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m-dawgのブログ一覧

2022年12月24日 イイね!

N-ONE RS 登場

N-ONE RS 登場さて、N-BOXに代わる妻のクルマはN-ONE RSです。

なぜN-ONEなのか、というと、N-BOXでもよかったのですが2nd N-BOXはモデル末期でせっかく買うなら来年登場予定の3rd N-BOXを待ちたい。しかしうちのN-BOXは2023年4月に車検なのでどうやら間に合いそうにない。

ルークス→納期が長すぎ
スペーシア→まだ電動パーキングブレーキではない
タント→論外
ハスラー→サスペンションがヤワ過ぎ
ワゴンRスマイル→ターボが無い
タフト→ガラスルーフだけ、後は論外
ムーブキャンバス→論外
N-WGN→Nシリーズではあるが魅力を感じない

消去法でN-ONEが残りました。ご先祖様であるN360が現役であったころから好きだったし、2011年東京モーターショーで1st N-ONEもプロトタイプであるN CONCEPT 4を見た時もいいなあと思ったのですが、N CONCEPT 1であるN-BOXを買いました。

N-BOXは予算の都合でノーマルのN/Aにしたのですが、長距離では非力でターボの必要を痛感しました。クルマの電動化が世の趨勢なので純粋なエンジン車のターボに乗れるのはこれが最後のチャンスだろうと思い、N-ONE RS、但し妻の希望で6MTではなくてCVTを選択。

10月に年次変更で登場したフィットe:HEV RSも一応見積もりを取ったが、27諭吉ほど高いのに装備は落ちることが分かり、N-ONEに。

ボディカラーはさんざん悩んだ末に、ブリティッシュグリーンパール/クリスタルブラックパール2トーンカラー。8月29日に注文して本日納車でした。

これからしばらくは、楽しめそうです。
Posted at 2022/12/24 22:40:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | N-ONE | クルマ
2022年12月23日 イイね!

さようならN-BOX

さようならN-BOXN-BOXを手放すことになりました。

2012年4月19日に我が家に来てから10年8ヶ月、3901日を過ごしました。

走破したのは西から東に、
広島県
岡山県
兵庫県
大阪府
京都府
滋賀県
三重県
愛知県
福井県
石川県
富山県
長野県
静岡県
山梨県
神奈川県
東京都
千葉県
埼玉県
群馬県
栃木県
福島県
岐阜県も合わせると22都府県に渡ります。軽自動車にしてはよく走り回りました。

壊れる前に消耗品は交換してきたので、これだけ走っても途中で立往生することはありませんでした。

N-BOXを手に入れてやりたかったのが、

イカリングをヘッドランプに装着する事でした。

スペアのヘッドランプを入手して完成したのが2012年11月。色々調べたけれど、それより以前にN-BOXノーマルのヘッドランプにイカリングを装着した例は見付かりません。また、ヘッドランプリフレクターよりも前方にイカリングを宙に浮かせて固定する方法で装着した例も見当たりません。

また、光るリヤのHエンブレムを自作したが2013年5月ですが、

1st N-BOXでは、実車に装着した例を見たことがありません。

いずれも一番乗りを達成出来たのは、ちょっぴり嬉しかったです。

N-BOXは役立つクルマではありますが、現時点での心境としてはリピートするよりは他のクルマにしたくなりました。よって次のクルマはN-BOXではありません。EVとなった未来のN-BOXならば、もしかすると再び乗る機会があるかも知れませんが。

N-BOXに乗って各地に赴き、様々な人に出会いました。交流して頂いたみなさん、ありがとうございました。
Posted at 2022/12/23 23:51:51 | コメント(3) | トラックバック(0) | N BOX | クルマ
2022年11月30日 イイね!

