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haji.のブログ一覧

2011年08月20日 イイね!

自分におけるポルシェの原点を再購入

自分におけるポルシェの原点を再購入以前、自分におけるポルシェの原点として紹介した、「新潮文庫・世界の名車グラフィティ①ポルシェ」がやっぱり再度ほしくなって、Amazon(のマーケットプレイス)で購入。ついでに④トヨタスポーツも購入。

しかし、28年も前の昭和58年発刊の文庫本なのに、とても状態がよい。トヨタスポーツなんて帯も中に挟んである新刊の広告もそのまま。

ネットが普及する前は、絶版本を探すには自分の足で古本屋を巡るしかなかったし、巡ったところでこんな本を探し出すのは無理だろう。嗚呼すばらしきかなネット社会。

自分におけるポルシェの原点で触れた、当時8〜9歳のhaji.少年の人生を変えた(←大げさ)「ワークス956が3台並んだ写真」が↓コチラ。



写真の写真なのでうまく伝わらないが、久しぶりに見てもこの写真の956の迫力・存在感は凄かった。

①ポルシェの中で他に好きだった写真が↓コチラ。



924カレラGTS(レース車両)がウジャウジャ。レースカーを市販車のように売る、今も変わらないポルシェの凄さを示す1枚。
市販車の924はカッコいいとは言い難いが、このカレラGTSはカッコいいねぇ。赤も似合う。

④トヨタスポーツからも当時好きだった写真を紹介。




アイボリーコーストラリーとサファリラリーでのトヨタ・セリカ・ツインカムターボ。自分のGr.B好きもここから始まっているかもしれない。

それにしてもこの世界の名車グラフィティシリーズ、カラー写真も豊富だし、写真のクオリティが高い。文庫本のレベルじゃない。しかも28年も前に。驚異的。


あと、9/4のミラフィオーリ、家の用事と重なっており参加できない予定でしたが、ここに来て参加できそうになりました。
Posted at 2011/08/21 01:14:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | | クルマ
2010年10月04日 イイね!

西山平夫氏逝去 ご冥福をお祈りします。

西山平夫氏逝去 ご冥福をお祈りします。AUTO SPORT web を見ていたら、目に留まった。


       さようなら西山さん


えぇ? と、悪い予感を感じつつクリックしてリンク先の記事を読むと、案の定だった。西山平夫さんが亡くなった。

西山平夫、といっても100名中100名知らないだろう。1万人中なら1人くらい知っているかもしれない。
以下、ご本人のHPから抜粋。

西 山 平 夫(にしやまひらお)

職業:F1ライター
1952年新潟県生まれ。レース雑誌「オートスポーツ」編集部を経て
1984年フリーランスのモータースポーツ・ライターとして独立し、国内外のレースを取材。
1990年からはF1取材がメインとなり、1997年から毎年全戦取材。

現在「Racing On」「F1速報」「NAVI」「Number」
「Sportiva」「東京中日スポーツ」などに寄稿。
主な著書に…
「キレて疾れ! 片山右京を追ったF1GP日記」(双葉社)、
「ブリヂストンがグッドイヤーを追い抜いた日」(講談社)、
「おいしい和食器」(文化出版)、
「君が代が聴きたい 佐藤琢磨とホンダの戦いを追って」(双葉社)などがある。

趣味は古書店100円均一台漁り、居酒屋探訪、古道具屋巡りなど。
好きなクルマはロンドンタクシー。
ドライバーはミカ・ハッキネン。
作家はヴォリス・ヴィアン。
酒は神亀ひこ孫、群馬泉、義侠。
肴は酒盗。

仕事仲間には"御大=オンタイ"と呼ばれる。
他にニッシー、ヘイちゃんの異称もあり。



また昔語りで恐縮だが、私が西山さんのお名前を明確に意識したのは、1988年3月(haji.少年13歳)、RACING’ON誌のコラムだった。
以来、この方の文章が大好きになった。本当に面白い。そして、何度読んでも飽きない。
この方は天才だと思った。この方のような文章を書きたいと思った。
もちろん、そんな文章を書けるようにはならなかったが、自分のブログの文体は多少なりとも影響を受けているかもしれない。

