
~由緒~
ご創建は、和銅五年(712年)と伝へられ、規模の大きさ、ご社殿の荘厳さとご霊験のあらたかさで、大勢の方々の信仰を集めています。
社記によると、平安時代の中頃、下総の国(千葉県と茨城県の一部)の城主平忠常が謀反を起こし、またたく間に近隣諸国を切り従へ、ついにその威を関八州にふるい、大群をもって武蔵の国(埼玉県と東京都・神奈川県の一部)川越まで押し寄せてきました。
朝廷は、武門の誉れ高き武将源頼信を忠常追討の任に当たらせ、当地野久ヶ原に本陣を張り、頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行きました。
頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、自ら先頭に立ち敵陣に攻め入ると、ふいを突かれた忠常軍はあわてふためき、一旦は後退したもののすぐに盛り返し、三日三晩にわたる激戦も、神を信じ戦う頼信軍が勝利しました。
帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、ご社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じたのでした。
以来、箭弓稲荷神社は松山城主、川越城主をはじめとして多くの人達等の信仰を集めてきましたが、平和な時代を迎へるとともに、前にも増して隆盛を極め、特に江戸時代には、江戸(東京都)をはじめ、四方遠近からの参拝者で社前市をなしたといわれています。
現在も大小百あまりの講社があり、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であるとともに、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めています。
なお、境内のぼたん園では四月中旬頃より、花王と呼ばれる牡丹が、藤やつつじと咲き競い、目を楽しませてくれます。
~祭神~
宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
~行事~
火伏神事(ひぶせしんじ) 初午祭前日
初午祭(はつうまさい) 3月 初午
ぼたん祭(ぼたんさい) 4月中旬~5月上旬
崇敬者大祭(すうけいしゃたいさい) 4月中
團十郎稲荷祭(だんじゅうろういなりさい) 5月
夏越大祓式(なごしおおはらいしき) 6月30日
みたままつり 8月
例大祭(れいたいさい) 9月21日
團十郎稲荷祭(だんじゅうろういなりさい)(観月祭(かんげつさい)) 10月中
新嘗祭(にいなめさい) 11月23日
七五三詣 11月
師走大祓式(しわすおおはらいしき) 12月31日
除夜祭(じょやさい) 12月31日
元旦祭(がんたんさい)(新春祈願祭(しんしゅんきがんさい)) 1月1日
古神札焚上祭(こしんさつたきあげさい) 1月7日
箭弓天満宮祭(やきゅうてんまんぐうさい) 1月
節分祭(せつぶんさい) 2月3日
祈年祭(きねんさい) 2月17日
以上、公式HPより
ブログ一覧 |
神社・仏閣 shrine/temple | 日記
Posted at
2012/01/02 21:14:20