
現役(新刊書)で初めて購入した「カメラこだわり読本」95年版がライカまみれだったと、前回書きました。
と言うことは、95年版が発行された95年8月の時点では、世の中は既にライカブームに突入していたことになります。
企画を練って、その後の取材や編集もありますから、その数カ月前にはそういう状態であったと考えられるわけで…
では、この前号はどうたったのか…
一冊2,000円もする高価なムック本なのですが、今は南米密林をフル活用して、このコロナ禍の中、自宅にいながら当時モノを安価に取り寄せることができるのであって、何とも便利な世の中になったものだなぁと。
これが1年前の94年版…
94月8月の発行です。
「”あの人達”に聞いた、いろいろな写真話。」とあります。
よくテレビで見た「あの人は今…」みたいなものでしょうか。
表紙のカメラもスピードグラフィック、スピグラで、ライカとは違います。
目次を見ると、
○赤瀬川・坂崎両氏が「対談に持ち込んだ」カメラ…
注記…赤瀬川さんが前回も登場したライカの聖人であることについては改めて言及しませんが、坂崎さんと言うのは、そこら辺のカメラ屋のオヤジではなくて、「♪星空の下のディ~スタ~ンス」の「アルフィー」のメンバー、坂崎幸之助さんのことです。
左が赤瀬川聖人、右が坂崎さんです。
当時こそ若いオニーチャンですが、今となってはカメラ好きのオッチャンになっていることでありましょう。
○初公開、これがニコンF4の試作機…
○「カメラ分解講座」中古の海に沈むカメラを、自分の指で確かめる…
と言った感じで、ライカのラの字も出てきません。
特集「あの人に聞く」で、四人の「あの人」が出てきますが、ライカの話はほとんど出てきません。
その後、128ページになって、ようやく「明石正己さんが語る木村伊兵衛さんとライカのこと」と言う記事が出てきて、ようやくライカの話になる…
つまり、95年版では誌面の半分がライカの話で占められていたと言うのに、前年の94年版ではほとんどライカの話が登場しない…と言うことですよ。
ライカの話で登場する明石と言うのは、日本のライカの代理店だったシュミットの写真部長だった方で、木村伊兵衛さんと懇意にされていた方なのですが、如何せん昔話なのであって、ライカ本の読み物の一つとしては面白くても、国中に胎動していたライカの新参者がいきなり読むものではないですね。
これらのことから想像するに、94年当時の「カメラのこだわり」の中に、ライカは重要な地位を占めていなかったか、そう言う動きが出始めていたにしても、企画を変更してライカまみれにするほどではなかった…
ライカブームの始まりは90年台後半…と言うのはかなり正確なのではないかと思えるのであります。
メイン特集である赤瀬川・坂崎両氏によるカメラ談義…
この頃は既にゲンペー聖人の「ライカ同盟」は刊行されていたし、そこに登場するステレオカメラ、コンチュラなども登場します。
この中にライカもあるのですが、パッと見ただけではどれがライカなのか分からない…
翌年だったら、ライカが累々と横たわったことでしょう。
つまり、この時点では、ゲンペー聖人はライカを所有していたものの、そこまで前面に出せるような状況ではなかったと…
数年後には、「カメラには二種類しかない、ライカとそれ以外のカメラだ」と、「平氏にあらずんば人にあらず」と言わしめた平清盛も真っ青な言われ方がなされるようになるとは、思いもよらなかったことでしょう。
この対談は非常に面白く、後でじっくり読むことにしますよ。
と言うことで、94年と95年の間には明確な線が引かれていると感じたのでありました。
この前史については、また改めて。
Posted at 2020/11/23 16:23:22 | |
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