最近までモータースポーツ誌にコラムを書いていたが、今年半ばから病気の治療に入り、日本GP直前にお亡くなりになったのこと。

氏のHPのトップには以下のように書かれている。何ともこの方らしい。

当HP読者の皆さん、
カナダGP後も HPと筆者のメンテンナンス作業に手間取っています。
どうもCPUにバグが入ったようで
ハイドローリック系がうまく作動しません。
よくあるトラブルですが いまスイッチを切って リセット中。
もうしばらく復旧に時間がかかりそうですが 気長にお待ち下さい。


享年58歳。ご冥福をお祈りいたします。

もうこの方の新作コラムを読むことはできませんが、大丈夫です。だってこの方の文章は何度読んでも面白いし飽きないから。


当時13歳の私が感銘を受けたコラムを以下に載せておきます。




RACING’ON 1988年5月号 HOT RACING NOTE   OVER TAKE

あの鰐たちに逢いたい      西山平夫

膝小僧が、カユいようなシビれたような、かく恐しくカッタルかった。無理もない、いったい何時間ヴァリク航空ジャンボ・ジェトの、奴隷クラスとポクらが呼ぶところのエコノミー・クラスの椅子で、膝を折り曲げていたことか。
たまらず椅子を離れて通路に立ってみたり、足の屈身運動をしてみたり、そうしないではいられなかった。(居ても立ってもいられないというのは、こういう状態を言うのかしらん?)時差ボケの紗がウッスラとかかり始めた脳ミソの片隅で、そんなことを考えたりもした。

「25時間だよ、25時間! もう~乗らねぇぞぉ飛行機にゃあ。たまんねぇよぉ」Kさんは帰りのことも忘れてそんなことを叫び、リオ・デ・ジャネイロ空港の出口に向かってズンズン進んで行く。ボクとTカメラマンは、へっぴり腰でその後を追う。このたった3人の豚汁グランプリ・ツアーメンバーの中で英語を駆使できるのは、Kさんだけだから、姿を失ってはえらいことになる。
空港ロビーに出た途端、お巡りさんに声を掛けられる。Kさんの英語能力はそこでゲシュタルト崩壊を起こしてしまった。ポルトガル語の国なのだ。それでもなんとか先方の意は通じた。換金するなら、いい闇ドル買いを紹介しようというのである。ホラ、あそこの柱の影にいる奴だよ、とかなんとか言ってる。
Kさんの目が点になった。その3秒後、お巡りさんにこう言った。「ノー。バンコ!」闇屋は嫌だ、銀行へ連れてけという気分なのである。驚くべし! これで通じるのだ。お巡りさんはエレベーターで航空会社の事務所のようなところヘボクらを案内した。ウム、銀行はないらしいが、ここなら安心だろう。Kさんは100ドルを換えてから、首をかしげ「どうもレートが安すぎるようだ」と言う。けっきょく何のことはない、闇屋で換えた方が正解だったのだ。膝が一段とダルい。

タクシーでホテルに向かう。何げなく後ろを振り返ったTカメラマンの細い目が急に裂けた。見ると、ボクらの後ろを超満員のバスが走っているのだが、これがどういう具合のものか右側に大きく傾いている。スピードは100キロを超えているだろう。道は左にカーブしている。ボクら3人は思わず顔を見合わせ、急いでバスに視線を戻した。左側タイヤがリフトしかけている! 「あっ、あ-」ボクは目を閉じた。バスは……無事だった。
ホテルヘついてシャワーを浴び、ビールを飲んだ。昼食の時間だが、3人ともベッドにゴロンと横になってしまった。ちょっとウトウトして目覚めたら、次の日の朝になってた。

