ピニンファリーナ、フェラーリの主要モデルのデザインを手掛ける、イタリアにおけるカーデザインの大御所である会社です。
日本でも、2代目ブルーバード410(1963年-1967年)と、2代目セドリック130(1965年-1971年)は日産は公表していませんが、ピニンファリーナのデザインとされています。1国1社契約主義のピニンファリーナは1960年代には、日産と契約していたということです。
ところがブルーバード410は、リヤフェンダーの尻下がりデザインが嫌われ、セドリック130もあっさりしたデザインが受けなかったのか1968年にはフロントとリヤを原型を留めないほどのマイナーチェンジをしました。
今見ると、両車のオリジナルデザインは、同時期のフィアットやランチアを彷彿させる部分が多く、さすがイタリアン!と賞賛したくなりますが、当時はこういうシンプルなのでは豪華に見えず販売に繋がらなかったようで、日産との関係もこれで終わったらしいです。
ところが1980年代にピニンファリーナはホンダと接近します。
ひとつは、1984年のイタリアトリノモーターショーに出品された、HP-Xというミッドシップスポーツカーのコンセプトモデルです。実物は走行不可のモックアップだったようですが、フロント、ルーフ、サイド、リヤのガラスをキャノピー状に一体整形して、しかもガラス後端部が、エンジンフード(実際はルーバーが刻まれた排気スリット)にひさしのように覆いかぶさるというのが斬新に思えました。ボディサイドリヤタイヤ直前には、Pininfarinaの筆記体エンブレムが付いています。
当時はこのコンセプトが次期CR-Xに生かされてミッドシップになるという噂でしたが、CR-XはFFスポーツのままで終わり、後年市販されたNSXも全く違うデザインで、シート背後のリヤガラス越しにエンジンが透けて見える(タイプRに限る)ことだけがデザインとして受け継がれたみたいです。
そしてもうひとつは、当時の大ヒット作だったシティAA(1981年-1986年)に、カブリオレFA(1984年-1986年)を追加する際、幌部分の設計をピニンファリーナに委託したのです。
1970年前後に、主に安全問題で国産オープンモデルは認可されず絶滅してしまいましたが、ニーズの多様化でようやく復活した最初がシティカブリオレでした。
センターピラーを左右でつないでロールバーとしての役割をさせて、たたんだ幌は少し後方にかさばり、リヤウインドーはファスナーで脱着という手法は、ピニンファリーナが手掛けて、その前年に国内でも少数輸入された、タルボ サンバ カブリオレ(1982年-1986年、プジョー206CCの先祖に当たる車)とほぼ同じです。リヤウインドーがシティはガラス、サンバはビニールという違いはありますが。その両車のセンターピラーにはPininfarinaの筆記体エンブレムが、装着されています。
シティが現役当時よりそのエンブレムに私は注目し、ビガー、シャリオ、ステップワゴンとさりげなく付けてきました。どれもピニンファリーナと関連はありませんが、小技として黒背景に銀メッキ文字という味のあるデザインなのに¥660と安価なのが魅力です。
ところが今回注文したところ「ゴソウダンパーツ」(生産中止を意味するホンダ用語)になっていました。確かに生産終了後22年も経っているので止むを得ない話ですが。
パジェロイオのソレントも、内装デザインをピニンファリーナに委託したので、ダッシュボード左にはPininfarinaのエンブレムが装着されていています。こちらも¥1,150とお手頃価格です。背景無しのシルバーメッキ文字のみで、少し目立つかなという感じなのと、車外に使うとメッキの耐久性が心配です。
たかだかエンブレムだけど、在庫がある内に確保しておけばよかったと後悔しています。
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ステップワゴン | クルマ
Posted at
2008/02/28 00:59:59