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頑固一徹カズですのブログ一覧

2012年06月28日 イイね!

R32GTRの思い出 チーフエンジニア伊藤さんとインタビュー

R32GTRチーフエンジニアの伊藤さんとインタビュー

私と箱スカの出会い

伊藤:清水さんとスカイラインの出会いを聞かせてください。
清水:最初に免許とって乗ったのが箱スカのGC10。18歳の時でしたね。だから自分の中ではスカイラインは特別な想いがあったのです。スカイラインがなければいまこの仕事をしていなかったしね。世田谷の上馬にプリンスディーラー、渋谷の神泉に東京カローラでセリカを売っていた。スカイランかセリカか迷った。当時の価格はどちらを選んでも86万円前後。セリカは女の子をナンパしやすそうなので、オレはセリカが欲しかった。でも、オヤジの「日産のほうが技術は上じゃないの」の一言でプリンスの箱スカに決まった。2リットルのストロンバーグのシングルキャブ。それ買って大学行ったらクルマ好きが集まってきて大変な騒ぎだった。それがきっかけでラリーとかレースにぞっこんハマッタのです。それからガンガンと自動車人生を歩むことになりました。
伊藤:スカイラインが人生を決めたのですね(笑
清水:はい、その通りです。その後のスカイラインは昭和50年規制でしょぼくなって、4~5代目から記憶が薄らいだのです。ジャーナリストになったときに再び箱スカと再会しました。でも都市工学とか訳の分からない宣伝文句でPRしていました。ますます意味不明なスカイラインでしたね。日本ではクルマのイメージは言葉遊びが好きな広告代理店が作るのだと初めて知ったのです。技術屋さん達はあまり歴史など感心がないみたいでした。ですから、7thスカイラインと出会っても「これがスカイライン?」って失望したのです。
伊藤:なるほど
清水:しかし、希望の光も見えました。ハイキャスという四輪操舵技術が世界発で実用化したのです。日産の中央研究所の芝畑さんが開発した技術でしたね。リアのトーが油圧でアクティブに動くヤツ。当時、ポルシェのタイヤテストで928を走らせていたので、ポルシェのバイザッハアクスルはよく知っていました。日産はそれを油圧で動かしたのです。7thスカイラインで日産のシャシー技術の底時からを知りました。それからついに8代目のR32スカイラインが誕生したのです。R32GTRも復活し、日産が本当に世界一になると思いました。それでレースに復活GTRは650ps+4駆というスーパースポーツカーに思えたのです。4駆スポーツカーといえばポルシェのグループBの959しかなかったのに。

伊藤:R32を始めたのが1985年からですね。日本の自動車の歴史を見ると、最初は欧州車のOEMを作り、そこから自主開発しました。60年代から70年代にかけては排ガス問題、80年代からは安全対策。世界中の規格に対応しながら、世界を相手にクルマを作っていました。
清水 円高もありましたね。日本車がアメリカで売れるとアメリカはすぐ叩きました。その結果アメリカへの輸出規制です。実際は自主規制という縛りでしたが。 
伊藤:ところが、欧州の日産の販売現場ではベンツビーエムと対等に戦えるクルマが欲しいと。でも、バカ言えと思いました。できるわけないと。それより安くて直接競合しないところをやったほうがいい。こうした事情は日産だけじゃなくてトヨタもホンダも同じだったのです。そこで日産の技術屋は世界のトップクラスを見返してやるという気運が高まりました。


清水 創生期、黎明期が60年代70年代ですからね。その後は日本車が売れた。安くて燃費がいい(円安)からでしたね。しかし、80年代は技術競争の時代となり、馬力史上主義となりました。日本車でどのクルマが200Km/hの壁を越えるのか。そのスピード競争を確かめるために、速度無制限のアウトバーンに行きましたよ。ホンダのCRXとか日産Zとかで。

伊藤 その頃、私は量から質への転換を感じていたのです。輸出ばかりやっていてもしょうがない。急速な円高で会社もおかしくなっていたのです。日産だけじゃなくて輸出できないわけですからね。量産設備をもっていても、輸出できないわけだから、国内の市場をなんとかしないと。そこには付加価値の高いモノ。そういう気運がありました。トヨタはセルシオ、ホンダはNSX。

清水 日産の70年代頃はトヨタとシェアも拮抗していたけど、1976年頃からシェアが30%を割って、それからずーっと下がりっぱなし。一回上向いたかな。
伊藤 あの頃の85年頃のニッサンには何とかしないと。久米社長に代わり、日産の風土改革をやりました。お客さんに満足してもらうような商品を出さないと。そのためにはクルマの開発方法と自分たちの会社を変えようと。そういう活動を結構やった。そういうのも32をやるときに、みんな燃えていた理由ですね。

