2015年08月01日
70年というそれほど昔でもないその時、日本本土のいろいろな都市で、アメリカ軍による空襲が8月15日の終戦直前までおこなわれた。
私の母親も、祖母の背中にオンブされて、空襲の中を逃げたという。
母親自身は記憶が無い(1歳だった)ようだが、大叔母の話を聞くと、それは凄まじい一夜だったという。
母を背負って逃げた祖母の話を聞きたかったが、そのチャンスは訪れる事は無かった。
祖母とすれば、思い出したくない一夜だったのかもしれない。
大叔母は、空襲の日におこなわれる花火大会を見る事を決してしない。
それより、花火大会そのものを見る事を決してしない。
空襲を思い出すという。
私は当然だが、空襲を知らない。
大叔母の話や、報道などの資料などで、戦争とはどんなものなのか、そして、戦争はどれだけ悲惨なものなのかを想像するだけである。
しかし、大叔母の話や、戦争関連の書籍、そして、報道で流れる戦場や沖縄上陸の戦闘映像などに触れると、大東亜戦争のような戦争は二度としてはならないと思う。
そのような戦争にならないように、そして日本国が戦争の当事者にならないように、あらゆる手立てを講じて、行かなければならないだろうとも思う。
安倍内閣が、国会の大幅な会期延長をして、法案を成立させようとしている「安保法制関連法案」。
本当に、その法案の成立しか、今の日本国には有効な手段は無いのか。
そして、安倍晋三氏が「絶対にない」「断じてない」「いささかもない」と、言うが、それは今時点の話しであって、戦前、戦中生まれの歴代内閣総理大臣が、「集団的自衛権の行使は、憲法違反である。」と言い続けた事が、あっさりと覆るように、いとも簡単に変わるものである事を日本国民の多くは知っている。
なぜ意図も簡単に、今回の安保法案によってこれまで守ってきた部分を超えるのか。
多分、あの沖縄戦、本土空襲という痛みを知らない、想像力が無い、或は先の戦争の真の傷みに思いがないのだろう。
安倍晋三の祖父は、大東亜戦争を進めた内閣にいた政治家だ。
空襲で必死に逃げた庶民の孫とは立場も違えば、感じ方も違うのだろう。
さらに、良くも悪くも大東亜戦争を知る、政治家ももう一握りしかいないし、霞ヶ関官僚の輩は、戦後生まれになってしまった。
あの辛い戦争を知る先人がいなくなると共に、日本政府の戦争に対する考え方も変わってしまうのは、良いことなのか、悪いことなのか。
とにかく、戦争を知らない我々は、もう一度、祖先が通ってきた「戦争」について考え、そして心を寄せてみなければならない。
あれほど頑なに歴代内閣が違憲と言い切った「集団的自衛権の行使」の本意を!!
多くの日本国民の命の先にようやくたどり着いた1940年8月15日 それから70回目の終戦の日
71年目も72年目も毎年8月15日はやってくる。
Posted at 2015/08/01 20:49:30 |
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