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2015年08月03日

異形のエンテ翼機「震電」の初飛行

異形のエンテ翼機「震電」の初飛行 従来の索引式のプロペラ機では700km/hを

超えた辺りで速度が頭打ちになるということが

机上の理論で知られていた為に

空気抵抗を低減させるための策として考え出されたのが

前翼式(エンテ式)の航空機



エンジンを後方につけ、主翼を後ろに、水平尾翼を前に(先尾翼・カナード)装着する事で

機首を従来の航空機と比べると絞る事で空気抵抗を減少させ

後方にプロペラ配置しているので前方からのプロペラからの風を

機体が受けることがないために、牽引式航空機に比べて

飛躍的な速度向上させるという物で、

この理論で開発されたのが・・・・



ひときわ異彩を放つフォルムを持ち、タミヤのプラモデルでご存知の方も多い

幻の戦闘機として知られる、十八試局地戦闘機「震電」です。



「震電」の開発は、太平洋戦争の激化に伴い

日本本土を高々度から空襲するB29を強力な火器を搭載し上昇力の

大きい高速局地戦闘機が必要とされた為で、1944年(昭和19年)5月に

正式に試作発令がされました。



開発には、他の航空機会社に比べ手空きであった

九州飛行機と空技廠(海軍航空技術廠)から前翼型戦闘機を構想し、

研究を行っていた鶴野正敬大尉が技術指導に出向し

通常1年半は掛かる製図作業を半年で完了させるというハイペースで行われ、

戦時下の混乱期に関わらず1945年6月には1号機が完成

同年8月3日には、試験飛行にて初飛行に成功しますが

時すでに遅し・・・6日、8日と試験飛行後にエンジントラブルが発生

三菱重工へ連絡をとっている最中に終戦を迎えることになります。



本日、「震電」のこんなニュースが、配信されていました・・・

幻の戦闘機「震電」:「逆らえず」博多織工場で部品製造




◇伝統工芸の職人も「兵器」製造に動員

 旧日本海軍が開発し、終戦直前に完成した幻の戦闘機「震電(しんでん)」の部品が、福岡市の博多織の工場で作られていた。徴兵で不足した技術者や、空爆を受けた軍需工場の穴を埋めるためだが、伝統工芸の職人も兵器製造に動員させられていたことはあまり知られていない。震電は実戦に投入されることなく終戦を迎え、関係者は悔しかったというが、今は自負心と安堵(あんど)という複雑な思いを交錯させている。

 震電の開発計画は1942年に始まった。高空から本土を空爆し始めた米爆撃機の迎撃が目的だった。短時間で急上昇できるようにするため、主翼と水平尾翼の位置を逆にし、プロペラを機体後部に設置したのが特徴だ。

 製作は現在の福岡市博多区にあった軍事航空機メーカー「九州飛行機」が担ったが、同社工場が空爆の被害に遭い、各地の学校や地下施設が工場に使われた。周辺にある他の業種の工場も協力を求められた。その一つが、明治末からの歴史がある博多織の「後藤織工場」(現・博多輸出絹織(きぬおり)、福岡市南区)だった。

 当時の社長、後藤長兵衛さん(99)や10年前に書かれた自叙伝などによると、44年4月、後藤さんは県の商工課長から突然、航空機部品の製造を命令された。「博多織から軍需産業に転業とは、いくらなんでも、と驚いた」と回顧する。

 だが「当時の情勢では逆らうことはできず」、木材加工すら経験がない職人たちは、知り合いの「風呂桶(おけ)職人」らを招き、四苦八苦しながら材木を削ったり曲げたりした。震電の水平尾翼や哨戒機の胴体などを製作した。

 震電は2機が完成し、45年8月3日、福岡で試験飛行された。地元郷土史家の岡部定一郎さん(84)は、このころ低空を飛ぶ戦闘機を目撃している。「キュウリのような戦闘機がシュッと一瞬で見えなくなった。速さに驚いた」。最近、写真を見て震電だったと気付いたという。しかし、終戦によって実戦で飛ぶことはなかった。

 後藤さんは戦後、博多織の振興に努める一方、戦闘機の製作については多くを語らなかった。ただ、後を継いだ長男(63)は、後藤さんから「お国のためにやっていた。三日三晩作業しても疲れなかった。飛ばずに悔しかった」という話を聞いている。

 半面、複雑な思いもあったようだ。後藤さんは長崎原爆の翌日、長崎市を訪れ被爆している。軍需工場を引き受けた以上、自分の工場の職人たちも空爆の脅威にさらされる恐れがあると思い、新型爆弾の威力を確かめるためだった。「死体があちこちにあり、ひどかった」。長崎の惨状を前に、戦闘機製造の自負心とは逆に「戦争はしてはいけない」との思いにも駆られた。

 後藤さんは今、「決して愉快な思い出ではない」と振り返る。一方、長男は父がかつて言ったことを覚えている。「戦闘機が飛ばなくて良かった。人を傷つけていたかもしれない」【尾垣和幸】

 九州の軍事施設に詳しい大刀洗平和記念館顧問の北原勲さんの話 戦争末期は戦況の悪化で、各地で航空機の製造が他業種の工場に分散されていった。ただ一般には鉄や木材を扱うのに慣れた業種が多く、博多織の工場でも作らされていたのは驚きだ。強制された人々は「日本の勝利のため」という気持ちで協力したのだろう。

2015/8/3/毎日新聞配信




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Posted at 2015/08/03 23:54:04

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この記事へのコメント

2015年8月6日 19:49
被爆国の日本は
【平和のための武力行使】
という論理を
実践できるんでしょうか
世界に誤解されない事を
祈るばかりです
長州の(失礼)。。




コメントへの返答
2015年8月6日 22:39
おばんです。

個々人で様々な考え方が

あると思いますが、世界情勢は、

第二次世界大戦以降、目まぐるしく

変わっていて、日本もその時々に

柔軟に対処してゆかなければならない

時代になってきていると思います。

国際法的に認められている、

集団的自衛権の行使を整備する事と、

戦争に対しての国の考え方は分けて考え

るべきだと、個人的には思っていますが

憲法を捻じ曲げて拡大解釈を

するのではなく、憲法改正も踏まえて

踏み込んで考えるべきことではないかと

思っています。
2019年1月23日 1:12
こんばんは、この機体をベースに単発噴進式エンジン搭載
の計画もあったのではないかとの推測もあったとか
話は変わりますが、憲法改正までは行かないまでも
せめて自衛隊員の待遇を改善して欲しいものです。
このままでは人材が・・・。
コメントへの返答
2019年1月23日 21:17
おばんです。<(_ _)>

震電のジェット化については
計画はあったようですが、実際には
資材不足から作る事は、難しかったでしょうねモデルは、ハセガワから1/72スケールで出てました。昨年末から、新たな防衛力整備の指針「防衛計画の大綱」や次期中期防衛力整備計画(中期防)に、自衛隊員の待遇改善策を明記される方向で進んでいるようですが、日本は志願制ですし、災害派遣を含め多忙を極める隊員の士気向上の為にも待遇改善の論議がされるのは、
やっとか・・・という感じです。

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