Volkswagen(フォルクスワーゲン)Type 1
Beetle (ビートル)や「カブトムシ」の
愛称でも、よく知られ、
1938年の生産開始以来、2003年まで
半世紀以上も生産が続いた
ドイツを代表する車ですねっ
今日2月26日は、1936年に
ドイツ東部にフォルクスワーゲンの
最初の工場が建設された日です。
Volkswagen(フォルクスワーゲン)は、
ドイツ語で「国民車」を意味するものです。
製造計画が発表されたのは・・・
車が大好きだった
かの国の独裁者が政権に就いて間もない
1933年2月11日ベルリンで開催された
ベルリン自動車ショーの席上で
アウトバーン建設と国民車構想の計画を国家プロジェクト
として打ち出したところに始まります。
この、Volkswagen(フォルクスワーゲン)の設計・開発を依頼されたのが
Ferdinand Porsche (フェルディナント・ポルシェ)博士
高性能小型大衆車は、一人の独裁者の大衆政策と
能力が傑出した技術者とが、結びつくことで
ポルシェの目指していた国民車コンセプトに
多く合致した開発が実現したプランでしたが・・・
その要求は、過酷な物で,設計の条件として、
座席は4、5人乗りの空冷式エンジンで燃費が良く、
修理費が安いこと・・・
↑独裁者が実際に描いたラフスケッチ
そして・・・連続巡航速度100km/h以上で
アウトバーンを走れなければならない。
厳しい条件が提示されました。
その為、Volkswagen(フォルクスワーゲン)開発は難航し計画からは
大幅に遅れが生じ、契約を結んでから2年後となる
1936年にようやくプロトタイプ2台の製作がなされます。
1938年に量産型の原型が完成し、生産体制の整備が始められますが
1939年の第二次世界大戦勃発で民生用量産は、実現することなく
計画は頓挫、軍需用に生産されンポーネンツは
軍用車両の生産に利用されることとなります。
敗戦から3年後の1948年、工場の管理運営が
イギリス軍からドイツ人の手に戻され
1949年に2台がアメリカに輸出された
Volkswagen(フォルクスワーゲン)は
1955年には累計生産100万台に到達
1956年には、米国市場において50,457台を販売、
その後今日まで世界各地で多数製作され
バリエーションは枚挙に暇のないほど多彩な
世界的な国民車として定着した車と言えるでしょう。
アウトバーン整備推進とフォルクスワーゲン開発は、悪名高い独裁者の施策の中では、
戦後社会において実効的に継承発展できた数少ない実績の代表例となっているますが
実際に独裁者が愛した車は、Mercedes-Benz
パワフルな車が大好きだったが、貴族的なマイバッハよりも
スーパーチャージャーつきMercedes-Benzを愛用し
ストレス発散の為、ドライブにも出かけたとされています。
ちなみに・・・
アウトバーンとは・・・正式には「ライヒス・アウトバーン(Reichs Autobahn)」
ドイツ語で「第三帝国自動車専用道路」となるそうです。
Posted at 2017/02/26 22:52:21 | |
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