ホテルの囲りをウロついてみた。ワッと闇屋さんが近付いて来る。みんな片手に手帳を持っている。こいつに数字を書きつけながら交渉するのだ。ボクはちょっと換金してみようかと思った。ボボ・ブラジルみたいな顔をしたオジサンが相手だ。彼は27と書いた。ボクはボールペンを受け取って35と応じる。向こうは28。こっち33……30まで下げた。オジサンは「サンパウロ!」と叫ぶ。サンパウロとリオじやあレートが違うらしい。結局1ドル=29クルザードで手を打った。じゃ換金……となったところでしオジサンはこっちへ来い、と言って一軒のお土産屋さんに入り、やおらそこの主人らしき中年男と手帳のやりとりをし始めた。何のことはない。ボボ・ブラジルはお金を持ってないのだ。つまり、彼はボクと土産屋さんの間に立って「カスリ」を取ろうというわけである。

オートドローモ・ジャカレバグアヘ向かう道路は、いつもレーシング・コースだった。たとえば、3車線から2車線に絞られる場所があるとすると、その寸前まですべてのクルマがアクセル全開で右に左に車線を変えながら、1台でも前に出ようとする。「これならいいドライバーが出るだろうなあ」Kさんがタメ息をついた。
サーキットヘ到着し、ホンダの特設観戦部屋を表敬訪問すると広報部の方がウナコーワ虫よけを下さった。「テストの時に、ロータスのメカが蚊に刺されて高熱を出して2人ばかりバッタリ。ま、これで気をつけて……」

決勝レースの朝、サーキットヘ向かう途中の峠道が渋滞。交通事故だった。2台の車が大破。現場はブラインドの右コーナー。どうやら、反対車線に出て追い越しかけようとしたらしい。しかし、よりにもよって一番見通しの悪いところでやることはないだろう。道路に広げた青いシートの下に、何人かの人間がいるらしかった。交通マナーなんぞというものは、あるようには思えなかった。そういえば、昨日の夜は道路脇に変な格好で止まっているクルマを見かけた。前の片輪が飛んで傾いているようなのだ。よく見たら違った。穴に片輸を落としている。なんというか……オッチョコチョイというしかない。タクシーの運ちゃんにも驚かされた。カーラジオのボリュームをいっぱいにあげて、サンバを聞くのはいいが、完全にそのリズムに酔っ払っているのだ。ハンドルのホーン部をツメで叩きながら、片手運転もいいところ。助手席に乗っているボクは気が気ではない。フルスロットルで追い越しをかけ、それに負けまいとするクルマとカーチェイスをおっ始め、ついには勝ってしまう。よせばいいのに、後席のKさんとTカメラマンが一緒に声をかけた。「ネルソン・ピーケー!」 運ちゃん大げさに照れて、なんと両手で顔をおおった。ギャーッ、前を見てくれぇ~。ボクは白目を剥き、泡を吹く寸前だった。

ブラジル・グランプリを迎える前に、ボクはこの国にホトホト感心してしまった。そうしてヘトヘトに疲れてしまった。あまりにも刺激が強すぎた。日常の姿が、あまりにも非日常的だった。誰もがいつも全開なのだ。
ジャカレバグアとは、鰐の沼という意味だが、今はもう鰐はいないと聞いた。嘘をつけ、ブラジルのすべてが鰐じやないか、と思った。お巡りさんも、闇屋も、タクシーの運ちゃんも、ドライバーも、コパカバーナやイパネマの海岸を歩く娘ッ子達も、風景も天気も、バスも、鰐なのだ。それらは、おそろしく強靭な生命力に支えられている。ブラジル・グランプリはそんな環境の中で開かれるレースなのだ。

あの鰐たちに逢いたい。あの愛すべき観客達に。イエロー・ロータスがグランド・スタンド前を突っ走ると「セーナーッ!」の大声援が時速300キロの津波となって走るのだ。
たとえ、それが中嶋だったとしても……。

Posted at 2010/10/05 02:21:20 | コメント(1) | トラックバック(1) | | クルマ
2009年08月01日 イイね!

