2009年04月24日
あらずもがな
何となくという訳ではないかもしれませんが色々とあって疎遠になってしまっていたので、久しぶりに再開してみます。また気が向いたときにゆっくりと綴っていきます。
疎遠になっていた原因の一つとしてはブログに頂戴したコメントがあり、またそれについて書いてしまうと藪蛇になるかもしれませんが、自分の中で整理するためにも独り言になりますが少々記します。
書いた時点で愛好家の方からご意見頂戴することはある程度想像はできましたが、そのコメントのされ方は思い至らず私の不徳の致すところでしょう。
例えばネズミやゴキブリを駆除しました、という話ならばおそらく特に命云々という話にはならないでしょう。が、ネズミだろうが何だろうが生命体という点では等価であり(生命体とは何だろうかということを問うとまた別の困難な命題になるので於いて)、彼らが愛されているということをひしひしと感じると同時に、その意味では、どの立場で意見を述べたとしても、人間という自らの立脚点を離れて全く客観的な立場で話をすることはできない、またそれは意義が薄いことかと思います。
ちょっと抽象的になってしまいましたが、また別なことを。
意見が分かれた場合に意見調整をしお互いが納得できる結論を合意して出す、上で重要なことは、
1) 問題の公理と前提条件が何か、またその前提条件は合意されるものか
2) 前提条件から導き出されていく問題で、どこまでの意見が同じでどの点で意見が分かれているのか
3) 意見の相違点について、どこまで妥協できるのか
がポイントとなりましょう。
前向きに結論を出していきたいのにこれらが明確でないと、往々にして論点がずれたり、意見のやり取りがループしたりという事態に陥ることが多いのではないかと思います。いわゆる朝まで生テレビ的な論争においても、そのような状態はよく見られるかもしれません。
ただディベートを行う場合や、自らの結論を変えるつもりはなくそれ自体を目的とする論争もあるでしょうから、一慨にそれが「問題」とは捉えられないでしょうけれど。
今回の場合で言うならば、
・環境は保全すべきである
なんてところが最初の前提条件になってくるのでしょうか。(命は大切にすべきである、というのは最初の公理として)
で、それを前提に自然環境を考えたときに、
・種の多様性を守るべきである
といったところが次の問題になるのでしょう。例えばそこまで合意できたとして、
・種の多様性を考えたときに、外来種が在来種を駆逐しており、それが種の存続を脅かしているいると捉えるか
・そうではなく、外来種は十分在来種と共存しており、在来種減少の理由はそれ以外の原因に由来するものであると捉えるか
あたりで意見が分かれていくのかもしれません。
また、外来種が駆逐しているところまでは認めるが、次段階としてその対応方法で意見が分かれる向きもあるかもしれませんし、また対応方法は合意しても例えば手段はどうすべきかはたまたそれを子供に教えるべきかどうか、というところで意見が分かれる場合もあるでしょう。
私としては、現状の前提条件下で、種の多様性を守る→在来種の生存に外来種が影響、また生態系攪乱→外来種は減少させるべきというところまでの意見は持っています。もちろんそれをもたらした人間の罪は宜なるかな、己が絶対調整者にでもなったつもりの態度は改めなければなりません。
ただしそれは、あくまで日本の河川・湖環境に対しての意見、また外来種が席巻しているという前提下での意見でしかありません。よって、対象の場が異なれば同じ種に対しての意見も異なりますし、もし対象の外来魚が世界的に絶滅危惧種とでもなったら、忽ち前言を翻し、今度はその保護者となることも十分有り得ます。
#斯様ニ人間トハ誠ニ身勝手ナモノデアリマス。
以上取り留めのないことを書いてしまいました。この話はここまでとさせていただきます。
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Posted at
2009/04/24 23:47:39
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