
自宅に大きな被害ありませんでしたが、地震保険の判定は「一部損壊」でした。
当時のインフラの状況や買い出し、通勤についてカレンダーにメモしてました。
プライバシーに関わる部分に被せる形で清書してみました。
電気や水道が比較的早く復旧して助かりました。
通勤に3時間30分かかった日もあり、大変だったので夜勤を増やしてもらいました。
ガソリンはどこでも不足しており、隣県に実家があっても支援物資を送って貰うことは出来ませんでした。
2026年3月9日の『クローズアップ現代(NHK総合)』で当時の福島第一原発所長の吉田昌郎氏(故人)が東日本壊滅を覚悟したと語ってました。
真相は解明されてませんが最悪の事態だけは免れて故郷を失わずに済みました。
市内で買えるものは殆ど無く、ネット注文は出来ましたが運送会社は営業所留めでした。
西日本のお店から電動アシスト自転車を買えましたが、福山運輸の営業所までバスや徒歩で出向き、その場で組み立てて乗って帰りました。
通勤の足として活躍し、買い出しにも使えました。複数のエネルギーで使える設備は役に立ちます。
メモを見ると「米10kg5000円高いが買った」とあります。今と比べれば激安ですね。

停電に備えて発電機と携行缶のガソリンはありましたが、住宅地では騒音も出ますし、自分ちだけ電源確保するのも気を遣いました。
出勤中は家人がガソリン補給や運転操作をするのも問題がありました。900Wの発電機ではご飯も炊けないことが分かりました。
その後、階段下の物置にバッテリーとインバーターを設置しました。
家人でもリモコン操作で停電時の電源確保出来るようになりました。

北朝鮮のミサイルが通過するかもという時に「窓のない頑丈な部屋に待避」と言われましたが、そんな部屋はないので階段下の物置を片付けて潜り込めるようにしました。

その後、電池をリン酸鉄リチウムイオン電池に変更し容量増も行いました。
バッテリーサイズに合わせてアルミフレームを切り出したのでスペース効率も良くなりました。
スペックが一目で分かるように文字入れしておきました。
物置も補強を行い、床や壁を貼りました。換気設備も付けたので居住性も良好です。スペースを最大限活用して備蓄倉庫機能も残しました。
屋外で材料切り出しし、狭いところでDIYすることを2ヶ月続けました。

孫たちの隠れ家になってますが、何時までも役に立つとが無いことを願っています。
政治状況を見ると戦前というか戦中のような感じですね。
Posted at 2026/03/10 17:37:37 | |
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