
高校2年のときの担任は、荒川先生(仮名)という方でした。泣く子も黙るバリバリの体育教官で、武闘派として校内で盛名を馳せていました。風貌は、俳優の藤岡弘氏そっくりで、自ら猛将の気配を隠そうとしないエネルギッシュなキャラクターでした。
ある日の放課後、麻雀を覚えたての同級生が私に話しかけてきたことが、荒川先生の不興を買いました。
「なあ、幺九牌(ヤオチューハイ)があるときってさあ」
いつもであれば、ホームルーム後、速攻で顧問を務めるバレー部の練習に向かう荒川先生が、その日に限って、教室に残っていたのです。同級生が手にしていた麻雀の解説本も見られていました。
「なんだと、貴様ら、放課後に麻雀やってるのか」と言いながら、私のほうへ近づいてきました。
荒川先生のパンチパーマが目睫に迫る距離まで接近したのが見え、思わず目を伏せました。尋問されても仲間を売るようなことはできません。となると、荒川先生が一番嫌う黙秘に徹するしかなく、鉄拳制裁確実の情勢に観念したのです。
「そんなに麻雀が好きなのか。卒業したら、俺の家にこいや。死ぬほど打たせてやるよ」
荒川先生は、不敵な笑みを浮かべていましたが、そのひとことだけで立ち去ってしまいました。猛将が高僧の雰囲気も漂わせる異様な姿でした。当時、放課後にトランプ麻雀が流行っていたのですが、あまりの不気味さに、しばらく誰もやらなくなってしまいました。
3年生になると、担任が代わり、荒川先生とは会話を交わした記憶がないくらい疎遠になっていました。久しぶりに話したのは、卒業式の直後でした。「ちゃんと用意してあるからな」という話でしたので、卒業証書を抱えたまま、ご自宅をお邪魔しました。女優並みに美人の奥様の手料理をご馳走になると、2階で徹夜麻雀が始まりました。
結果は、荒川先生の圧勝でした。朝焼けで周囲が明るくなっていた時間帯の、泣きの1回でも敵わず、そのまま倒れ込むように就寝しました。
起きたのは、正午過ぎだったと思います。奥様の手料理を頂いたのですが、肝心の先生の姿がありません。
「主人、そのままゴルフに行ったわよ。皆さんに宜しくねって」
泣きたいのに涙が出ない複雑な気持ちになりました。感謝の気持ちが涙を押し戻していたのだと思います。心の中で、「先生、有難う」とつぶやくしかありませんでした。
Posted at 2022/09/28 07:16:02 | |
トラックバック(0) | 日記