
ご無沙汰しておりました。
ずっと書こうと思いつつ、内容がまとめられなくて、
ウダウダしていたら、こんなに経ってしまいました。
震災から今日で1年。
私が石巻に行ってから約11ヶ月。
久し振りに(しかもクルマのSNSにどうなん?とも思うけど)、
思いのまま書いていこうと思います。多分まとまりないと思う・・・
<石巻に行った4/20まで>
3月後半に『行けます』と意思表示していたものの、
5月頃の派遣と聞いていたのにかなり前倒しな依頼。
混乱しました。
情報が錯綜して、例えば準備に関することは、
『シュラフと数日分の水・食料は要るらしい』と聞いた数日後には、
『どうもビジネスホテルに泊まれるようになった、県が押さえてあるみたい』とか。
しかし出発1週間前『泊まるとこは自分で予約しなきゃいけないみたいよ?』・・・
何持っていけばいいのか、どうすればいいのか、全く分かんなかった。
出発直前まで、県や同業者なんかと連絡しあう日々。
なんとか水道が回復してるとこがあって、
でも数日後には使えなくなったという事もしょっちゅう。
行ってみないと分からないという、結構ぶっつけ本番な現状。
まあ、旅行じゃなくて支援なんだもん、仕方ないよね。
<石巻での7日間・・・4/20〜26>
1. 活動基地と宿泊場所
地元から約8時間かけて、県のバスに乗り、20数名の団体で石巻入り。
活動基地の石巻保健センターに到着。
顔なじみの同業者の、元気そうな笑顔を見てホッと安心。
到着した日は、水の出ない保健センターでの宿泊。
活動に必要なものは全て、県から持参しており、拠点としては不自由ない。
マスク・消毒薬・文房具・パソコン・プリンターなどなど。
食料も十分過ぎるくらいあるものの、水が使えないって不便だ・・・
トイレは仮設だし、当然お風呂なんてない。
翌日からは5日間は、学生寮みたいなペンション(?)に宿泊。
初日はシュラフでザコ寝だったし、風呂無し。
お布団があって、ひとりの時間がある。
キレイとは言えないお風呂だけど、入れるだけでも天国と思った。
そしてタオルに関しての張り紙・・・
希望すれば交替可、でもクリーニング業者が被害に遭い、ストックが限られ、希望に応じられないかも。
・・・ここ以外にも、そこかしこに“非常時”の雰囲気がある。
でもご飯は、朝夕普通に提供された。家庭的なご飯。
普通ホテルで当然に提供されるサービスが、ひとつひとつありがたい。
そして最終日は、何かの手違いから、私だけ別のホテルに行く事に。
これが全国チェーンの、わりと安価な方のビジネスホテルだったんだけど、
前日までに比べたら、本当に天国だ。
部屋着があって、キレイなお風呂があって、
朝なんてバイキングで和食か洋食が選べたりして。
今まで何にも感じなかったサービスに感動。
ちなみに、最終日の晩餐は、活動基地近くで焼肉(!)だったのだ。
2. 活動内容
実働は5日間。石巻市役所で毎朝申し送り。
市役所は仮面ライダーV3(トップ画像)が守ってくれたピンク色の建物で、
でも全体的に建物内がドロだらけ、罹災証明受け付け待ちの行列が長く続く。
職員もみんな被災者で、疲弊と混乱が傍から見ててもわかる。
もう仕事内容は限界を超えてるらしく、
申し送り中に感情的になって泣き出しちゃう人もいた。
みんな、自分のことを主張してるんじゃなくて、
“いかに困ってる人に適切はサービスを提供するか” なのだ。
みんな大変なのにとっても一生懸命。
ちゃんと休んでるのかなぁ、と不安になる。
私の属する「石川県こころのケアチーム」、
基本は避難所の巡回なんだけど、戸別訪問の依頼もあった。
数カ所回った避難所は、意外と人が居ない。
被災から1ヶ月経ってたから、自宅に帰った人も多いし、日中は自宅で片付けしてる人も多いそうだ。
大半は学校。1教室に数家族ずつがエリアを決めて住んでいるところもあれば、
体育館に200人弱いて、各世帯が1〜2帖分くらいづつブロック分けされてる。
プライバシーもなんにも無いよね。大変だ。
でも、公民館の避難所は、数世帯が仲良く協力しあって住んでた。
そして、各避難所それぞれの格差に驚かされる。
