今日は曇り、暑かった。
今日で休日高速1000円は終わり。
なので、母親連れて、韮山の
江川邸見学に行くことにした。
午前中起床10時頃出発。
そんなに渋滞もなく沼津まで。
高速降りてからもそんなに渋滞気配は無かったが、
1号線であっさり道を間違えた。
地図では右折だが、立体交差だと左車線に居ないと出れないのだ。
適当に走りつつ136号線に復帰。
家から1時間半程で江川邸に到着。
なんでまた江川邸見学なのか、というと、
江川太郎左衛門の家に飾られている家紋、うちと同じなのだ。
別に親戚とかそういう関係にはない。
本家には相撲大会で優勝した賞品として家紋を賜ったと伝わっている。
井桁に16枚菊、大変珍しい家紋らしく、
位牌作るとき、紋付着る時などなど、常に”そんなのない”と言われる紋章ではある。
これが幼少時よりず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと謎であったので
見学に行ってみたというわけだ。
さて、この江川太郎左衛門、どんな人物であったかというと、
清和源氏の大和源氏の宇野氏が保元の乱で破れて伊豆韮山に流れて来て居座り、
源頼朝挙兵に参加したり、北条早雲の伊豆進攻の際に臣下になったり、
豊臣秀吉の小田原攻めの時には徳川家康の臣下になったりして、
江戸時代は甲斐、駿河、伊豆、相模、武蔵の天領を統括する世襲の代官になっていたようだ。
幕末には韮山に反射炉を築き、東京湾にお台場作ったりしている。
(かなり端折りました)
この中で肝心なのは、お代官様時代が長かったということ。
おそらくは、その在任中に相撲大会を催し、家紋を賜ったんであろう。
また写真は、井桁に16枚菊の紋章ができた由来が書かれている。
家康の指示でできた紋章ということは、案外若い紋章で、
使ってる人がた~くさん居るわけでもなく、大抵の家紋の本見ても出てないのが
わかる気がした。
明治政府になってから、菊の御紋は皇室の御紋と定められちゃったので、
恐れ多いと、肝心の江川家は明治から使ってないらしい(江戸時代限定って事)。
うちはというと、恐れ多いって事で16枚菊→13枚菊と花びら減らして使ったらしいが、
ますますマイナーな事になってしまった。
あんまりマイナーなので、祖父が亡くなったとき16枚に戻して位牌作ってもらったくらい。
江川家と関係がないとも言えない旗本夏目家(夏目漱石は子孫)の
家紋は
やはり井桁に16枚菊であるが、ちょっと違う。45度程回転してるし、
菱形ではない。
こっちは井筒に16枚菊と言うべきであろうか。
家紋成立の謎が溶けたのでちょっとスッキリしました。
帰路、三嶋大社に寄って行こうかと行ってみたものの、祭りで入れず断念。
そのまま1号線で箱根越えで帰る事に。
順調に進んだけれど、宮ノ下過ぎてから渋滞。
ゆっくりすすむ景色を見つつ、沿道に並ぶ旅館を見ると、どこの駐車場も一杯。
渋滞の原因は箱根湯本駅周辺でのお買い物客が多すぎて、道を随時渡るもんだから、
渋滞してたようだ。
震災の自粛ムードで壊滅的にお客さん来ない症候群になってたと聞いてたけど、
高速休日1000円終了をうけてなのか、これだけお客さん居たの見たのは此処数年で
初めてかもしれない。
この調子で復興してくれるといいんだけど・・。
こんかいの遠征で、車のエアコンがまたしても不調ってことが判明。
帰宅後早速スバルに持っていったけど、要領を得ない。
どうもコンプレッサーなど機械的な部分は動いているけど、スイッチが
入らないようだ。リレーが異常動作してるんじゃないかと
来週月曜また預けることになり、ガックリ。
まあ充実した一日だったから良かったか。
Posted at 2011/06/21 21:26:19 | |
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