
沖縄 きょう那覇の住宅街で不発弾処理 約1400人に避難呼びかけ
2024年9月29日 8時37分
沖縄では、79年前の戦争で残された不発弾の処理が続けられていて、29日は、那覇市の住宅街で大規模な処理が行われ、およそ1400人に一時避難を呼びかけます。
29日、処理が予定されている不発弾は、去年12月、那覇市首里山川町の住宅街で下水道工事中に見つかったものです。
一帯は、79年前の沖縄戦当時、旧日本軍が首里城の地下に置いた司令部ごうに近い激戦地です。
陸上自衛隊が詳しく調べたところ、不発弾はアメリカ軍機から投下されたとみられる250キロ爆弾1発で、長さがおよそ1.2メートル、直径が36センチ程あり、爆発のおそれがあるため、現地で信管を取り外すことになりました。
処理が終わるのは午後2時ごろの見込みです。
万が一の事故に備え、不発弾から半径およそ280メートルの範囲では、住民や企業の従業員、それにホテルの宿泊客を含むおよそ1400人に対し、午前8時50分以降、一時避難が呼びかけられ、近くの高校と中学校の合わせて3か所に避難所が設けられます。
また、午前9時50分からは周辺の道路が通行止めになるほか、路線バスの10の系統、合わせて85の便がう回して運行し、現場周辺での乗り降りはできなくなります。
大規模な避難を伴う今回の不発弾の処理について、那覇市は「過去に起きた事故を念頭に安全第一で進めるため、住民や観光客などに不便をおかけするが、安全のために理解と協力をお願いしたい」と話しています。
沖縄に残された不発弾を処理するには、あと70年から100年ほどかかるとみられ、“終わらない戦後処理”とも言われています。
沖縄と不発弾 今も1日1件以上のペースで見つかる
太平洋戦争末期、沖縄は「鉄の暴風」と言われるほど無数の砲弾にさらされました。
使われた弾薬の総重量はおよそ20万トンと言われ、そのうちおよそ1万トンが不発弾として残ったと推定されています。
1972年の本土復帰までに住民やアメリカ軍などによって処理されたのは、その半数ほどです。
このため、不発弾は本土復帰後も住民を苦しめました。
復帰から2年後の1974年3月、那覇市の幼稚園のすぐそばで旧日本軍が戦時中に埋めた改造地雷が爆発し、3歳の女の子を含む4人が亡くなり、34人がけがをしました。
対応を求める声が高まり、3か月後、不発弾処理を専門とする陸上自衛隊の部隊が発足しました。
それから50年がたった今も不発弾は沖縄県民の暮らしに影を落とし続けていて、今も1日に1件以上のペースで見つかっています。
Posted at 2024/09/29 09:30:43 | |
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