本日の新聞を見るとこんな記事が↓
アウシュビッツの看板、博物館に戻る
盗難後に発見2010年1月23日
ポーランド南部のアウシュビッツ収容所跡
にある博物館で21日、三つに分割された看板を
手にする警察の関係者ら=AP
【ベルリン=金井和之】ポーランド南部のアウシュビッツ収容所跡で昨年末に盗まれた収容所入り口の看板が21日、警察当局から、看板を管理する国立博物館側に返された。看板は昨年12月18日未明に盗まれ、その後、同国北部で3分割された状態で発見されていた。
地元テレビの報道などによると、同跡地で27日に開催予定のアウシュビッツ解放65周年の記念式典に合わせて、修理した看板を掲げる予定だった。しかし、盗難対策など警備上の問題を指摘する声も多く、いま掲げられている複製品をそのままにする案も検討されているという。
看板は金属製で、ナチスの指示を受けて収容者自身が製作。ドイツ語で「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれている。文字のうち「B」が裏返しで逆さまになっており、収容者らのナチスに対するささやかな抵抗の表明だったとされている。
~朝日新聞より~
昨年末にこの看板が盗まれた記事が出ていましたが、
ようやく犯人逮捕され戻ってきたようです。
ここ
アウシュビッツはポーランドの
クラクフの近くにあり
ナチスドイツの強制収容所が有った場所で、二度と同じ過ちを犯さぬ様に
『負の世界遺産』として博物館となっています。
私は仕事の関係でポーランドには4回行き、ここ
アウシュビッツ・ビルケナウ
には2回行った事がありました。
2000年
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」
「B」が裏返しで逆さまになっており、
収容者らのナチスに対するささやかな抵抗の表明だったとされている事で 有名。
2008年 は
本来、業務終了し帰国予定でしたが航空会社のストで飛行機が飛ばなくなり
帰国できず 、1日空いてしまい、同行者がどうしても行きたいとの事で行きました。
流石に展示物は生々しい物が多く、
平和の大事さが身に染みて分かりました。
収容者の髪の毛
衣服の一部として使われたそです。
収容者の靴
収容者のかばん
後で返すと言い名前を書かせたそうです。(当然返すつもりはありません)
使用済みの毒薬(チクロンB)が入っていた缶
アウシュビッツよりさらに規模の大きい
ビルケナウ収容所
列車でそのまま収容され、働けない老人や女性・子供はそのままガス室へ連れて行かれたそうです。
外には観光施設だけありタクシーも一杯いました。
その中で850もいました。
そこで「シンドラーのリスト」ではないですが多く(6千人)のユダヤ人を救った日本人が居る事を数年前テレビで知り、その人の「記念館」が有るのを思い出したので行ってきました。
その人の名は
『杉原千畝』と言います。
彼は、外交官として、ナチスドイツから逃れようとするユダヤ人に対して、日本通過ビザを発給して、6000人のユダヤ人を救った人です。
その時の決断は決して組織としては良くない判断ですが、本人が正しいと信じて行った正義の判断です。
彼の言葉として
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった 」
とあります。
とても真似出来ない事です。
今回行ってきた
『杉原千畝記念館』はアウシュビッツやビルケナウの様に観光客が押し寄せるわけではありませんが行って良かったと思いました。
*残念ながら館内は撮影禁止なので写真は撮れませんでした。
入場券も工夫がしてあります。↓
パスポート風になっており
当時の領事館の一室が再現されており
杉原千畝の気持ちを想像し机に座り
このパスポートに印を押す擬似体験をする事ができます。
その後は
近くの「めい想の森」へ行き雄大な景色を眺め
『フレンドリーパークおおひら』へ
なかなか良い場所見つけました。子供が喜びそうです。
855Rとドライブして気分も紛れ
杉原千畝の人への優しさ・思いやりを感じる事ができ
少し折れ掛かった心が治った気がしました。
気分転換には良い1日を過ごす事ができました。
Posted at 2010/01/24 02:12:54 | |
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