賛同,異論,反論と意見には様々な主張がある。
私が常々,念頭に置いているのは,正義は一つではないということだ。
ある正義があるとき,反対側にも同じ量の正義,すなわちアンチテーゼが存在する。
たとえば,殺人は許されない。
しかし,死刑は制度として認められ,こと戦争においては,殺した人数に応じて勲章まで授与される。
国が富むことを望まない者はいないだろう。
だが,それによって不利益を被る国があることも事実だ。
戦争などは,その代表と言っても差し支えない。
行為そのものは同じでも,状況が変われば正義の符号は反転するのだ。
政治家は国家を説く。
勘違いしがちだが,国家に従属して国民がいるのではなく,国民の自由を守るために国家があるのだ。
正義を掲げること自体は,どの体制でもできる。
それに異論反論を提唱できるかどうかが,民主主義か否かの分水嶺である。
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先日,高市首相は記者会見を開き,衆院解散を表明した。
会見中,自ら「高市早苗」の名を繰り返す姿は,かつてAKB48の総選挙で,涙ながらに支持を訴えていたアイドルと重なる。
感情に訴える演出は,見せ方を心得たタレントのようだ。
高市政権は発足以来,高い支持率を保っている。
しかし,その正体は,「政策」や「実績」ではない。
1回8万円の笑顔講座などで培った「演出」で無党派層を掴み,おぼろげな「期待」ばかりが先行した数字だ。
現に,支持者から聞こえてくる多くは…
「やる気がみなぎっている」,「決死の覚悟が見える」,「日本を背負う気概がある」などの声。
どれも政策や実績ではなく,明治安田生命が実施する「理想の上司」アンケートに近い。
ここまでの主な政策を並べてみる。
・ガソリン暫定税率撤廃
・103万円の壁→178万円まで引き上げ
・衆議院議員の定数削減
・自賠責保険の国庫返済
どれも「やる」と言ったが,「やった」のは前内閣からの引継ぎであるガソリン税だけ。
あとは実施時期はおろか,方法さえ決まっていない。
しかも多くは,総理の椅子と引き換えに差し出された交換条件ばかり。
椅子に座ったとたん,約束は反故にしつつある。
協力した日本維新や国民民主とは,互助会のような合意書を交わした。
だが,結果として,自民のほうが一枚上手だったと言うほかない。
同じ狢(むじな)の政治家をあざむくぐらいだから,国民の期待を操るなど朝飯前。
政調会長時代の原発に関する命の軽視発言,総務大臣時代の行政文書ねつ造国会答弁,統一教会との関与,裏金議員の登用───
どれも時間が経てば忘れられることを,本人は熟知しているのだ。
だからこそ,強い口調でナショナリズムをあおり,リーダーシップを演出する。
中身よりパフォーマンス。
国民が喜びそうな言葉を一つ投げれば,支持率は1%上がる。
権力志向と選挙の戦い方は,師匠譲り。
そして,打たれた次の一手が,国政を置き去りにした「衆院解散」だった。
自民の支持率は沈んだままだ。
それに反し,自らが率いる内閣の支持率は,好調を維持。
この状況での解散は,高い支持率に酔った党利党略解散と見るのが自然である。
その代償は決して小さくない。
国会日程は分断され,新年度予算案の年度内成立は絶望的な状況。
政策遂行よりも選挙を優先した結果が,行政の停滞として国民に跳ね返る。
私は昨年の総裁選の時点で,今後誕生する高市政権は国の将来を見据えたものではないと書いた。
短命政権の弊害など顧みず「首相をやりたいだけ」だと。
いみじくも,その予言は,就任3ヶ月を待たずして当たった。
記者会見で首相は,「高市早苗でいいか?」を問う選挙だと断言したが,それは議院内閣制の優位性を踏みにじった言動だ。
なぜならば,大統領制と違い,国民が選ぶのは首相個人ではなく,政策とそれを担う議会の構成だからである。
権力の暴走を防ぎ,非常に強いブレーキを有するのが議会で,議員内閣制とは「誰がやるか」より,「何をやるか」なのだ。
会見で掲げられた解散の大義は曖昧で,信任を問うには,あまりに時期尚早だ。
就任から日も浅く,多くの政策が着手段階にすら至っていない現状で,国民が審判を下すのは無理がある。
根拠に乏しい大義をいくら並べようと,そこには本音が透けて見える。
それは政策への信任ではなく,独裁へ突き進む自民単独過半数だ。
そして,もうひとつ言及しておく。
この政権は,国民本位の成果を残す前に時間を使い切る。
「やった」ことより,「やる」と言ったことの数だけが記憶され…
終わる頃には,誰も責任の所在を語らない。
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2026/02/02 18:00:28