
先日1/10の
ハガキ里帰りで見学したマツダミュージアムで
前回2025/4/12時に展示されていなかったクルマ。
それが
マツダT2000というオート三輪車。
近所でも走っているのをタマに見かける事があるが。
やたらデカい荷台は圧巻で、全幅も広い。
<仕様>
水冷直列4気筒1985cc、全長6.08m、全幅1.84m、荷台長4.08m
全長6.08mながらも最小回転半径5.93mと小回りが利く
三輪トラックでは最速の100km/hを誇る。
調べてみると。
マツダは1931年(昭和6年)からオート三輪の製造を開始。
翌年には国内オート三輪の25%のシェアを占め、海外に輸出していた。
戦前の商業ニーズから生まれたオート三輪。
これが戦後に大進化を遂げてしまうw
1950年(昭和25年)に始まった朝鮮戦争による特需で景気拡大が後押しし、オート三輪車の排気量とボディサイズの規制が撤廃される。
排気量規制と車体外寸規制の撤廃とは凄いw
オートバイに荷台を付けただけの車が、より自動車らしく、より大きくなっていった。屋根がつき、ハンドルが円形になり、ドアがつき、内装が充実し、荷台が大型化。
恐竜的に大型化して、居住性、積載量増加により全長6mの三輪車とか。

今思えば何て物を作ったのかと思うw
実父から聞いた話ではオート三輪車は構造的にコーナリングが苦手で、交差点や曲がり角にオーバースピードで入って、バランスが悪い三輪車はよくひっくり返っていたらしい。

ひっくり返った車体を運転手と周囲に居合わせた人が手伝って起こして、復帰していくダイハツのミゼット等の小型オート三輪車をよく見かけたと言っていた。
T2000(ターミネーターかw)の様な6mもあるオート三輪車はその限りではないでしょうw
オート三輪車の進化は当時の日本の道路事情によるところが大きい。
当時の道路は舗装率が低く、道幅も狭く、曲がりくねっており、車のすれ違いも困難であった。
生活道路では車一台が通れるかどうかという状況で、雨が降れば泥道となってしまう状態。
そんな道路事情の中では、オート三輪の機動性が重宝されたらしい。
特に三輪ゆえに回転半径が小さくて小回りが効く。
ぬかるんだ道での走破性が高いというメリットもあった。
また、4輪トラックよりも安価という点でもオート三輪のメリットだった。
しかし、昭和40年代に入ると三輪ゆえの不安定さや高速走行時の安定性や性能面から次第に衰退。
四輪トラックの普及に伴い、マツダはオート三輪市場から昭和49年(1974年)に撤退したという話。
昭和時代の話でした(爆)
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#マツダミュージアム #三代目RX-7生誕35周年 #FD3S型RX-7生誕35周年 #里帰り
Posted at 2026/01/19 21:12:22 | |
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