NBOX club 活動終了

NBOX club 活動終了先日のブログに書いたように、本日をもって私が管理者を担当するNBOX club本部と支部の活動を終了しグループを削除します。

それに至った理由はクラブの掲示板に長文を書きました。先日のブログでも触れたのでもちろん賛成だけではなく、反対意見もあるのは当然です。

しかしこれまでに私宛には反対や非難のみんカラメッセージは届きませんでした。新型コロナウイルスの蔓延以降はほとんどクラブとしての活動が出来なかったので、興味を惹くような内容ではないと判断された方が多数だったのでしょう。それともクラブもこのSNSも閲覧している方は少数なのでしょうか。



クラブの掲示板には書きましたが、NBOX club の活動終了に関する報告をします。

私はNBOX clubのステッカーを製作して配布して来ました。残念ながら無料とは行かず、材料費+αの実費でお渡しして来ました。ところが2020年に、私が営利目的でステッカーを販売しているとする人が現れました。

もちろんステッカーを配布したところで次のステッカーを製作する費用に当てなければならず、利益が出たところで私の懐が潤うはずが無いのです。しかしそんな誹謗中傷を黙って見過ごす事は出来ません。利益を私物化しない、という行動をする事しました。

ステッカー配布でクラブメンバーから頂いたお金ですが、クラブを退会、みんカラをも退会された方もあるので、個々に返還するのは困難です。そこで公の福祉に寄贈するという手段を取る事に。

2020までに私がステッカー製作で得た利益がトータルで40,150円ありました。2020年時点で在庫のステッカー分を差し引いて現金で残っていた25,150円を、2019年の秋、特に千葉県に大きな被害をもたらした台風第15号災害義援金の名目で、2020年2月に日本赤十字社に寄付をしました。

在庫のステッカー分15,000円については、この度私が管理者を退くので現金化し、ウクライナ人道危機救護金の名目で2022年11月に日本赤十字社に寄付をしました。

タイトル画像が、2020年と2022年の振替払込請求書兼受領証です。


残ったクラブステッカーは、


シュレッダーで裁断して処分しました。これにてクラブステッカーについては精算を完了しました。


ではクラブののぼりと


サインボードはどうなの?

という疑問があるでしょう。それらはクラブステッカーの利益を使用せずに、全て私の自費で製作しています。もう使うことはありません。よって、


3本あったのぼりは資源リサイクルに。


サインボードは元のプラダンに戻しました。

このように手元にあるクラブのグッズも処理しました。



NBOX clubは初代管理者が2012年1月に開設し、紆余曲折を経て2015年2月に私が2代目管理者となりました。

管理者が変われば方針が変わるのはよくありますが、私はクラブのトップページの冒頭にある、
「みんな仲良くしましょう」
という言葉だけは変更しませんでした。
最大で1200名を越えるメンバーが在籍するクラブでそれを実践するのは大変です。しかしクラブで知り合えたならば友好的な関係を結ぼうとするのは普通の事。私はNBOX club本部と東海/関西支部には一番にその言葉を掲げ続けて来ました。

「みんな仲良くしましょう」初代管理者のクラブ開設の理念に対する、私なりのリスペクトであると捉えて頂きたいです。


最後になりましたが、NBOX clubの運営では多くのメンバーから叱咤激励のメッセージやお言葉を頂きました。至らない点には深くお詫びを致します。最後まで支援を頂いたみなさんには厚く御礼申し上げます。

NBOX clubは10年間、支部は7年間、お世話になりました。ありがとうございました。


※このブログに対するコメントは不要です。
Posted at 2022/11/30 23:40:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | N BOX | クルマ
2022年11月14日 イイね!

NBOX club 10周年オフ

NBOX club 10周年オフNBOX clubは2012年1月1日に開設されて今年で10年が経過しました。

新型コロナウイルスの拡大以降は全くオフ会を行うことが出来ていませんでした。その影響は収まる様子は無く、今年も全く活動が出来ていません。その後私の身辺事情に変化が起きて、近くN-BOXを手放す事になりました。

ワンメイククラブの管理者がそのクルマのオーナーではない(元々N-BOXは妻のクルマなのだが)のは望ましい事ではないと思い、退任を考えていました。

ところで多数のメンバーが在籍するクラブ管理者の後任となると、容易に依頼とはいきません。また近年みんカラで投稿するN-BOXオーナーも減少しており、今後クラブとしての活動に不安がありました。

