
15年前の七夕の日は、実家で飼っていた猫の命日になる。
元々は飼い猫だったみたいだが、2006年頃、実家の周囲に現れるようになったときは、お腹を空かせた野良猫になっていた。しかし、動物好きの父親がその姿を見つけるや否や、すぐに餌付けを始めて通い猫となり、正式な飼い猫の座に収まるまで、大して時間を要さなかった。その後数年は、父と猫の両者にとって、幸せな時間が過ぎ去っていった。
2009年の年初、父親に癌が見つかり、その春から本格的な治療が始まったのだが、その矢先、飼い猫が体調を崩したので病院に連れて行くと、急性腎不全と診断され、病身の父親による懸命の看病の甲斐なく、七夕の夕方、父親よりも先に旅立ってしまった。自分の病気だけでも落ち込んでいたところに、思いがけず愛猫に先立たれてしまい、父親の落胆は尋常でなかった。
次の日、近所のペット霊園で火葬して共同墓地に埋葬したのだが、父親は自分も長くないと思ったのか、敢えて専用の墓を作らなかったようである。そして「もう二度と猫は飼わない」と言って、明らかに元気がなくなってしまった。
その七夕から二か月ほど経ち、隣家の小屋で生を享けたのが、他でもない、今の飼い猫である。先代とは違い、野良として生まれた猫だが、先代と同じように実家の周囲に現れると、再び父親の目にとまるや否や餌付けをされるようになり、またしても飼い猫の座に収まった。「もう二度と猫は飼わない」と言ったことを忘れたかのように、2012年に癌との闘病生活が終わるまで、父親は新たな愛猫を可愛がり続けた。
今年、その猫は元気に15歳を迎えそうだが、このようなことがあったせいか、自分にとって七夕の日は、今も様々な思いが詰まった特別な日でもある。
写真は先代猫。いつも父親ばかり見ていたので、このように撮影できるのは、唯一父親だけだった。しかし、今の飼い猫は違う。
Posted at 2024/07/07 21:26:12 | |
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