
東日本大震災から13年の年月が経ち、地元ではかなり復興し、元の活気を取り戻しているところも増えては来ているようです。
しかし、地元の人が受けた心の傷は消えることは無く…。
更に、後世に、この惨状を伝えるのも、コレマタ地元の人達であることには変わりなく…。
しかし、何時までも過去に縛られていては、進歩がないという考えも、コレマタ当然の事…。
それらの感情の凌合いで、岩手県大槌町で被災した当時の役場職員遺族と、大槌町の町長が、慰霊碑を何処に建立するかで、対立しているようです。
遺族代表を務めるのは、当時、大槌町役場の職員だった愛娘の父親。
当初、娘が被災した状況は分からなかったものの、どうも出先から戻ったところで、津波に飲まれたらしいという事が判明。
更に、町長をはじめ役場の担当者が、役場の前に本部を設置したところで、津波に襲われ40名ほどが一瞬にして犠牲になったそうです。
そのような状況下では、当然、津波避難のアナウンスなんて皆無。
挙句、町民1286人が犠牲になったようです。
そのような被災状況が分かったところで、遺族代表は、庁舎の保存と慰霊碑を現地に建立しようと立ち上がり、当初は役場も理解を示していたようです。
しかし時間と共に、役場も復興を重点に考えるようになると、事態は一転。
現庁舎跡地は緑地公園に…。
まっ、津波が来る場所に庁舎を再建しても、次の地震に、又もや被災するのは必至。
となれば、海岸から離れた地に新庁舎を立てるのが賢明な策なわけで…。
しかも、町内の予算では、新庁舎移転や旧庁舎後の緑地公園化事業など、到底賄えるわけも無く…。
そう、国には、そんな時の為の災害復興予算が有る訳で、それを有効に利用するのも、地方の被災自治体には重要な財源でもあるのです。
しかし、そうなりますと、緑地公園化事業も、国にその事業内容を事前に報告しなければならなく、いわゆる民意が完全に承認されることは稀なようです。
そこで、恐らくですが、前述の慰霊碑の話も出たものと思われますが、国家事業に移管されたコトで、いわゆる国定公園内に民間の施設はNGと言う結論に至ったものと思われます。
そこで、町としては苦渋の決断として、新庁舎に慰霊碑建立を遺族団体と協議。
ところが、遺族側はあくまでも亡くなった場所が、慰霊地として町からの建立地変更を断固拒否。
幾度となく協議して来たようですが、町も国から援助してもらっている状況では、国からの返事を代弁するしかなく…。
まっ、遺族の方々の気持ちも理解は致しますが、慰霊碑自体を拒否された訳じゃないし、このような諍いを、亡くなられた方自身が喜ぶわけもなく…。
一旦、新庁舎に慰霊碑を建立した後で、根気強く国と交渉を続ける方法もあるのでは?
あるいは、町内にもいくつかの自治会組織が有るでしょうから、そこに関係資料を集め、展示する方法も有ると思うのですが?
あまりに「現地慰霊」だけにこだわり過ぎていては、「災害を後世に語り継ぐ」と言う本来の役目が忘れ去れるのではないでしょうか?
実際、役場職員はそこで亡くなられたのでしょうが、その他の1200人以上の方の慰霊地は、町内の至る所に無数に有るわけで…。
その方々からしてみますと、被災職員だけの慰霊碑とも受け取られかねませんモンね…。
鎮魂の意味でも早く和解をして、場所にこだわらず慰霊碑を建立してもらいたいものです。
Posted at 2024/05/28 07:05:21 | |
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