よって、クラブを支えて下さった方々と相談し、NBOX clubとしての活動を終了する事にしました。

自身の退任とクラブの終了を同じくするのは、公私混同ではないかという指摘はあるでしょう。しかし、管理者不在でグループを放置するのは無責任です。その幕引きを敢えてするのは管理者としての責務であると思います。

NBOX clubとその支部は今年11月30日でグループ削除と致します。

賛否があると思います。最近入会されたみなさんには何もおもてなしが出来ず深くお詫びします。削除は上記の理由を考慮した結論であるとご理解をお願いします。

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私としては、このまま静かに終了と考えていました。

しかし、クラブ活動を支えて下さったkoh♪さんが、
「最後に一度集まりましょう」
と、声を掛けて頂いて密にならない屋外、少人数という形でオフ会を設けて頂きました。場所は過去4回全国オフを開催した木曽三川公園です。



クラブ支部長をお願いした方、10年前のオフ会を始めた頃に参加された方、クラブグッズ製作に貢献して頂いた方、距離をものともせずにオフ会に駆けつけて来て頂いた方、急なお願いにもかかわらず参加下さいました。

今回のオフ会はオープン参加ではなく選抜したメンバーとOBで行いました。えー、何で呼んでくれなかったの?という方もあると思いますが、新型コロナウイルス感染予防対策という理由です、申し訳ありません。

残念ながら途中から雨が降りましたが(第2回第3回全国オフは終始雨だった)、数年ぶりにお会いして楽しい時間を過ごしました。


私としては、これはクラブ最後のオフ会ではなくて、10周年オフ会だと思っています。みなさん、ありがとうございました。

このブログに対してヘイト、ネガティブなコメントはご遠慮下さい。
Posted at 2022/11/14 06:15:31 | コメント(9) | トラックバック(0) | N BOX | クルマ
2022年07月24日 イイね!

三本和彦氏逝去

三本和彦氏逝去2022年7月16日、自動車ジャーナリストの三本和彦氏が亡くなりました。

三本氏は大学にて写真技術を学んだ後、東京新聞に写真部記者として入社。並行して自動車ジャーナリズムにも参入し、フリーランスとして独立後は自動車専門誌への執筆やTV番組の司会で活動されました。

私が三本氏を知ったのは、

1960年代のモーターファンやモーターマガジンの誌面でした。

父は1963年頃から自動車専門誌を複数社購入していましたが、特にモーターファン誌がお気に入りで、ようやく字が読めるようになっていた私もよく読んでいました。その頃氏は30歳を越えた時期で執筆者としては若手でしたが、写真を積極的に取り入れた記事作りなど独特の筆致が印象的でした。

それよりもこのブログをご覧の40代以上の方には、


テレビ神奈川(TVK)で製作されていた「新車情報」のキャスターを1977年から2005年まで長期間務めたので記憶されている事でしょう。

それまで深夜番組などが自動車を数分単位でトピックスとして取り上げる事はありましたが、30分単位で自動車に特化したTV番組の登場は意外に遅く、この新車情報が最初だったと思います。司会の三本氏と女性アシスタント、セミレギュラーの自動車評論家陣(鈴木五郎氏、園部裕氏、山口京一氏、故池田英三氏など)で、毎回特定の車種を取り上げ、高速道路とワインディングロード(箱根、番組内ではいつもの山坂道と呼ぶ)にて試乗して、国産車であればその開発者、外国車であればインポーターの責任者をTVスタジオに招聘して質問をするというのが主な内容でした。

新車情報は神奈川とはいえ地方のUHF放送局なので、全国ネットの放送ではなかったのですが、幸運なことに地元の岐阜放送では1978年頃木曜日22時から放送が始まったので、もういっぱしのカーマニアだった私は欠かさず観ていました。

