
番組の終盤で、のちに紫式部となる主人公まひろの側にいた母親が、父親の上司である藤原兼家の息子に突然の無礼討ちで殺される。これを知ることになった父親は悲しみに暮れるまひろを横目にして、母親の死を隠して泣き寝入りを決め込むことにした。これらがまひろの見た貴族最至上主義の構図であり、貴族らが人々を牛馬の如く虫けらに扱うことに理不尽さを覚える、なんとも痛ましく悲しい生い立ちとなった。
今回の大河ドラマは天皇家に「一家立三后」を成して平安時代を築いた藤原道長を中心に描くもので、時の権力者を一条天皇の皇后(彰子)の女房として仕えた紫式部の女性視点で見たものである。この時代は穢れといった独特の倫理観があった。
穢れは当時の都に生きる人々が最も恐れて忌み嫌うもので、人が死ぬと生前の恨みや祟りが怨霊となって障りをもたらすと信じられ、このために人々は日常の些末なことでも陰陽道で占って忌避しようとし、貴族から庶民まで流行るようになった。
私も当時の朝廷に陰陽師がどう関わるのかを興味を持って視聴していたのだが、今回はまひろの母親がいきなり殺された突発的な出来事に一番のインパクトさを残した。しかしふと考えた場合、これは歴史を捻じ曲げたものと思うようになった。
この物語はフィクションで作者の脚本で書かれたものだ。まひろが幼少期に母親を早々に亡くしながらも、この時代の男女格差社会において才気と努力によって成功を獲得していく有様を描く、そのコンセプトはよく分かっているつもりだ。
貴族の乗り物(自家用車)は牛車が一般的な世界。貴族は綺羅びやかな車(カスタム仕様車)を競うことに夢中になる時代で、当時の馬とは位階の低い身分になる人の乗り物だった。となると天下一関白家の出自で次男の藤原道兼が乗馬で登場するシーンは現実的にはありえないことだろうと思った。
そもそも史実の上ではまひろの母親の死因が病死したとしかわからず、藤原兼家の息子に母親が殺されるという話自体が作者の創作に過ぎない。道兼がまひろの母親に自らの刀を抜いて殺傷するシーンに及んでは、庶民の血とはいえども穢れを最も恐れて忌避していた貴族の信条とは相容れないものだ。この話は後の時代の道兼の子兼隆が家人に命じて馬飼い番を殺させた、とある文献の下りの引用などから作られたものだろう。
このようにして見ると、今後にあるドラマの展開に史実の信憑力があるのかどうかは疑わしく、視聴者側に史実を歪めて捏造した制作側に大いに失望した。これによる低視聴率で終わる大河ドラマとならないようにも、NHKは鋭意努力して頑張ってほしいと願うばかりだ。

Posted at 2024/01/08 11:12:21 | |
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