清水 それじゃ901活動というのは85年頃に?もう一度技術で世界一を?
伊藤 実際には901委員会は86年の暮れでした。発端はシャシー設計からでした。シャシーも1970年代にヨーロッパにクルマを出してけちょんけちょん。アウトバーンの直進安定性とか。シャシー設計も高速安定性をなんとかしないと。1978年くらいに高速コンセプト委員会というのがシャシー設計部にできました。だからアウトバーンで250キロで走れる車を研究した。シャシーはやった。実際に会社として、パワーを出して新しいサスを開発しようとか、結びつかなくて、結局は研究で終わり、市販車としてはセミトレサスペンションを少しずつ改良していました。他社の進歩のレベルに比べると日産は遅いから、ジャーナリストからもけっこう叩かれたのです。

清水 あの頃、トヨタがロータスの株を買って、セリカXXのシャシーを研究していましたね。つまりトヨタはシャシーで悩んだときに欧州に答えを求めた。日産は?
伊藤 実はちょっとやりました。
清水 えっ、どこと?ポルシェですか?
伊藤 そうです。シャシー部門がね。でもあんまり突っ込んでやらなかった。
清水 日産のエンジニアはプライド高いから、最後は自分でやりたかったと。バイザッハアクスルを研究したのですね。ところで1986年に901活動が始まりましたがR32の企画が先だったのですか。
伊藤 32の企画が先です。85年の8月にR31を出して、みなさんにこてんこてんにやられて。でま、私も考えて。それで、R32のコンセプトを決め、901活動をスカイラインやろうと展開したのは86年の2月でした。

続く
Posted at 2012/06/28 14:22:44 | トラックバック(0) | 感動シリーズ | 日記
2012年06月14日 イイね!

徳大寺さんとの10年前の対談

徳大寺さんとの10年前の対談 いまから10年くらい前に自動車雑誌ナビで徳大寺さんと対談した記事を読み返してみました。グローバル化という合従連衡の嵐の中で911テロ事件が起きたわけですが、自動車産業はそれでも成長を目指して邁進していました。ダイムラーはクライスラーと提携し、三菱自動車を傘下に収めましたね。GMとフォードとVWも世界中のブランドを漁っていました。あるアナリストは「お金を持った子供が目の前のオモチャを買いたがるのと同じ」と揶揄していました。そして今、どうなったのか。わずか10年ですが、この間に起きた変化は100年分に相当すると思いました。

注)対談原稿はフェイスブックにアップしておきます。
フィードを購入(無料)していただければ、お友達登録しなくても詠むことができます。

注)写真はニースで二人とも女性の下着屋さんの前で見とれているシーンです。
Posted at 2012/06/14 12:45:01 | トラックバック(0) | 感動シリーズ | 日記
2012年06月07日 イイね!

清水和夫のアメリカ通信〜マリブで見た謎の車

清水和夫のアメリカ通信〜マリブで見た謎の車★LA郊外のマリブの山岳路を走っていたら、偽装ボディの対向車がいい勢いですれ違った。なんだろうと思ったが、すぐ後ろからインプが追走していたので、スバルのマル秘車だと分かったが、そのスピード感ある走りと背の高さから次期型フォレスターではないかと勝手に想像しました。直噴ターボ+LukeCVTでレクサスGSハイブリッドのような淀みない加速を示した新型レガシィから想像すると、次期フォレスターには久しぶりの肉食系モデルが存在しそうだ。聞くとこの辺りは自動車メーカーのテストフィールドになっているらしい。

■今回の任務はハンバーガー調査。西海岸で名を成した「In-n-Out」か東海岸の「5Guys」か。まさに関ヶ原の戦いだ。何度は食べたことがある「In-n-Out」はジューシーなお肉と新鮮なオニオンが印象的だが、混んだ昼に注文すると、パンも中身も冷えていたり、製造品質に問題が発覚。本日は「5Guys」を調査します。

Posted at 2012/06/07 21:41:25 | トラックバック(0) | 走り系 | 日記
2012年06月07日 イイね!

清水和夫のアメリカ通信

清水和夫のアメリカ通信清水和夫のアメリカ通信

ホンダ大ピンチか?

 ホンダの稼ぎ頭のアキュラがアメリカで大ピンチ。ホンダ人気が高かった西海岸でさえアキュラを見ることは少ない。いやデザイン的に気がつかないのかも。レクサスはそこそこ、インフィニティは存在感を増している。韓国勢キア・ヒュンダイの台頭が目立つが、相変わらずプレミアムではBMWやメルセデスが多い。
 6/5付けUSATODAYのトップページでは「Has ACURA lost its edge?」と特集を組む。穏健派のメデイアも「a lost Brand」と厳しい。せっかくNSXが発表されても三年間もショールームで見ることができないなんて、と厳しく批判。
 ハイテクイメージの凋落、スピード感のない自動車開発、昔のホンダとは違った保守的な自動車メーカー。西海岸よりも東海岸の自動車メーカーになったみたいだと私も危機感を感じた。その危機を脱出するのが伊東社長への期待なのだが、まだ暗雲が立ちこめている。

(新聞本文写真はFBにアップしておきます)
Posted at 2012/06/07 00:53:17 | トラックバック(0) | そうだったのか! | 日記
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