Racing on 休刊

Racing on 休刊レーシングオン09年9月号を買ってきた。特集はヒーローズ・レーシング。まだ読んでない。忙しくて。
特集内容より問題なのは、最終頁右上の小さな字で書かれた「休刊のお知らせ」。以下引用。

1986年に創刊しました本誌「レーシングオン」は、今号9月号をもって定期刊行物としては休刊する運びとなりました。今後は不定期のMOOKとしてこれまでご支持いただいたコンセプトやテイストを活かした新しいかたちの「レーシングオン」をつくっていきたいと思っております。これまでご愛読いただき、誠にありがとうございました。

ああやっぱり、という印象ではあるが。ここ1年ほど、広告・頁数・カラー頁数とも減っていた。そりゃ広告出稿していた各社も赤字決算→モータースポーツ関連予算も広告予算も削減てな状況で、モータースポーツ専門誌への広告なんて真っ先に削られる。背表紙はほぼ毎回「トヨタ交通安全センター モビリタ」だったし。

レーオン誌はオイラの青春時代においてそこそこ大きな構成要素だった。
初めて手にした自動車雑誌は auto technic 1985年1月号(写真右)。当時10歳(小4)。
その後、オーテク誌の衰退・レーオン誌の充実と小遣い額が多少アップしたことにより初めてレーオン誌を買ったのが1988年1月号(写真左)。当時13歳(中1)。
以降、大学受験とグループCの衰退が重なりモータースポーツへの興味が一時薄れた18歳(高3)まで、レーオン誌を毎号買っていた。

なので、今回のレーオン誌の休刊はとっても残念だし、なんだか切ない。
ただ、今後はMOOK形式で発刊され、この10月にはMOOK形式第1号としてティレル特集の発刊が予定されているとのこと。ここ数年のレーオン誌はノスタルジー企画が定着していたし、リアルタイムのレースに関してはネット等で情報を得られるんで、ノスタルジー企画部分のみを括りだしてMOOK本で出版するのも、内容がより深くなるんでいいことかもしれない。

現在もう1誌毎号愛読しているF1 modeling誌も、出版社の倒産という致命的な状況を乗り越えて存続しているので、レーオン誌も今後の存続と健闘を期待します。買うんで。

Posted at 2009/08/09 12:29:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | | クルマ
2008年12月01日 イイね!

自分におけるポルシェの原点

自分におけるポルシェの原点オイラが初めてポルシェを明確に意識したのは、新潮文庫「世界の名車グラフティ①ポルシェ」を手にしたときか。

1983年発行(当時haji少年8~9歳)の文庫本。ポルシェの後は②BMW ③VW ④スカイライン ⑤トヨタスポーツ(ソアラ・MR2・2000GT・1600GT・ヨタハチ)と続く。

岡崎宏司氏によるこのシリーズは、400円強の文庫本なのに、カラー写真も多く、内容も例えばポルシェ編では911の4駆実験車の話、VW編ではツインエンジンシロッコの話など、程よくマニアック。

レースの話も豊富。今から思えば、オイラの関心がレース方向に行ったのは世界の名車グラフティシリーズがきっかけかも。特に、ポルシェ編にロスマンズカラーのワークス956が3台並んだ写真が載ってて、その956の神々しいまでの美しさと醸し出すオーラに心奪われた。
この本を読んでも、当時8~9歳のhaji少年は「将来、絶対に911を手に入れるぞ!」とまでは思わなかった。その代わり、956に永遠の憧れを感じた。現在、Cカー、なかでも956/962を中心とした1/43ミニカーが200台以上(数えてないが300台近いかも?)集まったが、その原点はこの本なのかもしれない。

世界の名車グラフティシリーズ、親に買ってもらったか小遣いから工面したかして手に入れ、文字通りボロボロになるまで繰返し読んだ。特に①ポルシェと⑤トヨタスポーツがスキだった。惜しむべきは、ずいぶん前に捨てちゃったこと。残しておくべきだったなぁ。ネットで検索してみたら、現在も古書として流通してるようだ。多少のプレミアがついて。すげえ。

ところでこのシリーズ、ずっと岡崎宏司氏の著作だと思ってたが、今回検索してみたら、①ポルシェは岡崎宏司編・福野礼著だった。福野礼といえば福野礼一郎氏の昔の筆名だ。
氏の文章はとってもスキ(「福野礼一郎の宇宙 甲・乙」は自分的にかなりの名著)。

956といい福野礼一郎氏といい、う~ん、八つ子の魂35まで。
Posted at 2008/12/02 00:38:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | | クルマ

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