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いのよし(´∀`)のブログ一覧

2008年10月29日 イイね!

演歌とブリティッシュ・ロック

音楽に国境はない。だけど、その音楽には生まれた“場所”がある。


以前のブログで、厳しい風土の中で生活する自転車選手は強靭だと書いたけど、音
楽も、その国土や風土に根差したいろいろな要因がその色合いを決めると思う。


演歌の多くは北国にテーマを求める。
厳しい寒さや雪の冷たさに耐える精神を男と女の耐える関係にもじって、絶妙な悲哀
の色合いを引き出す曲が圧倒的に多い。


イギリスも北国である。

70年代のブリティッシュ・ロックのバンドにはマイナー・キーがよく似合う。
心にずっしりくるマイナー・キーの叙情的なメロディや哀愁に満ちた曲、あまりにも豊
かな表現力は、冬の寒さの厳しい風土で、才能に溢れたイギリス人の音楽家が、イギ
リス人にしかできない音楽をつくっていたからだ…と勝手に思うのだが。
Posted at 2008/10/29 05:52:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2008年10月10日 イイね!

バッテリー

「俺は昔からファンだった」「昔の方が良かった」という台詞は、バンドが“売れた”時に
必ず聞かれる声だ。
“昔からのファン”=バンドの成長と共に伴走してきた実体験者なのだから、実はその
音楽と健全に共存していける…はずだが、実際は、バンドの音楽性の変化(成長)に
愛想を尽かし、「昔は良かった…」となることが多い。


METALLICAのデビューアルバム「KILL’EM ALL」の輸入盤をミナミのタワーレ
コードで買ったのは、83年の夏だった。一発でハマって、HR/HM好きな友達にも
聴かせたが、みんな「うわぁ…(苦笑)」と固まっていた。
その後、「キング・レコード」から国内盤が出たのだが、ソッコーで廃盤になった。当時
の音楽雑誌でも、そっぽを向かれていた…というよりも、笑いのネタになっていた。

アンダーグラウンドのファン気質は熱い。このバンドの良さは、自分と一部のファンだ
けが知っているんだ、という気持ちが優越感になって、またそのバンドの音楽にのめ
り込む。
METALLICAは、この忠実で熱心なアンダーグラウンドのファンによって育てられ、
アンダーグラウンドのファンによって大きくなったバンドだった。活字媒体や映像媒体
に「あんなのクソだ」とそっぽを向かれても、ファンの意識が常にビジネスに先行した。

だから、86年の3rdアルバム「MASTER OF PAPPETS」が全米チャートで上位
にランクインされたときの私達ファンは、心でガッツポーズだった(笑)

1曲目は“バッテリー”だ。
クルマのバッテリーではなく、“同種の群れ”“一対のもの”という意味だ(野球のピッチ
ャーとキャッチャーもそう言う)。

“絆は俺達の中にある
 俺達とお前達はバッテリーだ”

という歌詩は、ファンの願望を具体化した最高の表現だったなぁ…
高校1年生になったばかりの私にとって、METALLICAは絶対一番のバンドだった。


日本で、私と同じようにMETALLICAのデビュー当時から一緒に年齢を重ねてきた
ファンは、どれくらいの数いるのだろうか。
とてもラッキーだったけれど、今となっては(悲しいけれど)時の流れの魔法を見る思い
でいるのだなぁ…
Posted at 2008/10/11 03:36:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2008年10月03日 イイね!

復活の証

復活の証












世界選手権の優勝者が1番多いのは、ヨーロッパの小国ベルギーだ。

ベルギーの国技は自転車競技であり、強い選手の多くは、厳しい風土の中で生
活するフラマン地方から輩出されていて、世界で最も自転車熱が高い地方となっ
ている。

史上最強の選手エディ・メルクスが有名だが、90年代のヒーローはヨハン・ムセ
ーウだった。
フランドル地方・ヴァルセナル出身のムセーウは、ロンド・ファン・フラーンデレンと
パリ~ルーベを3回優勝、チューリッヒ選手権を2回優勝、パリ~ツール、アムス
テルゴールドレース、HEWサイクラシック優勝、96年のスイス・ルガーノの世界
選手権でマイヨ・アルカンシェルを獲得した名選手で、私も大好きだった。

ベルギーの国民的スターとなり、大きな財産を築いたはずなのに、服装は質素で
高級車などに目をくれない理由を「自分がどんな人間なのか、いつも忘れないから」
と言った。

98年のパリ~ルーベ。
100km地点から、総セクター30弱、総距離で50kmにも及ぶパヴェ(石畳)が登
場するこのレースで、最も難所のアランベールのパヴェでムセーウは大落車して、
膝の骨が砕けた。脚の切断手術の可能性もあったこの大怪我で、ムセーウの選手
生命は終わったと誰もが思った。
でも骨が繋がり、水泳やマウンテンバイクなどのリハビリに努めて翌シーズンには
レースに復帰した。

2000年のパリ~ルーベ。
強烈な向かい風が吹く中でのパヴェ区間でムセーウはアタックを繰り返し、ゴール
までの40kmを単独で逃げ切った。
レースの最後はルーベの街中にあるヴェロドロームのトラックコースを1周してゴー
ルとなるのだが、ムセーウは両手を挙げるのではなく、シューズをペダルから外し
て、膝を指差して復活をアピールした。

記者会見でこのレースを走るのが怖くないのかと質問され、「これが僕の仕事だか
ら」ときっぱりと答え、派手なことを好まないムセーウの復活のパフォーマンス。
忘れられない熱いシーンだった。
Posted at 2008/10/04 09:15:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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