
R32GTRチーフエンジニアの伊藤さんとインタビュー その3
〜〜前回のレビュー〜〜
清水 そこに901活動があった。
伊藤 世界一をやろうと
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伊藤 R32の企画を提案したのは86年の2月ですが、会社として合意したのが86年の7月。経営会議のトップで決まりました。
清水 大きな会社なので提案から決定まで半年もかかるのですね。当時、ポティアックフィエロ(スポーツカー)の取材でGM本社を訪れましたが、GM広報は自分のレターが会長のデスクに届くまでに何週間もかかると苦笑していました。
伊藤 そこで次期型スカイラインはこうやって作って、スペックはこう、原価はこう、収益はこれくらい、販売はこれくらいを目標にと提案しました。経営会議で最終的に承認されますが、そこにいたる過程が大変なのです。多くの社内部署の合意を得ないといけません。その前にもっと大切なことはプロジェクトチームの合意を得ないと。
清水 でもみんなの意見を聞いたらまとまらない(笑)。
伊藤 はい。ですから僕がたたき台を出して、こういうスカイライン作るから「この指止まれ!」という作戦でした。そんなコンセプトはダメっていう人もいます。ボクは直さないといけないのは直して、直さなくていいのは直さない。殺し文句として社内で言ったのは「クルマはいっぱいある。しかし、どれ買っていいか困っちゃうでしょ。オレはこういうのが欲しいんだからこのクルマを選ぶってってパッと言えない。ですから存在価値のあるクルマを作らないといけない」と思いました。
清水 人間もおなじですね。アイツは勉強もそこそこできるし人付き合い下手ではない。だけどパッとしないのがいますよね。特徴がないヤツ。あいつは勉強がダメだけどサッカーやらせたら世界一とか。数学が得意、国語は苦手だとか。あいつは勉強だめだけど女の子にはもてるとか。
伊藤 そうなのです。野球の王さんにはホームランを期待している。いくら3割打っても、盗塁してもホームラン打てなかったら存在価値がない。スカイラインは走ってナンボだから、走らないスカイラインは存在価値がない。ある役員からはこんなターゲットを絞ったコンセプトでは年寄りは寄りつかないぞと脅かされました(笑)
清水 ところでR32はヒットしたのですか?
伊藤 結構売れましたね。マイチェン後にバブルが弾けてセダン全体が落ち込みましたがそこまではヨカッタ。スカイラインの販売も、ジャパンのときが絶頂で、モデル毎に10万台ずつ落ちたのです。累計ではジャパンが53万台、R30が40万、R31が30万台を切りましたが、R32は31万ちょっと。販売が低迷していた歯止めになりました。
清水 いちいち説明しなくてもわかるような存在価値がカギだったわけですね。
伊藤 86年の暮れに若手ジャーナリストを集めて意見を聞いたことがありました。スカイラインに何を期待しますかと。みなさんからの意見を元にして、自分が考えるスカラインがホントに正しいのか。
清水 色々な人に、ですか?
伊藤 スカイラインが大嫌いな人達から女性の意見、また、高校生やクルマ好きのおじさん。のべ600人くらいに聞きました。
清水 そこでスカイラインに対して何を望むのか、ですね。
伊藤 こういうスカイラインはどうかとR32の考えをちらちらと出しながら聞きました。その結果は、自分が考えた方向で間違いないと確信したのです。
清水 ところであのGTRはいつごろ提案したのですか?
伊藤 86年の経営会議で提案する前に、開発担当役員にGTR構想を打ち明けたのです。技術の日産のイメージを高める象徴が必要だと。
つづく
Posted at 2012/07/05 19:16:02 |
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