救援物資が潤沢で、行政の出張所なんかができてたり、サービスが行き届き始めてるところや、
物資は乏しく、情報からも隔離され、仮設トイレも壊れてて、道も殆どが通じてないところも。
避難されてるみなさんは、疲れはみられるものの(当然だよね)、本当にやさしくて。
『石川から来てくれたの?遠くから大変だねぇ。ありがとう』と、何度声をかけられたことか。
仕事のできるチームメイトに助けられてばかりの私は、恥ずかしい限りだった。
しかも、先述の公民館(釜地区って言って、かなりの被害状況だった)のみなさんは、
支援者である私たちを “おもてなし” しようと、コントみたいな会話で笑わせてくれた。
そして、支援者同士(他県からの派遣組)とも、何だか連帯感が生まれたりして。
いろんなところを歩いてたり、避難所で会ったりした時に、
顔見知りじゃない人達でもあいさつし合うのって初めてで、新鮮で、なんか良かったなぁ。
3. インフラ等の状況
道路は自衛隊さんのお陰で、相当開通していた。
先発隊は『殆ど歩きだ、長靴と登山靴どっちも要るぞ』と言ってたけど、
私が行った時はだいたい車でアプローチ可能。
信号はところどころしか可動してなくて、手旗信号(初めて見た)のところも多々あった。
でも、こんな感じで殆どの住宅が崩壊していたり、
ガレキが道の両脇に積み上げてあるところも多くて、
パチンコ屋さんなんて、車のスクラップ場みたいだった。
特に私たちの見た中で、石巻市釜地区と女川町は本当に絶句した。
この画像は、雨模様の中、車内からの撮影だったから、少々見にくいかも・・・

女川は「跡形も無い」というそのままだ。建物がゴロゴロ横転していた。
水道・電気も地域によって、復旧してたり、復旧してたのに止まったり。
でもそんななか、コンビニとかファミレス等飲食店、ドラッグストアが、
建物に応急処置したりして営業を開始し始めていた。
物資はどうしても限られてて、品数は通常より少なそうだったけど、
ホント助かりました。お世話になったなぁ。
ちなみに、避難所になってる中学校の校庭に設置されてた、
自衛隊さんが作った、ドーム型の仮設入浴施設(って言うのか分かんないけど)があって、
誰も利用してない時だったからか、お願いしたら見せてくれました。
(無理を聞いてくださって、ありがとうございました!)
4. 活動を通して感じたこと
まず、月並みでバカっぽいけど・・・
ご飯を食べる、トイレに行く、お風呂に入る、自分の布団で寝る、
家族や友達や恋人と一緒に過ごす、
マンガ読んで、ゲームして、買い物して・・・
日頃 “あたりまえ” と思ってる事が、非常時にはそうじゃなくなる。
大事なモノ、大事でもないモノ、あんまり意識せずにそれらに囲まれて生活してる普段が、
普遍的ではなくて、いとも簡単に奪われてしまう可能性があることを思い知った。
そして、現地のみなさんが本当に温かくて、前を向いていたこと。
自宅の片付けを手際よくされていた方が、笑顔で言った言葉が残る。
『だってとにかく、何かに取りかかって、前に進んでいかなきゃいけないでしょ?それだけだよ。』
私たちは何をするべきかなぁ、って考えた。
助けを求める人達に、必要な援助を提供できるようにすること。
自分を取り巻く、何気なく存在する環境を大切にすること・・・
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
で、この一年、私はどうしていたのだろう。
ちゃんと、自分を取り巻く人や環境に感謝しているだろうか。
自分の住むところが被災したら、自分は何をするべきか、考えているだろうか。
石巻で感じた色々な事を、ちゃんと大切にしているだろうか。
とにかく今、私にできること・・・
昨年の今日、被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
そして、一日も早い復興をお祈りして止みません。
そして今一度、自分にできる事を考え、日々大切に過ごしていこうと思います。
仮面ライダーさんの背中が石巻の復興を誓っているような、トップ画像が好きです。