三本氏が「いつものように不躾なものですが」(私がぶしつけという単語を知ったのはこの番組だ)という前置きで展開する質問は忌憚ないもので、メーカーの開発者もたじたじとなり対応に苦慮し「次回の改良ないしは次の新型車にて改善をしたい」とお茶を濁す場面もよくありました。もっとも、広報担当者とは違って開発者はしゃべるのが本業ではない技術者なのが多いので、致し方ない面もありますが。

三本氏は東京出身生粋の江戸っ子であり、ある時はべらんめえ口調でまくしたてる事で、
○頭の上に握りこぶしが○○個入る(実際にシートに着座して頭上に握った手を置いて)
○番組中期から実際に10cm単位の印をつけた手作り定規(視聴者から不躾棒と呼ばれる)を持ち出して、ラゲッジスペースの寸法測定をする
などなどの、三本節と称される名言や迷言を多く残されました。そこまで言っても大丈夫なのか?と思うことも。

氏がこだわったカーアイテムには、フロントドアの三角窓があります。全開にすると外気を取り入れ、少しだけ開くと走行時の負圧で内気を排出するのに役立つというもので、1960年代までの国産乗用車にはほぼ装備されていました、しかし視界の妨げになるという理由であっという間に廃止。その代わりに前方から外気を取り入れて室内に導入し、ボディ後部のダクトから排出するというベンチレーションシステムが取り入れられたのですが、当初は設計が上手く行かなくて空気の抜けが悪いクルマが多々ありました。そのため氏は三角窓の復活をことあるごとに要望していましたが、開閉可能な三角窓が装備されたのは1989年の日産パオだけだったと記憶します。

個人的に三角窓の付いた車は、会社で乗ったサニートラックとポーターキャブですが、サニートラックは三角窓周囲のウエーザーストリップゴムの劣化による雨漏り、ポーターキャブは開閉に節度が無くて、開いても風圧に押されて閉じてしまうという不具合で、恩恵に浴することが出来なくて、三角窓の機能は認めても経年劣化に弱い事も、三角窓が廃止される原因になったのだろうと身をもって知りました。

結果的にボディ側面のリヤバンパーの裏面にダクトを設置することで、内気の排出が効果的であることが分かり、全面的ではないにしても三本氏の提言は効力を発揮しました。

また、氏はハッチバックやワゴン車の跳ね上げ式リヤゲートに開閉を、手を汚さずに手助けする、ハンドルの設置を熱心に説いていました。

それも、1991年1st三菱RVRや、1995年1st ワゴンR(の2型モデル)に外付けのグリップ式リヤゲートアウターハンドルが装備されたり(その後続かなくなってしまったのは残念)、現在ではほとんどのリヤゲートに、手を差し入れるポケット式のリヤゲートインナーハンドルが設置されているのは、氏の提言がメーカーを動かした成果でありましょう。

また三本氏は、カーグラフィック誌の名誉編集長、故小林彰太郎氏とは大学時代にアルバイト先(アメリカ大使館で日本語を教える仕事)で出会って以来の友人で、専任カメラマンが不在だったカーグラフィック誌の写真撮影を担当して創刊当時を支え、その後も小林氏が編集長を勇退する1989年まで巻頭コラムの執筆を続けられました。


左でしゃがんでいるのが三本氏、ひとりおいて右でシトロエンDS19に右手を掛けているのが小林氏

今頃は雲の上で、9年前に逝かれた小林氏や、新車情報にも度々ゲスト出演をされた故徳大寺有恒氏と再会されて、昨近の自動車情勢を語り合っているのでしょうか。
三本和彦氏のご冥福をお祈りします。

掲載写真は、
カーグラフィック誌 2014年1月号
モーターファン誌 1971年11月号
新車情報'77 1977年7月6日 第1回放送分
より転載させて頂きました。
Posted at 2022/07/24 22:50:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車見聞録 | クルマ

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何シテル?   05/17 22:56
こんにちは、< えむ・どーぐ >です。 「ひたすらカーマニア」を自負して50数年になりました。 私のプレミアムクリスタルオレンジメタリックⅡのGB7 フリー...
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