2008年09月09日
大変な騒ぎになってますねぇ…。今回だけのことではないですから、まさに興行の根本を揺るがされる事態になってます。
まず一言言えるのは、相撲協会のリスク管理の甘さですね。トラブル発生の後手後手に対応が回るのはまずい対応の典型を見るようで、非常に身につまされます(汗)。
冗談はさておき今回の事象ですが、まずはここは限りなくクロ、というか科学的には陽性と判断せざるを得ないようで、これをシロの可能性もあると言っては、確かに確率はゼロではないでしょうが苦しいですよね。
批判は既に方々に出ていますから、では今後どうすればいいのかということを無責任な立場で恐縮ですが(^^;)見てみましょうか。
まず出てるのは、今回ロシア出身力士が問題となったこと、また昨今モンゴル出身力士の動向発言が物議を醸していることもあわせ、外国出身力士をより厳しく制限すべきだ、ということですね。
この意見は心情的には心の奥底で多くの日本人の共感を得るでしょうが、
公的には、責任転嫁である、外国出身力士が問題なのではなく協会の考え方が問題なのだとか、それは一種の人種差別であるとか、スポーツであるからには広く国際社会に門戸を開くべきだとか、
ということで多くは否定されるのではないでしょうか。
また、相撲協会自体の改革が必要であり意識を変えなければいけない、より管理を強化しなければいけない、という意見も出るでしょう。至極当然のことと思います。
ではどう変えればいいのか?という議論がなされるでしょうが、スポーツとしてもっと公正に健全にクリアに国際的に、ということが挙がっているようです。
でも色々見てるとそれらに全面賛成しない意見もあり、私もどちらかといえばそちら派です(^^;)
この問題は突き詰めれば、大相撲の本質とは何なのか、ということになるでしょう。
で何なのかと問われれば「スポーツというより伝統芸能である」という立場に賛成するためにそんな意見になります。
ここはどちらになるか微妙なところで、言葉を変えると、
「スポーツとしての大相撲を愛する」人が多いか、
「伝統芸能としての大相撲を愛する」人が多いか、で決まってくることでしょう。
私は「表面的にはスポーツだけど本質は伝統芸能として大相撲を見てる」んではないかと思うんですよね。
単純に強ければいい訳じゃあない。
でないと朝青龍があんなに非難されること、外国人力士が日本人力士に負けて喝采が湧くのが多いことがわかりません。
伝統芸能とすると、強さを求めて外国出身力士を求め上位が「ガイジン」力士だけになるのは大相撲にとってよくないでしょう。(これは外国人には伝統がわからない、ということを言いたいのではありません。単に多くの日本人が伝統と思って求めているものがそうだから、というだけです。)
また、伝統芸能の論理は必ずしも社会規範や社会倫理に合致するものではない、アウトサイダーのもの(だから魅力的)で、だから必ずしも社会規範に則り100%健全である必要はない。もちろん社会の中で生きている訳ですから、法と折り合いつけていかなければいけないのですが。
ここでスポーツ化、国際化の道を選択したのが柔道ですが、まぁここで挙げた意見は正論じゃないかもしれませんが、相撲くらいは残しておいてもいいんじゃないでしょうか。
それとも、いっそエンターテイメント性を突き詰めてプロレスみたいにするとか?それもちょっといやだし(笑)
Posted at 2008/09/09 01:35:31 | |
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