ただ、メールの送受信ができたため、何とか
JRの改札も閉鎖されたこともあり、ロータリーに人があふれ返り、たくさんの人が移動手段を求めたため、いつもはいっぱいのタクシープールがガラガラになった。
しばらくは、大きな余震が続いたため、避難を続けるも、携帯は、パケット通信はできるものの通話はできず、連絡手段を求めて、一度、ビル内へ。ビル側からは、あくまで自己責任と言われるも、いったん職場に引き返す人は多かった。
エレベーターはもちろん停止、非常階段や廊下の壁は亀裂が入り、余震のたびにミシミシきしんだ。
外線電話は、不通。しかし、内線電話は、利用可能だった。
会社の方針は、関東圏は、待機命令が出ているらしい。
かといって、きしむ事務所にいられないため、再度外に避難。
安否確認のできた人で、交通手段のある人から、自宅に帰ってもらう。
出張者の安否がわからず、待機命令の解除を待ちながら、連絡を取り続けた。
ようやく、安否確認が取れたころ、待機解除となり、自宅に帰る。
自宅のインフラはすべて利用可能な状況だった。
しばらくテレビや、インターネットで情報収集をすると、とんでもないことが起きたと思った。
すでに暗くなっていたが、ガソリンと食糧を求めて、近所に出かける。
しかし、町が暗い。なんと、隣の町内は、停電していた。
信号は消え、ガソリンスタンド、スーパー、コンビニ、すべて店を閉じていた。
自宅に一番近い、コンビニは営業していたので、影響はないものだと思ったのが間違いだった。
とりあえず、給油と本格的な物資の確保は、翌日以降にするとして、直近の分として、おにぎり、カップラーメン、チョコレート菓子、飲み物をコンビニで調達。
電池の買い置きはあるのと、単3×1本で十分明るいLEDライトがあるので、なんとかなる。
携帯も、リチウムポリマーの携帯バッテリーがあるので、電源がなくても、2回ぐらいは充電できそうだ。
スマートフォンのRadikoアプリでラジオを聴き続けながら、ベットに横になる。
余震、そして、携帯のエリアメール、会社の安否確認システムからのメールに何度も起こされながら、夜を明かした。
朝になり、インターネットで、各スーパー等の小売店の状況を確認する。
近くのドラッグストアはどうやら営業しているようなので、行ってみた。
昼前だからか、客数は少なかった。
それでも、商品は少ないように感じた。
飲料水とカップめんを箱で調達。
しばらくは、何とかなるだろう。
それから、気になっていた、ガソリン。
群馬は、物流の回復が早いかもしれないが、実家のある栃木は、東北道が止まっているため、最悪、物資を運ぶことなども考えると、給油しておきたかった。
セルフではなく、有人のスタンドを選んだ。満タンにしてもらえた。
この時点で、すでに、宇都宮市内のスタンドは、緊急車両以外の給油は中止しているなど、某妹が困って電話してきたぐらいだ。
明日は、通常通り出勤。
ただ、どうなるのかは分からない。
停電もあるようだし、食べ物、飲み物、電池類などは持って、出社しようと思う。
茨城県内でも、相当の被害が出ているようだが、情報が少なく、状況が分からない。
同僚、知り合いも多いだけに、不安だが無事であることを願う。
Posted at 2011/03/13 22:51:39 | |
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2011年03月07日
お久しぶりです。
先週は、仕事でほとんどの時間を東京で過ごしていました。
寝るのも深夜、ホテルや家にたどり着くのも、てっぺん過ぎてからという日が続き、正直しんどい。
んでも、やっぱり、仕事(具体的にいえば仲間との一体感だね)は、良い♪
それでもって、仕事先で、中国は四川省の火鍋の素をたまたま入手。
さっそく土曜日に、食してみました。
袋を開けると、食べるラー油みたいな、ドロドロ感。
唐辛子と、山椒の粒が、これでもかってぐらい入っていて、ビックリ!
一口、口に入れたら、反射的に「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」って叫んだよ。いやマジです。
超激辛、そんでもウマい。
胃腸は、かなりの刺激を受けたようで、ずぅーっとぎゅるぎゅるしてるし(´-∀-`;)
あ、べつにお腹を下しているわけではないですよ(;^ω^)
それでも、ケツファイヤーしましたけどwwww
血の巡りが良くなるのか、体はぽかぽか、つうか熱い。
そして、鼻水垂れるし。
辛さで、なんだか感覚麻痺するし。
そして、ムフフな効能もあるようで(謎)
これも、みんな、4000年の歴史の賜物???
話のネタには、尽きない、刺激的な美味しさでした(笑)
Posted at 2011/03/07 00:58:28 | |
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